【兎角が紡ぐ】ユイとの出会い【徒然文筆家】
何をしていても楽しくない。
何もしたくない。
なんなら起きているだけのことに耐えられない。
ただ、好きな曲を流して、瞼を閉じて、そのまま、そのまま、全部終わってしまえば良いのに。
そう、願う。
それなのに。
君はボクを訪ねてくる。
気紛れに甘えてみたり、突き放してみたり。
振り回してるのに。
君はボクを訪ねてくる。
どうして?
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九月に入り、多少は熱気もマシになったかと言った頃合。
海岸沿いに面するこの街は、夏初め頃と終わり頃、風に乗って潮の香りが流れてくる。
深い深緑の香りがブレンドされた日中だと、思わず眉を顰めそうになるソレも、鈴虫の声だけが響き渡る、人通りの絶えた深夜ともなれば、何処か懐かしい気持ちに浸らせてくれる。
あれだけ騒々しかった蝉の合唱もなく。
悪戯っ子が唐突に鳴らす爆竹も、花火も、アイス片手に夜涼みをするカップルも姿を消し。
ただ、海から流れる潮の香りが優しく包み込む夜。
だから、なんとなく海に行きたくなった。
夜の海には魔物が潜んでいる。そんな話を聞いたことがあるけれど、元々本気にしていなかったこともあり、慣れた足取りで近所の海岸へ向かって行く。
今年で高校生活も最後だ。来年からは大学生。内部推薦による進学なので、受験とも無縁。だから本来であれば勉学に熱意を向けなければならないこの時期に、悠々と散歩をすることが出来るのだ。
家から海岸まで、徒歩10分程。その間、特に何か語るようなことが起きるでもなく(そもそも人通りの無い真夜中だ)すぐ目的地に着いた。
誰も居ない海岸。
足下の砂は夜風ですっかり冷たくなり、昼間とは違った感触が伝わってくる。特に目的があって来たわけではないが、何とはなしにそのまま海辺へと歩を進めた。
波打ち際まで来ると、不意に波が足下を攫った。波が引くのに合わせて足下の砂が斜めにススス、と崩れ、平衡感覚が失われそうになる。流石に普段着を濡らしたくなかったので、慌てて一歩、波の届かない距離に下がった。そうしたら誰かとぶつかった。
誰か?何か?と不審に思いながら後ろを振り向くと、
「痛い」
ふてくされたように小声でそう愚痴る、一人の少年が立っていた。
「ご、ごめん……」
まさかこんな時間に海辺まで散歩に来る物好きが居るとは思わず、大層驚いた。流石にこの歳になって「まさか幽霊?!」などと栓無いリアクションをすることは無かったが。
「良いよ」
謝罪の言葉に、少年はつっけんどんな調子で簡潔に応える。
「お兄さん、一人?」
そのまま、明後日の方向を向きながら言葉を続けた。
「一人。君も?」
「うん」
自分から訊いておいて、少年はそれ以上言葉を発しようとはしなかった。
無言のまま、少年は服が濡れることも厭わず、海の方へ向かって行く。
月は陰り、海は漆黒一色。本当にソレが海なのかすら、波の寄せる音を聴かなければわからなくなりそうで。
不意に、不安が身体を包みそうになる。
なんだか、その少年がもう、戻ってこないような気がして。
別に赤の他人なんだから放っておけば良いのに。
「ねぇ君」
「……何?」
だから、適当に思い付いた話題でも振ることにした。
「流石に寒くない?」
我ながら捻りの無い投球だと思う。
「ちょっとだけ」
けれど、少年は特に気にした様子もなくこちらを振り返った。
「お兄さんも行く?」
『来る』ではなく『行く』。
「何処へ?」
「誰も居ない場所へ」
不意に手首を掴まれた。少年が満面の笑みで僕の腕を取っている。いつの間に戻ってきたのか。
「一緒に行く?」
「あー、えっと…うん…え、無理心中……?」
心中。
一家心中の心中。
一緒に自殺すること。無理矢理突き合わせる無理心中なんてのもある。恐ろしい世界だ。
しかし、ロマンスの世界ならいざ知らず、現実で急にこういう誘われ方をしたときの応え方なんて知らない。というか別にまだ死にたくはない。
そんな僕の困惑に気付いたのか、
「……なーんてね」
クスクスと笑い声を上げながらそう、呟いた。笑いながら、僕のことを見上げている。
「心中なんてボクのガラじゃないから、そんなことしないよ」
「目の前で人が電車に飛び込むのを見せられたことはあるけど、自分がそれに巻き込まれるような経験は無いから焦ったよ」
「雰囲気も何も無いね。せっかく海に来てるのに」
「夜の海に雰囲気、か」
「うん」
「で、君はどうするの?このまま入水自殺?」
「萎えたからやーめた。お兄さんの所為だよ」
「邪魔しちゃったか」
「んーん、別に良いよ。お兄さん変わり者みたいだし」
「初対面で酷いなぁ」
「そんなことないよ」
二人分の小さな笑声が、夜の海辺に木霊するように響き渡った。
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これが、ユイとの出会いだった。
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