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ふわっとした理想はふわっとさせたままでおっけー


私はよく、”自分専用の意味で喋る”をしてしまい、うまく理解してもらえないことが多い。


旅がしたい

映画を作りたい

本を書きたい

自分で小屋を作って住みたい

村を作りたい

アーティストになりたい


全部口にしたことがある(顔が熱い)。

その時強烈に、やりたいと思った事であることは間違いない。

だけど実際は、このうちの半分も実現していない。
し、今後必ずしもやりたいとは思ってない。

それは、これらの願いが全て”自分専用の意味”でできていたから。

考えが変わったわけではない。
夢を失ったわけでもない。
むしろずっと、根本の理想は変わらない。



別に、バックパック背負って異国の地をこの足で踏みたいんだとか、
映画監督になって賞を取りたいんだとか、
そういう野望はなかった。

かと言って、別に軽い気持ちで言っていたわけでもない。
「現実から逃げようとしている」と言われることはものすごくこわかった。

既に、ある理想的な光景を、熱烈に見ていたから。
というか、見えていた。
たった1人の人間が「見えてる」と言うにはおこがましい規模かもしれないけれど。

冒頭のことをやることで、自分だけでなく、みんなが幸せになれるかもしれない未来。
それが”自分専用の意味”の元だ。

私の思考はいつも勝手に自分の身体を離れ、鳥のように高く飛んで世界を俯瞰してしまう。
今思うと1人ではとても抱えきれない規模の思考だった。

その世界観が実現されるのであれば、別に映画なんて作れなくても、アーティストになんてなれなくても、構わなかった。

だけど当時はそれらを口にすることが、唯一の自己表現であり、自分にとっての救いでもあった。



誰しも規模の大きなことを考えることはあるだろうけれど、私にとってはそれが脳みそのほぼ全て。
そういう人種なんだ。
今まで知らなかったけど、少数派らしい。

思考がひとっ飛びに飛んでしまうから、
先にたどり着く場所が、人とは違ってしまう。

よく聞くのは、何年か仕事をやる中で自分の中に疑問や本当の希望が浮かび、今まで培ってきた経験や人脈を生かしてやりたいことをやるようになった、という話。

でも私の場合は、なんの技術も経験も取得しないまま、頭だけ先に本質にたどり着いてしまう。
ほんと、どうしていいかわからない。

多分これはコンプレックスととる必要はなく、ただの性質なのだ。

頭でっかちとか、口先だけとか、自分に悪口を言う必要はない。

自分の中に直観的に理想の世界を描き出せるのは、才能でもあると最近は思う。



じゃあ肝心なその世界はどんなものなのかって言われてしまうと
今でも言葉に詰まる。

説明できないことは無いけれど、
そうやって唐突に聞いてくるような人に対しては大抵、語句選びにものすごく迷う。

私の理想は限りなく、ふわっとしている。
なのにめちゃくちゃ壮大で、重い。

そしてものすごく繊細で、儚い。

誰かが外側から現実化の可能性を懸念してきたり、
既存の枠組みに当てはめようとしてくれば、
すごい違和感を感じる。
引きずり下ろされて、地べたを歩かなければならない気持ちになる。
翼の方が早いのに。

人からアドバイスを貰ったことは感謝したい。そう心から必死になる。

そうしてるうちに、見えていたはずのものに靄がかかってくる。

自分に自信がなくなってくる。
羽があるのに歩かされてるから。

自分で疑い始めたら最後、自分が一番の敵になってしまう。



でも不思議なことに、そのふわっとした理想をなんとか壊されず持ち続けてきた結果、叶ったこともある。

言語化もできないのに叶うなんておかしいと言われるかもしれないけど、
叶ってから「私が求めていたのはこれだ」と気づく。

そういうとき、
ああ、具体性のなさを自分で馬鹿にしたり、自分で無理矢理何かに当てはめようとする必要はなかったんだ
 って後から分かる。

私たちにとってはきっと、どんなにふわっとした理想でも、壊さず持ち続けることが幸せに生きる秘訣になるんだと思う。

たぶん、満足するのに時間はかかる。
長生きはして損はないと思う。



まだ30年も生きてないし
言えるほど成功してないけれど、
ふわっとした理想を叶えるコツなら少し知ってる。

好きだと思うものに触れまくることと、
自分の世界観や価値観をひたすら守り続けること。

好きな物に触れまくることは、徹底してやる。

資格とか肩書きとか具体的な何かを掴む為じゃなく、
好きなものを手探りで集めていくことや、
自分に近いと感じる場所に足を運ぶことをただひたすらたのしむ。

一見遊んでるだけのように見えるし、なにか進んでいるようには見えない。
人から見たら遠回りに見えるかもしれない。

でも私たちにとっては、案外一番の近道だったりする。

自分の中では本質に繋がっているから。
ほんとにそれが一番大事。
それだけで、事が一気に進むことがある。

好きな物に触れ続ける中で、突然やりたいことが出てくることもある。
それは周りから見たら突拍子もないことだったりする。
自分からしたら最初からずっと見据えてきたことなんだけどね。

だから周りへの説明がすごく難しい。
説明なんて、本当はしてあげなくてもいいくらい。
言語化もできなくていい。

成長過程も無理に見せる必要はない。
私たちは水面下でものごとを進める方が向いてるのかもしれない。
そうやっているうちに突然結果が出て、周りを驚かしちゃえばいい。


こういう進み方は、普通とは違った壁にもぶつかる。

やってみてから、しなければいけない事や現実的な壁にぶつかることが多い。

でもそれはやってみなければ分からなかったこと。
自分のことを考え不足だとか愚かだとか思う必要はない。

気づいたなら、ただやればいい。

それは失敗じゃない。
軌道修正してるだけ。

とにかくその過程で、自分を責めない。
それが、自分の世界観や価値観を守り続けるということ。



ふわっとした理想は、ふわっとさせたままでいい。

慌てて現実に落とし込むよりも、繊細に扱って大事に大事に保つことの方が重要だ。

現実化の手段もアドバイスも、本当にありがたく受け取れる範囲だけでいい。
人の影響を受けやすいから、自分を守るくらいでちょうどいい。

遠回りでいい。

自分が本当にやりたかったらやればいい。
壁にぶつかったら自分を責めずただ周り込めばいい。

そうやって自分に必要なものだけを取捨選択すれば
ふわっと身軽になって、また空を飛べる。
全体を見渡して、みんなを幸せに導ける。

それが、この世界での私たちの役割なのかもしれない。












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