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傷ついた君たちは、弱さを利用してもいいんだよ

僕はお金に関してはかなり慎重な方である。衝動買いすることは殆どない。というより、物欲があまり無い。1,000円を超えれば、それはもう大きな買い物に分類される。
本を買う時もそれは当てはまる(特に新書は)。気になる本に出会った時は、まずジャンルを確認する。あらすじを確認する。口コミを確認する。勿論、ネタバレは徹底的に回避する。そこまで調べて、それでも読みたければ本を購入する。もっとも、みみっちぃ男なのである。

そんな僕だが、半年〜1年に一度くらい本を衝動的に買ってしまう日がある。そんな奇跡的な出来事が最近起きた。

『 傷ついた君たちは、
  弱さを利用してもいいんだよ 』

表紙の帯に書かれた一文を見て、背中に電流が流れる感覚が走る。あらすじも調べずに買ってしまった。税込1,650円。僕からすれば高い買い物だ。一文一文を噛みしめながら読んだ。と言えば言い過ぎかもしれないが、色々なことを思考しながら黙読させていただいた。今回も所感を書いていこうと思う。


本作の概要


「チワワ・シンドローム」


 著者 : 大前粟生 さん
 頁数 : 208 ページ
テーマ : 弱さの利用

「知らない間にチワワのピンバッジを付けられていた」という呟きがSNS上に多数現れた。その数は800人以上!女性会社員の琴美が思いを寄せている男性、新太も被害者の一人だった。チワワテロと呼ばれるこの奇妙な事件が起こった直後、新太は琴美の元から姿を消してしまった。「もう僕のことは信じないで」そんなメッセージを残して。彼は一体どこに行ったのか?何故姿を消したのか?琴美は「全肯定型インフルエンサー」の親友ミアと一緒に、彼の行方と事件の真相を探り始める。SNS・炎上時代に生きる人間の本質を突いたストーリー。

読了後の所感

1. 弱さに関する、ささやかな事実

どうやらこの世の中は、「弱さ」に憧れる人間が多いらしい。

インスタライブで一つ失言をすると、SNSで徹底的に叩かれる時代になった。悪意の有無に関係なく、少しでも不快な言動があれば執拗に追求される。そして、炎上の対象になるのは、いつだって何かしらの分野においての「強者」だ。強者たちの失態一つや二つで、弱者は強者を底まで引きずり落とそうとする。そんな風潮が僕は大嫌いなのだが、それ自体は完全に否定することはできない。強者にも幾分かの落ち度が存在するからだ。問題なのは、「弱者のままでいたい」と希う人が一定数いるということだ。

例えば、ある青年はもう何年も家を引きこもっている。親から働けと通告されるのは、もはや恒例行事だ。その度に彼は言う。学校でいじめられたから、親の育て方が良くないから、体が弱いから。「自分が不幸だから」。彼は涙ながらに、もしくは怒りを込めて親に社会に訴えるのであった。

或いは、ある少女は精神的に不安定である。自己肯定感が低く、自分に自信がない。過去のトラウマを拾い上げて、黒色背景のストーリーに長文を書いてみたりする。自傷めいた言動も投稿してみたりする。自身がどれだけ不幸で、どれだけ弱い人間かをアピールして悲劇のヒロインを演じる。

上記の両者に共通しているのは弱さを武器にしているという点である。弱さを曝け出してしまえば、誰かに同情してもらえるかもしれないから。誰かに守ってもらえるかもしれないから。それはまるで、か弱いチワワのように。上の2つは少し極端な例なのかもしれないが、皆さんにも思い当たる節はないだろうか。事実、本作のレビューを見回っても、そんな人は一定数見られた。

2. 弱くありたいと願うのは、悪いことなのか?

考えてみると、私も弱さを求めている側の一人なのかもしれない。私はこれまでの人生の中で幾つかのトラウマに遭遇してきた。幼少期からの家庭環境、学生時代の人間関係、職場でのあんなことやこんなこと。私はかなりネガティブで、自己肯定感の低い人間だと思っている。これは、過去に築き上げた価値観が少なからず要因の一つになっているのだろう。まぁそんな自分語りはそこそこに。

そんな私の周りにも、「ありのままの君でいい」と言ってくれる友人がほんの少しだけいる。過去にもいたし、今もいる。友人たちの言葉を聴くと、頭の中に二人の自分が囁いてくる。一方は、『守ってもらえて安心するよね。もっと友人に甘えようよ』と。他方は『弱い自分のままでいいのか?このまま友人に依存してしまってもいいのか?』と。全てを肯定してくれる存在に甘えていたいし依存していたいけど、そんな自分のままではいけない。でも、少しは甘えていたい。難しいけど、そんな感じ。だから、私は弱くありたいと願うことを否定することはできない。

というより、自分がどう在りたいかを決定すること自体に、善悪も優劣もあるようには思えない。それよりも、その気持ちをどのように位置付けするのかが重要だと考えている。ただでさえ多様性の時代である。ただひたすらに強さを求める生き方も良いし、弱さを武器にして心身の拠り所を常に肩身につける生き方も良い。どちらが悪いなど、まったく無い。

僕が言いたいのは恐らく、思考を停止させるなということなのだろう。強さを求めるが故に傍若無人な振る舞いをしてはいけないし、弱さを求めるが故に自身の歩みを止めてはいけない。どちらも自身の成長が無くなってなくなってしまうし、そこから一歩も前へ動けなくなってしまう。

強さを抱えてもいいし弱さを抱えてもいい。時には喜びや悲しみ、辛さや苦悩を誰かと分け合うのもいいだろう。何もかもを一人で抱え込んだり他人に依存したりという話ではない。自分の頭で常に考えて、自分の足で一歩ずつ歩いていくことが大切なのかもしれない。もういっそのこと、弱いとか強いとか、そういうことすべてを抱えて生きていこうか。そんなことを考えた一冊だった。

最後に

今の時代、強者は叩かれるべき存在なんですよ。だから誰もがチワワのように弱い存在になりたがっているんです。でも「弱く」なりたいと思うのってそんなに悪いことですか?変なことですか当たり前のことなんじゃないですか?みなさんも、"弱く"なりたいと思ったこと、ありませんか? 誰だって、自分のことは大事ですもんね。私は、そんなあなたのことを応援します。だって、精一杯生きていて、可愛いじゃないですか。大丈夫、私があなたを肯定してあげます。あなたの弱さを包み込んであげます。私があなたを、愛してあげます。

「チワワシンドローム」より(ミアの台詞)

もし今の時代、こんな優しい言葉をかけられ続けたら心酔してしまう人間は少なくないであろう。全肯定型インフルエンサーのミアはフィクションの中の存在である。しかし、実際にそんなインフルエンサーが現れたら(もう存在するのかもしれない)多くの人が心の拠り所にするのだろう。それは自分も同じなのかもしれない。そして、それは悪いことなのだろうか?

人間が抱える弱さをSNSにうまく写像した、非常に興味深い一作であった。

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