【兎角が紡ぐ】少し変わったあの子【我が子お披露目のお話】

 中学2年生に進級し、GWが終わりを迎えた頃。
 それは予期せぬ来訪者だった。
「はーい、みんな。今日は転校生を紹介します」
 担任がそう前置き、教室の前方の扉がガラリと開き、一人の女の子が入ってきた。
「こちら、親御さんの転勤で東京から転校してきた、朝木(あさぎ)イチゴさんです。じゃあ朝木さん、クラスのみんなにご挨拶できるかな?」
 彼女、朝木イチゴは屈託のない無邪気な笑顔で、如何にも人懐っこいと言わんばかりの雰囲気を醸し出していた。担任の言葉にも戸惑うことなく、慣れた手付きで黒板に名前を書き、振り返ったその顔は頬に紅差し、一呼吸置くように深呼吸して、一輪の花が咲いた。
「初めまして、雪割草中学校の皆さん。朝木イチゴです。今日から皆さんと一緒のクラスで過ごすことになりましたので、どうぞよろしくお願い致します」
 最後にペコリ、とお辞儀をすると、クラス中から歓声が飛び交った。
 転校という非日常に戸惑うこともなく、しっかりとした挨拶。絶やさぬ笑顔。特別美少女というわけではないが、大勢の人に愛されそうな愛らしい容姿。転校生ということもあいまって、見事にクラスメートの心を掴んでいた。
 かくいう僕もその一員だ。
「それじゃ、朝木さんの席は悟司君。悟司 葵(ごじ あおい)君の隣ね。悟司君、よろしくね?」
 だから僕は、気付かない内に彼女、朝木イチゴを穴が開く程見つめていたことに気が付き、慌てて視線を担任に戻した。
「あっはい、先生」
「朝木さんも、何かわからないことがあったら悟司君に訊いてみると良いわ。彼、学級委員長だから」
 その言葉に朝木イチゴはコクリと頷き、背負っていたスクールバッグが一度ピョンと跳ねた。そのまま真っ直ぐに僕の席、正確にはその隣の席にやってくる。教室の一番隅、窓際に位置する。
「悟司君、だっけ?改めて、朝木イチゴです。イチゴって呼んでくれると嬉しいな。よろしくね」
 鞄を机の横に掛け、筆記用具や教科書を取り出しながら、彼女はちょっと照れくさそうにしながら改めてそう、挨拶してきた。最初の挨拶と比べ砕けた物言いにギャップのようなものを感じ、なんだか背中がむず痒くなる。
「よろしくね、イチゴさん。僕も葵で良いよ」
「葵。良い名前!」
「たまに女子と間違われるけどね……」
「確かにそうかも。でもね、とっても良い名前…本当に良い名前…葵…葵…ふふふ、そっか。悟司葵クンね!」
 イチゴは何故か「葵」という単語を周囲が聞き取れるかどうかという声量で反芻するように繰り返し、コロコロと音が鳴りそうな笑声を残して黒板に向き直り。
 午前の優しい日差しを受けるその横顔に再び意識を奪われそうな僕を戒めるかのように授業開始を告げるベルが鳴った。
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 午前の授業が終わり、昼休み。授業の合間の休み時間では当然、クラスメートの関心を満たすことは叶わず、まだ昼食を終えていないにも関わらずイチゴの周りには大勢の生徒が集まっていた。
 つまりは、僕の隣で。
 僕はあまり、人混みが得意ではない。クラスメートとの仲が悪いということはないけれど、それでも大勢で集まって何かすることに抵抗感を抱いてしまい、苦手だ。しかし、あまりに付き合いが悪いとそれはそれで厄介な問題を引き起こすことになるので、不審がられない程度のコミュニケーションは取っている。
 何が言いたいかって、せっかく転校生に注目が集まっている中、わざわざ教室に残る必要性は何処にも無いということだ。僕は軽く周囲を見渡し、見咎められる気配が無いのを確認すると、そっと席を立った。
 行き先はいつも同じ。他クラスの教室を傍目に廊下を真っ直ぐに進み、階段を下る。
 正門から校舎に入ると、左右端寄りに中学1~3年生と高校1~3年生とで分かれる形になっており、各階の教室と教室の間に専用の部屋を必要とする授業用の教室が配置されている。一階は教室と職員室、そしてちょうど正門の反対側に体育館。校庭を抜けた先にある体育館までの廊下、その左右には四季折々の花たちが鮮やかに咲いていた。
