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私の不幸をお前が決めるな


たまに、

いや、かなりの頻度で、不確定な未来を想像して「こうなったらどうしよう」という最悪のシナリオを頭に描いてしまうことがある。

なんでかわからないけれど、子供の頃からの癖だ。

楽しい事があったりすると特にだが、別に何もなくても、何かと釣り合いを取ろうとするように「こっち(最悪)のパターンも考えておこう」と脳が勝手に動き出す。

脳が勝手に動いているということは自分でも把握してはいるので、普段なら「そんなまさか〜ハハハ」と脳内でやり過ごせる。

だけど、心の調子が崩れている時にそれが起動すると、そのあまりの重みに、「そんなまさか~」くんも耐えかね黙り込み、やがて脳みその中が最悪のシナリオに圧倒されてしまうことも多い。

さらに大人になるにつれて、描く最悪のシナリオがこれまでの経験や知識を踏まえたより現実味のあるものになってきたのもあり、「そんなまさか~」くんもそれなりの知識で武装したり以前より思考力を働かせて対応しなければならなくなってきた。

もちろんそんな2項対立だけに私の気分が左右されているわけではないが、最近「未来の捉え方」や「頭の中をどんなことで満たすか」というテーマに真剣に向き合う時が来たなと思えてきたので、何が起きているのかを具体的に深掘ってみることにした。


深掘ってみて、気づいたことがある。

それは私の頭が勝手に描く最悪のシナリオの大半が、「外から持ち込まれた単なるイメージ」でできている、ということだ。

「外から持ち込まれたイメージ」とは、幼少期に物語から学習した因果応報とか、毎日のニュースとそれに対する周囲の反応…例えば「こういう人ってこういう結末を迎えるよね」みたいな、全然例外も有り得る、よくよく考えれば一側面的にしか見ていないモノの見方や、それに対する「かわいそう」などの勝手な感想のようなものの蓄積からできたイメージのことだ。

それらは全て客観的視点によるもので、結論づけている本人がそれを体験したわけじゃない。

なのに、私の頭の中で作られる最悪のシナリオ(=私の不幸)は、
そんなふうに、私の主観を完全に欠いたものから作られているということに気がついた。

「こうなったら人生おしまいだ」
「こういう人はこういう結果になるからそうならないように努力しなければならない」

本当にそうとしか言えないのだろうか。

どんな結果が生まれても、その状況を幸と思うか、不幸と思うかは私次第だ。
(幸も不幸も同時に感じる権利だってある。)

私が病気になったら必ず不幸なのだろうか。
寝たきりになったら、私に不幸以外何も感じる権利は無いのだろうか。

決して、そんなことはないだろう。

私が災害に見舞われて死んだことがニュースになって、それを見た人たちが「なんて不幸な人だ」と思おうと、

私はその命を観念する最後の瞬間、今までの人生で関わってくれた人たちへの感謝の気持ちでいっぱいになって幸福で理想的な最期を迎えているかもしれない。

死という普通に生きてる者にとっては最悪と思えそうな事でも、実際に今まさに死に近づいて行く体験をしながら生きている人にとっては、「現実を受け入れる」体制が整っていく段階ごとに捉え方が変わっていくだろうと想像がつく。

そんな「体験する本人」の主観部分の推測をすっとばして、ただ「こんな結果になったら絶対に不幸だ」と客観から決めつける私の頭の中の声。

私がある結果に至ったと仮定した時に、「あちゃー」「可哀想だな」「こうならないように気をつけよう」と言ってくる声。

お前は誰なんだ。


私の不幸を、お前が決めるなよ。


もし私が周りから見て「不幸」と思えるような結末を迎えたとしても、
私自身は全然幸せだと思ってる可能性があるんだよ。


私が実際に味わう前に、私の感覚を、感情を、奪ってくれるな。




重い障害を持って生まれた子供のニュースに対し、「親はなんで生んだんだ、この子が可愛そう」という訳の分からない感想を見たことがある。

なんでお前にこの子の不幸が決められるんだよ。なんでその責任を実際に生むという体験をした人間にわざわざ問えるんだよ。無関係な自分にそれを問う権利があるという思考は、実際に問うという行動に移すエネルギーは、一体どっから湧いてくるんだよ。何重にも意味がわからない。



本当は子供の頃から、ニュースを見てすぐに感想が言える人がよく分からなかった。
与えられた情報があまりに少ない故に色々な状況の想像ができるのに、
なぜかすぐ結論づけられる人たち。
そしてその感想を、「ね?そう思わない?」と押し付けてくる人たち。

「わからない」と言うことがなんとなく許されないと感じた私は、外側に向ける人間の形を保つために機械的に「周囲の多くが抱く感想」を自分の中に取り込もうとしたのかもしれない。

それが、冒頭のようにわけもわからず自動的に「最悪なシナリオ」を推測しておくようになったことにも繋がったのだろうか。

はっきりとしたことは分からないが、もしそうであるなら、もうその思考の癖とはおさらばしてもいいのかなと思う。




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