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人生にゴールはない / 目的ではなく道を生きろ

私は苦しい。

今の私の苦しさは私が招いたものだ。

親のせい、学校のせい、仕事のせい。

間接的な理由をあげようと思えばいくらでもある。しかし、それでも自分の人生を生きるのは自分なのだ。そんな私から過去の行動への反省と、私より少しだけ若い方にアドバイスを捧げたい。

ゴールを目指した反省

ゴールを目指して努力することは尊い。私のように何事も中途半端な人間が努力の価値について語るのもおこがましいが、やはりその尊さは否定できないだろう。

大会で勝つ、受験で勝つ、出世で勝つ。

人はゴールに向かって努力をするものだ。しかし、これは大きな危険性をはらんでいたと思う。目標を設定することは正しい。しかし、ゴールを設定してはダメなのだ。

勉強で一番になるという目標はシンプルだ。しかし、すぐに上には上がいることに気がつく。クラスで一番、学校で一番、塾で一番、同世代で一番、日本で、世界で…真の一番になることは難しいし、1人しか1番になれないと考えれば現実的には達成不可能だろう。とはいえ、別にNo.1にならなくてもいい。競争ゲームの一つである受験で言うなら"合格層"に入ればいいのだ。

ここで、反省を述べたい。

私の接し方ごときで他人の人生を左右したと考えるのはおこがましいだろう。しかし、私は過去に誤った指導をしてしまったかもしれない。

大学生の頃に塾講師としてアルバイトをしていた。塾講師の役割は生徒を受験に合格をさせることだが、やる気のある生徒、勉強ができる生徒ばかりではない。

大学生がアルバイトをするような塾は往々にして個別指導塾である。集団ではなく一対一の指導が必要で入塾する生徒が多い。一言で言えば、生徒達は勉強があまり得意ではないし、モチベーションも低い。誤解がないように付け加えれば、打てば響く、1を聞いて10を知るようなタイプの生徒も在籍している。彼らを教えることはスーパーカーを運転するようなものだ。先生としても授業が楽しくなってしまうが、彼らは私が教えなくても自分で伸びていくだろう。たまたま私の前に現れてくれた、というだけだ。

塾講師の本質は実力の底上げにある。

「あとちょっと」を伸ばす。全員を東大に合格させるわけではないが、今はまだ手が届かない、その生徒にとって少しだけ高い目標に合格させることだ。

先生たちの生徒への指導方法は千差万別だった。アメとムチを上手に使う人もいれば、事務的な人もいる。オリジナルの問題を作成するような先生もいる。

しかし、共通して陥りやすい罠が「合格をゴールにしてしまう」ことだった。これはある意味で当然だ。高校受験、大学受験をしようとしている生徒に老後の安泰を説いても響かないし、大企業への入社を熱く語ってもわかってもらえないだろう。

そこで目先のゴールだ。

まず合格しよう。これに合格したら全部が終わる。あとは遊べる。

こうしたメッセージが陰に陽に発せられるのだ。間違ってはいない。しかし、いわゆる燃え尽き症候群を作るのもこの言葉が原因だ。

受験が終わり、つかの間の休息が訪れると思っていた。しかし、入学してからもテストがあり、気がついたらまた受験だ。どこにゴールが合ったのか。

「話が違う。」

こう感じないだろうか。

燃え尽き症候群が生まれる理由は、誤ったゴールを見せられたからだ。本人が勝手に燃え尽きたのではなく、本人はゴールを達成したのだ。達成したと思っていたゴールがまた一歩先にずらされている事実に絶望するのだ。

受験が終われば次の受験があるし、学校に行けばテストもある。そんなことは誰でも理解している。競争が終わらないことは理解している。話が違うなんてことは言いがかりだろう。しかし、それでもなお、目先のゴールを達成することを過大評価したことにより先のことが意識できなくなるのだ。

私が育てるべきは勉強習慣のある子どもであり、一夜漬けが上手な子供ではなかったはずだ。

勉強習慣を正しく身につけた子供は、当時の学力の上下に関わらず素晴らしいと思う。こうした習慣を身につけさせること。いわば、人生の習慣を作ることが私の役割だったのだ。良い習慣を身につける、これこそが人生を歩む力だと思う。

ささやかなアドバイス

人生とは道だ。

自分だけの道だ。

所々に分岐点もある。

しかし、大事なことは分岐点を選んだあと、自分で歩く力をつけることだったと思う。

ごまかして進んだちょっと良い道、頑張らずに進んだきれいそうな道もいいだろう。しかし、本当に大事なことは分岐点の後をどう歩くかだった。

自分の力の無さ、努力の至らなさを認めることは辛いことだが、自分の道は自分で作らなくてはならない。子供時代、学生時代に伸ばさなければならないのは、良さそうな分岐を選ぶ力ではなく、道を歩く力だった。分岐点を好きに選べる人生は恵まれているように見えるかもしれないが、分岐の先に何があるかは誰にもわからない。

自分の人生を歩く力をつけること。

受験や大会はあくまでもわかりやすい分岐点であり、また別の道の始まりであることを伝えるべきだった。

私はまだ古い道にしがみついている。成功ではなく、失敗が少なそうな道を選んでいる。それも一つの生き方だろう。しかし、もしあなたが分岐点の手前で悩んでいるのなら、ぜひその先も続く道についても考えてほしい。その道はあなたにとっての道だろうかと。

山歩きが好きな人もいる。マラソンが好きな人もいる。何でわざわざ苦しいことをするのかわからないと言われても、その道を続ける人がいる。

自分の道は自分で決める。そして、自分の力で歩く。道の良し悪し、好き嫌いは自分にしかわからないのだ。

そうした強い人が増えれば、きっと幸せな人も増えると信じている。

私は中年と呼ばれる年に入った。しかし、まだ人生は変えられる。今日から変えていく。今日から、あなたと一緒に自分の道を歩き始めようと思います。

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