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ミュージカルって?

ミュージカルってなんだろう。

つい最近までミュージカルと言えば、
歌の上手なミュージカル俳優さん達がいて、オーケストラピットから聴こえる生演奏に合わせて物語が進んでいくものだと思っていた。

でもここ最近のミュージカルを観て、
あれ?演奏者居なくない?と気が付いた。


いつから居なくなってしまったんだろう。
なんで居なくなってしまったんだろう。


個人の趣味嗜好と考えて欲しいのだが、
わたしはあまりミュージカルが得意でない。

歌う必要性を感じないのだ。

"歌"があることによって、
・歌える範囲内での喜び
・歌える範囲内での悲しみ
というように感情の起伏が狭くなっているように感じてしまう。

勿論、歌うことによって情景はとても豊かになるし、
観客の感情も乗りやすいのは分かる。

ただ、私自身は"物語"として舞台を観に行くことが
多いため感情表現にブレーキをかけていると感じ取ってしまうと急に悲しくなってしまうのだ。



先日、高畑充希さん主演の「宝飾時計」という作品を観に東京芸術劇場へ行った。

本当に素晴らしかった。

こちらの作品、ミュージカル作品ではない。
ところが、キャストを観て分かる通り、
なんと生演奏がついているのだ❗️


高畑充希さん演じる主人公に寄り添ってヴァイオリンの音が響き渡る。

そう、あくまでもずっと寄り添っているのだ。

ここで私は、ミュージカルそういえば昔好きだったな、ということを思い出したのである。

私の中の音楽は常に物語に寄り添い、
演じる方の息遣いや感情の流れに寄り添って伴奏も流れていくのだ。

ここで冒頭に戻る。
あれ?最近って演奏者いなくない?



昨今の長期間に渡るミュージカル公演で
演奏者まで付けてオケピの分座席を減らして、
というのは現実的ではないんだろう。

指揮者が演者に寄り添って、
感情に合わせて時が流れるあの空間はいつの間にやら
なくなってしまったのだ。

物事全てにおいてメリットデメリットがあるように、
娯楽においてもこうしてより良くされていっているのだと理解は出来るものの…寂しい。

どうかあまり効率ばかりに目を向けず、
ただただ物語と向き合う、そんな時間もあったらいいな。と願う。


歌っていたら"ミュージカル"、
歌っていなかったら"ストレートプレイ"。
ではなく、すべては物語なのだ。

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