 目的地は、その体育館の裏手。中学1年生の頃から、一人になりたいときは必ず此処に来ていたし、他の生徒がこんな雑木林のような場所に来ることも無かったから、一人の時間を満喫出来るのだ。
 誰のために設置されているのかもわからないベンチに一人腰かけ、背もたれに体重を預けるようにして天を仰ぐ。5月上旬ではまだまだ、春の肌寒さが拭えない日もあるが、それでもだいぶ暖かくなってきた方だろう。
 雑木林ということであまり陽当たりは良くなく、溶け残りの雪の塊が木々の向こうに見える。
「転校生、か……」
 教室を離れたものの、やはり意識には突然の来訪者、朝木イチゴのことが浮かぶ。
 新年度から少し間を置いての転校。東京の学校で進級してからの転校なのか、前年度の終業式からずっと休んでいたのか、等他愛もないことを考えながら。
 代わり映えの無い日々に飽きていないかと訊かれれば正直、飽きていた。地元の小学校なので、同学年の大半は小学校からの仲だったし、中学に上がろうと勉強の中身が変化するだけで、人間関係の変化には乏しい。多人数で過ごすことは苦手だが、1:1や少人数なら抵抗感を抱くことも少ない。しかし見知った相手ばかりではどうしても新鮮味に欠ける。
 入学した頃に比べて格段にこの場所に来る頻度が高くなったのも必然か。小学校に比べて昼の時間が自由に使えるというのも影響しているのだろう。
「朝木イチゴ、か」
 そして、取り留めの無い思考は、ただ無為に転校生の名前を口にしていた。
「呼んだ?」
 だからその言葉に僕は慌てて姿勢を正し、左右を確認するが誰の姿も無い。気のせいか、と肩を竦めたタイミングで、突然視界が塞がり、闇が訪れた。
「だ~れだっ」
 その声は、今朝会ったばかりだというのにくっきりとしたイメージを象る。朝木イチゴのものだった。
「えぇと…朝木イチゴ…さん……?」
「はいっ、イチゴさんですよー!」
 背後で元気よく返事をする声が上がり、視界に光が戻った。
「急に脅かさないでよ……」
「あはは、ごめんね、葵クン」
 悪びれもなく無邪気な謝罪を返しながら、何が面白いのか、ニコニコしながら肩越しに僕の顔を覗くイチゴ。今にも肌と肌がぶつかりそうな距離感にのけぞりそうになるも、そうしたらそうしたでぶつかってしまいそうで、どうしたら良いのかわからなくなった僕はそのままフリーズしてしまう。
 そんな僕を穴が開くような眼差しで数秒眺め、イチゴはパッと姿勢を戻し、何気ない所作でベンチに、つまり僕の隣に腰を下ろした。
「こんなとこに居たんだね。一人で教室出て行くから何かあったのかな?って思っちゃった」
「ん…まぁ、なんとなくね。でもよくわかったね、こんなとこなのに」
「ふっふっふっ。なんとイチゴさん、未来が視えるのです!」
「イチゴさん、そんなキャラなの?」
「変?」
「変…でも無いかも……?」
「どっちさー」
「で、なんだっけ。未来が視えるんだったっけ?」
「そんなわけないじゃん。葵クン、もしや厨二病さん?」
「えぇっ……?!」
 自分で言い出したことなのに、と心の中で溜め息を吐きながら僕は視線を隣のイチゴに向けた。
 イチゴは寸分違わず僕の視線を受け止めていた。
 朝、その姿が視界に入ったときと同じように、その深い黒の瞳に吸い込まれそうな錯覚が、僕の心にさざ波を立てる。それなのに視線を逸らそうとしても、何故か視線の先にはイチゴの姿が映ったまま。要は視線を逸らせていない。肩と肩が触れそうな距離でうっかり凝視してしまったためだろうか。
 中学2年生とは思えない蠱惑的な雰囲気に、呑まれそうになる。
「どしたの?」
「えっと……」
 当たり前のように不思議がるその言葉にどう返答すれば良いのかわからなくなり、
「ち、近いから、ほら!」
 無難に二人の距離感について言及することにした。手振りで「ほら」とアピールしてみる。
「なんだなんだ、葵クンは照れ屋さんなのですね?」
「普通だと思うよ……」
 君の距離感がバグってるんじゃないかな?という言葉は胸に仕舞って。
