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心のそわそわ


夏になるととーってもワクワクする
その反面わたしの中でいつも
ソワソワし出す子がいる

いまに始まったことではなくて
ずーっと昔からだったって
知ってはいたけどわかっているふりを
しているだけで今日
氷が弾けたみたいにパーンってなった。

娘の納涼祭へ行ってから
ゆっくり迎え入れはじめた。

納涼祭へいって
たくさんの家族連れの中
こころがザワザワする

またはじまった…

最初はまだ癒えていないと落ち込み
このザワザワを無くしたい。と
完全な飲み込まれていきます。
もうこころは泣き叫んでる

なんでなの?
たくさんの不満を募らせていった。

そんないつものループに
居つつも違和感も感じていた。

もうここは違う。

とゆっくり委ねるわたしがいた。

心細さ泣きそうなわたしは
いながらもゆっくり抱きしめて
いまここを楽しめた。

とっても激しい内側に対して
ゆっくり波は流れている感じ。

娘は本当に偉大
わたしを強くさせてくれたし
わたしの内側の旅をさせてくれる

遠い星からこの子は
わたしのところへ来てくれて
この子にとっても
わたしがわたしらしく生きることを望み
この子自身も望む成長に繋がる
ことなんだと改めて感じた。


こどものころからわたしは
家族といても
他の家族はなんでこんなに
家族を居場所のように
仲睦まじくいるんだろう?
いいなぁ。と感じていて
わたしはずっと寂しかったんです。

本当の家族がわからなかった。

親戚と集まっても
誰かとあつまっても
結局はこの人たちには家族がいて
いまは楽しくても(当時は悲しみしかなかった)
そんな孤独へさらに塩を塗るような
体験もしてきたから余計に。

わたしはひとり

兄弟も羨ましかったし
心置きなく
ホッとするところが
ひとりでいる時だけだった
ホッとするというか
ひとりでいる方が
傷つかない
そんな感覚かな。

家族への執着が大きかったです。

だけどいま

目の前にたくさんの家族連れを見て
わたしはひとりめいを連れて
周りにはたくさんのパパがいる。

わたしたちの目の前にパパはいない
その現実の悲しみの傷だと思っていたけど
そうではなかった。

インナーチャイルドが
いま目の前で起きている出来事に共鳴し
そのフィルター越しでみて
根源を見ずに幻想が広がっていた。
という真実に繋がっていき
ゆっくりと解放が起きていった。

とっても素直な自分になれました。

過去のわたしも
いまのわたしも
ゆっくりと抱きしめ微笑む。

無意識についている思考の癖から
抜け出すこと
一歩真実へ向かってみるという
ことが起きていました。

どれだけ思考や感情の渦に飲み込まれても
それも必然でありふとした瞬間に
開かれる時がくるのだと思います。

だけどそこには
わたしとの絆
氣を満たす
愛と光と繋がり
愛の意識であるわたしと
出逢うことは必要不可欠かと思いました。

そこには二元性を超える孤独恐れ不安が
ついてくるんだなぁと思います

わたしまりにあるたくさんのピース
闇も光もそのままを受け容れる
そんな内側のトリップをnoteに
かいていこうかとおもいます。

闇すらもそのままでいいと
真実は転じた先になる

闇こそ深い愛と繋がる

根を張ることに繋がる



愛の星から産まれた
小さなMariでした、












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