『やぶれた夢に呪われる』ということ。

大好きなミュージシャン、細美武士のインターネットラジオを聴きながらハッとした。

bay fm 『Hedgehog Diaries / 細美武士』、1/13放送分より。(1/20まで視聴できます)

当該部分は9分15秒あたり、リスナーの方のメールに対するコメントから。(視聴期間が終わってもなるべく意味が通じるように、一部引用させていただきます。)

「夢を追って生きる人生ってのは諸刃の剣ですからね。俺も○○の夢を諦めたときにしばらく、何年もそういう番組が出てくるとチャンネル変えちゃったりしたんだよね。(中略)自分に誇りを持てるような結果を出さないと、ずっとそのやぶれた夢に呪われてしまうよ」

「○○(リスナーの名前)も、もし挫折したとしても、その挫折した出来事があってよかったな、と思える何かを必ず手に入れないと、夢はその先の人生をちょっと苦しめることになってしまうよ」

別のPC作業をしながらこのラジオを聴いていて、思わず耳が奪われた。そしてこの文章を綴っている。

自分は10代から20代のころ、つまり高校生~大学を卒業するくらいまで、ずっと水族館の飼育員になりたいと思っていて。
けれどそれは「いつかなれたらいいな」というファンタジーの域をなかなか超えなくて。「なるためになにをすればいいのか」という思考や視点が、当時の自分には一切抜けていて。
夢を実現するための努力も、いま考えればほとんど何もしていなくて。

あたりまえのように、夢にやぶれた。チャンスは何度もあったはずなのだけれど。
そうして、割とどこにでもいるタイプの社会人になった。

「挫折」と表現することすらおこがましいくらい、努力不足だった自分がすべて悪いのだけれど、そのころから30代に入る前後くらいまでは本当に素直な気持ちで水族館に行けなくて。だから当時は誰かと一緒じゃなきゃほとんど水族館に行かなかった。

誰かと一緒なら、よけいなことを考えないで済むので。

今ではすっかり、そういう屈折した気持ちで水族館を眺めることもなくなりました。そこに至るまではいくつかのきっかけがありました。

5年以上、10年未満くらいかな。
思えばずいぶん遠回りをしました。この遠回りがなければ、もっとあちこちの水族館に訪問歴を重ねられたのかな。

それでも。
遠回りするたびに見えてきたこともあって、
早く着くことが全てと、ぼくには思えなかった。
(ELLEGARDEN 「ジターバグ」 の歌詞より引用)

「夢を追う」「好きを仕事にする生き方」
素晴らしいと思う。

「やらない後悔より、やって後悔」
つくづく、そう思う。

一方で、夢にやぶれても叶わなくても、「好きなものは好き」という気持ちをずっと捨てずにいれば、いつか昇華(消化)されるのかもしれません。

多少、時間はかかるけれど。

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