「そんなものか。私、友達居なかったから、そういうのよくわからないんだー」
 だから、これまた当たり前のように告げられた言葉が不意打ちのように突き刺さる。
「そう…だったんだ……?」
「うん。あ、でもこの学校は良いね。クラスの人も凄く優しそうだし!」
「……そんなに違うの?」
 この手の話題には縁が無く、どう対応すれば良いのか分からない。
 追求するのは失礼なことだと思うし。
 無関心もそれはそれで失礼なことだと思うし。
「だいぶ違うよー。都会だったからかな?」
「僕は産まれも育ちも北海道だったからなぁ」
 だから、イチゴの調子に合わせるだけ合わせて、適当なところで切り上げよう。 
 そう、思った。
「ミスミソウ」
「え?」
「あ、ほら、この学校、雪割草小学校って名前じゃん。雪割草って花の名前だよね」
「へぇ…知らなかった。どんな花なの?」
「んっとね、なんか、春一番に雪を割って花開く、みたいな?別名、ミスミソウって言うの」
「花に詳しいんだね、イチゴさん」
「えへへ…で、雪割草って北海道にぴったりだなぁ、って」
「東京は雪積もらないの?」
「ぜんっぜん!降ったら大事件!電車とか動かなくなるし!」
「そんなに?!普通のことだと思ってた……」
「私も転校前に何度か来たことあるけど、こんなに降ったら電車もバスも動かないし、学校も会社も毎日お休みしなきゃだよ?」
「へぇ…でも、雪の積もらない冬とか一度は経験してみたいかも」
「あ、そっか。葵クン、北海道から出たこと無いんだもんね」
「小さい頃から雪掻きに駆り出されてたよ…男手が足りないー!ってさ。大雪降った次の日なんて筋肉痛で腕重くて仕方がなかったなぁ……」
「やっぱ雪掻きって重労働なんだねぇ。私も今年から雪掻きとかするのかなぁ」
 言葉では憂いているようでも、声音は未知の未来にワクワクしているようだ。
「雪掻きのシーズンになったら、葵クンに頼もーっと!」
「ヤダよ……」
 『友達居なかったから』がどういう状況を指しているのかはわからない。
 もしかしたらイジメられていたのかもしれないし。
 ただ、友達と呼べる相手が居なかっただけかもしれない。
 他に何か理由があるのかもしれない。
 でも、今、この瞬間が楽しそうなら、わざわざ東京でのことを訊く必要も無いかなって。
「ミスミソウ、見てみたいんだよね」
「東京には無かったの?」
「そういう意味じゃ無いんだけど……」
 だから。
「厚い雪に覆われてさ、そんな過酷な環境でも雪を割って咲くんでしょ?だったらさ……」
 その後に彼女が口にした言葉も。
「それを、えいって引き抜いてみたくない?『頑張ったのにご愁傷様ー』ってさ!」
 深い意味が無いように思えてしまった。
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 来訪者、朝木イチゴの存在が、雪割草中学校に馴染むまで時間は要らなかった。
 代わり映えの無い日々は、たった一人の来訪者によって、様々なスパイスが四季折々の花の如く彩られ、毎日、明日は何が起きるんだろう、と。
 楽しみ半分、不安半分に思うようになった。
 主にイチゴの言動的な意味で。
 閉鎖的だった環境に外からの風が吹き、新しい風が吹く。
 そうして季節は巡る。
 春が終わり、例年より少し暑い夏は相変わらず短く、すぐに秋が訪れ、遂に厳冬を迎える。
 僕たち雪割草中学校の生徒は、まるで春を迎える前の雪割草そのもの。
 この中学校を卒業するとき、僕たちは雪割草のように新しい明日へ向かって花咲くのかもしれない。
 朝木イチゴは、そんな僕たちをどんな風に思うのだろうか。
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「そんなわけで冬を迎えたわけですが、葵クン」
「どうしたの?そんな改まって」
「どうしたも何も無いんです!こんなに寒いなんて聞いてませんよ私!」
「そりゃ、そんな薄着だったら当然だと思うけど……」
「東京ではこれが普通でしたから」
 ツンと澄ましたような顔でそう言っても、全身が小刻みに震えていては台無しだ。
