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人生初マラソンに出場したら生き別れの父親が沿道にいた話

その瞬間は、まるでドラマのように、ゆっくりとスローモーションのように流れていた。

何度思い出しても、その瞬間だけが切り取られたように今でも記憶に残っている。

今から11年ほど前、私は友人に誘われて、人生初となるマラソン大会に出場をした。

それは友人の「目標がないとやってられない」という何気ないひと言から始まる。

お互い幼児を育てながら初めてのマラソン大会出場に向かい、気持ちを高めていく。
正直なところ、気持ち以外、何をどうしたらいいのかさっぱりわからなかったけど。

体育以外の陸上経験のないど素人が、急にマラソン大会に挑戦しようとなっても、何となく走ってみることぐらいしかできなかった。

それでも、子供を追いかける毎日を過ごしている私たちは、今思えばそれなりに体力があったと思う。

私は持病の喘息とうまく折り合いをつけながら、まずはゴールすることを目標に気楽な気持ちで出場してみることにした。

人生初めてのマラソン大会は、海沿いを5キロ走るというもの。

5キロなら体育で走ったことがあるしと、無謀なチャレンジがスタート。

無理せずゴールをしよう、というゆるい目標を掲げた私たちは2人並んで走り出す。

そこでふと私は友人に伝えたい近況を喋り出してしまった。

それは、パート先の工場がいきなり倒産したという話である。

「実はさあ、会社が倒産してさぁ」

とマラソンと無関係の話をする私に

「やっぱり潰し屋だったね〜」

と友人に突っ込まれたのを覚えている。

いきなり無職になり、正直なところマラソンなんてやっていていいのだろうかという状況だったので、私としてもゴールまで待てなかったんだと思う。

そして私が勤める会社や店はなぜか倒産しがちである。

そのため私には「潰し屋」という悩ましい称号が付いている。

そんなどうでもいい(どうでもよくないが)会話を楽しくしながらも、何とか折り返し地点に到達する。

その辺りで急激に死にそうになり、いよいよおしゃべりなんてしていられなくなった。

当たり前であるが、これがマラソン大会というものかと思い知り、己のモチベーションの低さに恥じを感じてしまった。

そしていつしか、友人と離れて個々に走っていることに気づく。

はぁ、はぁ、はぁ、

自分の呼吸の音しか聞こえない世界。

残り1キロ…残り800メートル…

足がもつれ、呼吸も絶え絶えになってきたその時、

沿道から声援を送る人たちの姿が目に走る。

ちょうど右斜め前の方向。

え…嘘でしょ…


パパ…?


それはまさに父親の姿だった。

最後に見たのが高校2年の頃。

両親が離婚直後、父親は私に会うために校門で待ち伏せをしていたことがある。

たった一度だけ、それが最後の父親の姿だった。

15年以上ぶりに見た父親は、えり首が伸びた白の肌着に、ねずみ色のトレーナーズボンを履いていて、足はサンダルだったと思う。

細身の父親だったけど、最後の記憶よりは丸みを帯びていた気がする。

ヒゲの剃り残しがあり、くせ毛の髪はねっとりしていた。
メガネの奥の瞳は、私の5人くらい後ろの誰かを見つめて。


そんな父親が、私の5人くらい誰かに向かって、

「頑張れー!」

と叫んだ。

使いこなせていないであろう、シルバーのデジカメで、必死にその人を撮りながら。

おそらく1秒程度の出来事なのに、こんなに事細かに記憶している自分に驚く。

それほどまでに、その瞬間は、ゆっくりとゆっくりと、スローモーションのように時を刻んでいた。


もはやマラソンの楽しさなどちっともわからなくなり、何でもいいから何もかもやめたくなったけれど、マラソンというものの厳しさをさらに知ることになる。

父親の残像をちらつかせながら、

残り500メートル…残り200メートル…と、この辺りからどこに隠していたのかわからない体力を使って、私はダッシュを始めた。

そういえば、友人はどうしているだろう…と頭の片隅で考えるけど、とにかく早く終わらせたい一心で私は走り切った。

止まらない嗚咽を抑えながら、すぐに見えた友人を全力で応援する。


この時、私の5人くらい後ろに走っていたであろう誰かが気になって気になって、猛烈に気になったけど。

おそらく女性なんだろう、だって、父親があんなに熱心に応援するほどだから。

私の運動会に来たことなどあっただろうか?


脳内がしっちゃかめっちゃかになっていたけど、いい具合に疲労困憊で考える隙を無くしてくれた。

私は持参したビールをゴールをした友人にさっさと持たせて乾杯をして、一気に飲み干した。


このことは友人には言っていない。

夫には、3年ほど経ったころ、ぽつりと打ち明けてみたけど、おそらくもう忘れているだろう。

もちろん母にも言ってない。言ったところでイライラさせるだけだ。

あんな風に景色がゆっくりと流れて見える経験は、この先もない気がする。

あるとしたら、事故に遭うとか、高いビルから足を踏み外した瞬間とか、そういう危機的な状況だと思う。

この出来事から数年後、父親の担当者から生活保護の書類が届くが、当然「支援はしません」と送りつけた。


そんな、初マラソン大会の思い出。


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