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次世代のニュースのあり方 / 露天商メディアとレストランメディア

SNSとスマホの発展によりすっかりメディアが身近になった。「キレイなニュース」を発信するのは未だに従来のマスメディアが中心だが、未加工の一次情報や、既存のインターネット情報を組み合わせて発信する一般人は格段に増えた。

マスメディアがTwitterなどで一般人に無差別にコンタクトをしている姿には一抹の悲しさを覚えるが、誰もが気軽にスマホで撮影や執筆をできてしまう時代において、限られた人員しかいないマスメディアが一般人の圧倒的な情報量に圧倒されてしまうのは必然でもある。

では、従来のマスメディアは不要になるのだろうか。

それは無いだろう。

マスメディアのプラットフォーム化

従来のメディアの一つの役割は巨大な情報プラットフォームとなることだ。必ずしも朝日新聞やTBSなどがその役割を担うわけではないだろう。しかし、ニュースの受け皿、発信媒体としての巨大なメディアは必要だ。そこに独自の取材はなく、次々と運び込まれる情報をあまり料理せず、場合によってはそのまま露天商のように並べることになるだろう。

例えば、Youtubeはマスメディアだろうか。

Youtubeは独自に情報を発信していない。徐々に人が集まり、様々な動画を投稿する中でコンテンツが加速度的に増えたのだ。コンテンツに対して規制や区分けといったコントロールをしているが、それはあくまでも人々が持ち寄った商品を披露する場を整理して提供しているだけだ。

これは露天商的なメディアのスタイルだ。新鮮な一時情報をそのまま並べる。陳列の順番や、おすすめする順番にメディアの意思があったとしても、原則としては巨大な陳列棚だ。

そして、もう一つのスタイルがレストラン的なメディアだ。メディアは巨大なレストランになる。そこにはメディア独自の色と信頼が求められる。

例えば、フランス料理的なメディア、和食料理的なメディア、ラーメン的なメディアといった具合だ。これはフランス料理のメディアをするという意味ではない。人々のメディアに対する期待値の話だ。

世界には無数のレストランがあるが、名店と言われるレストランになると何を出すかは店が決めることが多い。いわゆる「おまかせ」や「コース」というやつだ。

こうした「おまかせ」や「コース」を提供できる高い格にいるメディアがマスメディアだ。人々は与えられたものをそのまま受け取る。しかし、恋人の記念日ならフレンチコースを頼むことが多いように、一族が顔を合わせる会食なら和食コースを選ぶことが多いように、シーンにあった使い分けや、好みによって行く店、行かない店が分かれるだろう。だからといって、なんでも出す一流店を出すということは原理的に非常に難しい。ライバルが同じ料理を専門にしたら原理的には負けてしまうからだ。

これからのメディアには一流レストランと同じような努力が求められる。一流の材料の確保から、調理、そしてサービスだ。誰もレストランを開けない時代には調理ができるだけで特別だった。しかし、誰もがレストランを開けるこの時代では材料集めにも手が抜けなくなってきた。

新鮮な野菜と言ったら農家だ。農家の中で上下があるにしても、農家が一番新鮮な野菜を持っている。いくらレストランがキッチンに運ばれてきた新鮮な野菜を誇っても、農家が庭先に乱雑にならべた野菜の鮮度には敵わないのだ。今のTwitter情報収集はまさにこの状況だ。農家がちらっと見せた新鮮な野菜にメディアは我先にと飛びついているのだ。

この構図では鮮度で勝る農家には勝てないし、農家と長期的な関係を築くことも難しい。一流のレストランたるもの、農家の庭先に並べた野菜の鮮度には勝てずとも、常に最高の材料を仕入れるルートがあるはずだ。こうした質の高い仕入先を持てるかがメディアの趨勢を決めるだろう。それはインフルエンサーのように「その人だから」選ばれるものかもしれないし、良質なインセンティブをベースとした洗練された収集システムの構築かもしれない。

逆に言えば材料も普通、味も普通、雰囲気も普通といった店(メディア)は選ばれなくなる。こうした「普通の階層」では常に無数のメディアが生まれては消え、次なる名店になるべくしのぎを削るのだ。

ニュースではなくインテリジェンスの時代

こんなことがあった、あんなことがあった。ショッキングな映像を素早く提供する。そんなメディアの役割は徐々に失われていく。なぜなら、これは農家の得意分野だ。野菜の鮮度において、レストランは農家の直売所に敵わない。

ではメディアの役割はどうなるのか。

それは速報性だけでなく、インテリジェンスだ。

ありのままを伝えるのではなくストーリーを読み解くのだ。ストーリーを伝えるのは難しく高度な作業だ。例えば、昔話ひとつを例にしても、桃太郎の立場で見るか、鬼の立場で見るかで全く違う話が出来上がるだろう。

メディアはこのストーリー性から逃げてはいけないと思う。

メディア業界として大事なことは多角的なストーリーを提供できる環境を維持し提供することだ。すべてのメディアが中立を目指すのではなく、桃太郎側のメディアも鬼側のメディアも等しく発信するのだ。(そういった意味では、社会的に悪だから言語道断という理屈は恐ろしい。Daigoさんの炎上を社会悪の名のもとに一刀両断してはいけないのだ)

こうしてレストラン(メディア)の数が増えてくれば、食べログのようなメディアまとめサイトが出てくるだろう。しかし、これはメディアではないメディアはこの役割を他者に任せなくてはならないのだ。

レストランが食べログに評価されるように、美容室がホットペッパーに評価されるように、宿がじゃらんに評価されるように、メディアも他者に評価されるのだ。そこで4.5以上の高評価を獲得しつづけるメディアこそが次のマスメディアの姿なのだ。

ロブションもあれば銀座久兵衛もある。ラーメンもあればマクドナルドもある。そんな世界が次のメディアの世界なのだ。

マスメディアの皆さまにはコンビニではなく、ぜひ星付きの名店を目指してほしい。競争の世界にようこそ。

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