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怒りの居場所を教えてよ


昨夜の私の尊きはずの睡眠タイムは、とんでもなく疲れる夢の3本立てで埋め尽くされた。
なぜそんなに疲れたかというと、すべての夢の中に「怒り」の感情があったからだ。

私は怒ることが苦手だ。怒りの感情が湧いても、それを表に出す頃には、そんな感情になってしまったことに対する悲しみの表現しかできない。
あるいは複数の感情が重なったまま「自分でも自分がわからない」というカオス状態にわりとあっさり突入し、表には「何も表現しない」選択をしてしまう。

ある年頃からずっとそうだ。
唯一、私が「怒り」をはっきりと表すのは、夢の中だけだ。

今回特に印象的だったシーンは、外で大変な思いをして家に帰り、やっと一人になれる…と思ったら、突然たくさんの知らない人達がどかどかと部屋に入ってきて、やかましく自分語りをし始めるシーンだ。

…いやどんな状況だよ!
と目覚めてから思わず突っ込んでしまったが、夢の中の私はそんな心の余裕もない。

それまで一人称視点で自分が夢の中(精神)の主人公だったはずが、その座を次々と部屋に入ってきた他人に奪われて、本当の自分すらかき消されていくような恐怖と共に沸いた、どうしようもない怒りの気持ちは目覚めて数時間立った今でも強烈に思い返すことができる。

夢の中で私は明確に怒りを露わにした。それどころか私はその人達に対して、なぜかタオルで鞭打って追い返そうとしていた。相当な時間腕を振りまわし続けていて、相手が折れる前にこちらがへとへとになってしまった。

これも今思えば「いや武器ならもっと他にもあるでしょ」など、ツッコミどころの多い夢だったが、なんだか象徴的すぎる気もして恐ろし面白かったので話させてもらった。


私は怒ることが苦手だが、怒りの感情がないかといったら全くそんなことはない。

むしろ、自分の中に湧く怒りをエネルギーにして動くことが多いのではないかと思うことすらある。
たまにそんな自分に気がついて怖くなるし、やっぱり表向きはらしくないので隠そうとしてしまう。
そして自分の中に溜まり続け、自分の中だけでぐるぐる回していくしかなくなる。

思えばこのnoteを始めたのだって、そんな感情が発端だ。
(全くそうは見えなかったかもしれないけど)
私が「表現したい」って思い続けるのも、怒りの気持ちを抜きにしては本当は語れない。

特に、「自分を大切にしよう」と決めてから年数が浅く、思っていてもできない自分の状況に「なんでよ!」と怒る内側の自分の声もかなり聞き取れるようになってきて、ここの所私の中の怒りへの対応はまあまあ忙しい。

「怒りなんてものは湧いても表現すべきじゃない」
「怒りなんて非効率的で汚らわしいもの、どうにか変換か処理しないとだめでしょ」
という考えの人もいるかもしれない。

でもこれがあるからこそ、私は動けることもある。
そもそも怒りの感情が湧くことは、どうしたって事実だ。

そんな「怒り」に、居場所は本当にないのだろうか。


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