「音ゲーマーと音ゲー以外のことがしたい」の違和感

こんにちは。ラビです。

皆さんは「音ゲーマーと音ゲー以外のことがしたい」と思ったことはありますか?Twitter等で音ゲーマーの知り合いがいる人は一度はそう思ったことがあるのではないでしょうか。

僕はこの言葉に強い違和感を覚えます。今日はその違和感について考えていきます。

違和感の正体

いきなり本題です。僕が感じている違和感とは何なのでしょうか?

それは「友人と遊びたい」と言わずに、わざわざ「音ゲーマーと音ゲー以外のことがしたい」と言っているからです。

この発言の裏には友人と音ゲーマーを明確に区別してしまっている事実が隠されています。そうでなければ、「友人と遊びたい」と言えばいいのです。
わざわざ友人と音ゲーマーを区別する必要があるのでしょうか。音ゲーマーも友人のでは?という疑問が出てきます。

音ゲーマーは特別な存在

語弊を恐れずに言いますが、音ゲーは一般的な趣味ではありません。音ゲーの話ができる相手は音ゲーマーしかいないと言っていいでしょう。

ただし、これは音ゲーに限らず、ほぼすべての趣味で同じことが言えます。例えば、僕は野球に興味が無いのでプロ野球選手のことは語れませんし、アイドルについて興味が無いので最新アイドルについても語れません。

なので、趣味の話を共有できる人物は特別な存在です。

音ゲーマーの場合、趣味の話を共有するためにTwitter等を始めた人も多くいます。学校や職場で出会った友人とTwitter等で出会った音ゲーマーを区別する、それには一種の納得感があります。

共有できることを増やしたい

当然ですが、人は趣味を複数持ちます。音ゲーマーも音ゲー以外の趣味が無い人はほぼいないと思います。

少し話が逸れますが、皆さんは「○○と会うといつも同じことしているなぁ」という経験はありますか?
そういう相手とたまにはほかのことがしてみたい、それが「音ゲーマーと音ゲー以外のことがしたい」なのだと思います。

逆に言えば音ゲーマーとは音ゲーのことしかできないのです。
ほかにも趣味があって、趣味ごとに相手を見つけるのは大変だ……。だから、趣味を共有できる人物を音ゲーマーから見つけよう!ということなのではないでしょうか。

僕のお気持ち表明

僕はここまで語ってきたこと、それにはすべて反対の立場です。

僕はツイッターで知り合った方全員を友人だと思っています。音ゲーマーとしてカテゴライズはしますが、学校や職場で出会った友人と区別はしません。

友人と音ゲー以外のことをする、それは普通のことです。

音ゲーマーと友人を区別すること自体は否定しませんが、理解もできない。それが僕の意見です。

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