 朝木イチゴが転校してきてから半年。11月に入った北海道は降雪こそまだ無いが、寒さだけならば真冬並の日々が続いていた。
「はいはい…マフラー、使う?」
「使う!」
「明日からはもう少し暖かい服で来るんだよ」
「うー……」
「うー、じゃありません。ほら、早く行こ。遅刻するよ」
「うー…葵クンは相変わらず愛想がありませんね。レディに対するならもっとこう、紳士的なうんぬんかんぬん」
「うんぬんかんぬんじゃわからないよ…ほら」
 そう言って僕はイチゴに手を差し出した。
 イチゴは躊躇うこと無くその手を握る。
 最初は戸惑ったけれど、イチゴはこの手のスキンシップ(?)に抵抗が無いというか、深く考えない性分なのか、この手の行為を軽々にするから、半年の付き合いで流石の僕も慣れざるを得なかった。
 今では、今日みたいにイチゴが「うーうー」言い始めると、僕の方から手を取って先導するくらいだ。
「葵クンの手は温かいですね」
「イチゴの手が冷えすぎなだけ。痛くないの?これ」
「痛い!」
「ほら、カイロあるから使いなって…こんな格好でこの先も過ごしてたら、冗談じゃなく凍死モノだよ?」
「えぇと、北海道の酔っ払いは冬の夜道で酔い潰れて除雪車にぐっちゃぐちゃにされるんでしたっけ」
「なんでそういう話ばかり覚えてるのかなぁ…でも、酔ってなくても何かあったときに危ないから、なるべく暖かい格好しなよ」
「葵クンがグロい話苦手なだけなんじゃないですかー?」
「その『ですます』口調も、違和感しか無いからね」
「連れないなぁ、葵クンは。はいはい、いつものイチゴさんに戻りますよーだ」
 これは、冬の初めに交わされた会話。
 教室で隣席だということに加え、奇遇にも住んでいる地区が同じで、互いの家の往来に片道15分程度という距離感もあいまってか、僕とイチゴはそれなりに親しい間柄と言っても良いかもしれない仲になっていた。
 僕の家に遊びに来たことも両手の指では数えきれないくらいだ。何故かイチゴの家に呼ばれることは無かったが、それで何か困るわけでも無いし、理由をイチゴの方から話してこないのならばもしかしたら訊かれたくないことかもしれない。だから、そのことについては触れないで居た。
 たまに、イチゴが何を考えているのかわからなくなることはあったけれど。
 知らなくて良いことは知らなくて良い。
 だから、このままで良いんだ。
 イチゴはいつもと変わらぬ屈託のない笑みで、始まったばかりの冬の中、懸命に咲いている花を躊躇い無く引き抜いた。その花は無残に散った。
 珍しく目の前を黒猫が過った。イチゴはそれを追いかけ、抱き抱え、優しく撫でた後、何を思ったのかそのまま黒猫を壁に投げつけた。黒猫は暫く動かず、やがてよろよろとその場を去った。
 イチゴはいつもと変わらぬ屈託のない笑みで、僕の手を握り、僕たちはいつもの通学路をいつもと同じ調子で歩いて行った。
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 誰かの私物が無くなっただとか。
 学校のどこそこが損壊しただとか。
 どこそこの誰が喧嘩しただとか。
 近所で暴行を受けた動物が見掛けられただとか。
 道端で酔い潰れた酔っ払いが、あわや除雪車に轢かれそうになっただとか。
 器物損壊、傷害、殺人未遂。
 僕には関係の無い話。
 僕とイチゴには関係の無い話。
 イチゴは今日も、多くの人に愛され、それが友人として誇らしかった。
 だから、今日も夜な夜な、僕はイチゴが喜びそうなことをした。
 あの酔っ払いは残念だったなぁ。
 イチゴ一人じゃ辛そうだったから手伝ったんだけど、肝心の瞬間を捉える前に人来ちゃったんだから。
 イチゴが珍しく悲しそうな表情を見せた。
 だから酔っ払いを発見し通報した人をこっそり追いかけて、街灯の届かない場所で『お仕置き』しておいた。
 イチゴが楽しそうに笑ってくれた。
 友人として、それが何よりも嬉しかった。
 今夜は、何をしようか。
 誰を狙おうか。
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