「自慢」は同じ価値の人同士しか成立しない

誰もが自慢や誇り顔で話をすることが一度くらいあるかもしれない。

しかし、私が思ったのは,自慢とは本来自慢出来るものに対して「価値がある」と同じ認識を持ってる者同士でしか成立しないということだ。

だからあれこれかれこれ「俺すごいだろ?」とか「私を羨ましいでしょ?」ってマウントとる奴がいるが、相手がそれを良いものだと思ってなかったらただの一人舞台だ。

例えば、キャビンアテンダントなのよ!みたいな感じでCAが高飛車になる人がいたとしても、ダンサーとかはきっと羨ましいとかは思わない。(CAとダンサーが、とは言ってるのではない。全く違う価値観の人という例である)ダンサーは基本的に「表現」に価値を置いている。表現に見合った衣装を見に纏い,自分の思い描く表情、躍動感などが表現できるか,が自分のしたいことで,夜会巻して決められた制服着て機内食を運びたいとは恐らく思わない。

だから全く違う生き方をしてる人に自分の生き方を誇示しても無意味なのである。

ようは、猫が人間にネズミを捕まえてきたと自慢してくるのと一緒だ。(笑)


他にも、職業に留まらず,ブランド物、家,ペット,そしてなんなら、お金がないのが幸せだ,と言ってる元大富豪を見たことがある。その人は元々お金のしがらみがあって手放して解放された経緯があるが、彼にはもともとお金がもたらすメリットよりデメリットの方が嫌いだったのだろう、彼にお金の幸せを論説しても「もうええ、もうええ」となるだろう。

子供が欲しいとはよく言ったものだが、逆に子供を断固として要らないし、不妊の女性と結婚したいみたいな男性もいる。

友人関係は多い方が楽しい,とはよく言われるものだが、ある知人は「今までの人間関係を全て縁を切ったら人生が華やぎだした」と言っていた。(マジでウケた)

ちなみに私は車に疎いのだが、高級車を自慢されても「いい車だろうな」とは思うけどそれ以上に嫉妬とか羨望とかいつか自分も…とは思わない。


つまり、「自慢」とか「マウント」っていうのは同じ価値観を持ってる,とか、同じ環境に住んでる同士(ある部族では首が長いのが美人の認定だが,我々日本人に首長族の女性が鼻を高くして主張してきても何も感じない)でないと成り立たない。

無闇矢鱈に自慢しても一人芝居であり、それの価値自体も霞みゆきそうである。



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