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わたしが、なりたい人のこと。

今日は、SHE AWARDS 2024 - SHElikesにオンライン参加した。
受賞者さんやゲストさんのお話を聞く中で、関心しながら、自分に照らし合わせながら、考えながら、ちょっぴり涙しながら、あっという間に3時間が過ぎた。

心に響いた言葉がいっぱいあった。だから、すぐ忘れてしまう自分の為に、今日感じたことを残しておこうと思う。(文章だって魚介のように鮮度がいい方が、さっぱり美味しいものだよね)

道は一本道ではない。
なりたかった自分の迷子。
次こそは間違った道を選びたくない。
初めてやることに対して、怖がる必要はない。なぜなら、やったことが無いのだから、怖ささえ経験してないことだから。
ポジティブとネガティブを自分に都合よくコントロールする。
なりたい自分に向かっているその過程も含めて自分らしい。その姿だって既になりたい自分なのである。

ふと、目標にしている自分の姿を考え直してみた。
答えは、「わたし、バーバのような人になりたい」
そうだ、著名な作家さんでも、素敵な俳優さんでも、世界を変える開発者や研究者でも、空想のヒーローでもなく、わたしはカチエバーバになりたいんだ。

幼少期のわたしの記憶の中にいるバーバは、とても純粋な人だった。その純粋さは、何も考えていないのでないかと思うほど、周りの大人たちからすればちょっと心配な感じだったかも。
駅伝を見ると必ず泣いたり、ポップ歌手が歌うのに合わせて即興演歌を口ずさんだり、わたしが大学生になって一人暮らしを始めると「ちゃんとテレビは観ている?」と謎の電話をしてきたり面白い人だった。
それに、バーバは小柄なのによく食べてちょっぴり太り気味だったし、生姜たっぷりの絶品ブリの照り焼きを作ると思ったら、魚焼きグリルでお餅を焼いては焦げ焦げにしちゃうような、お茶目なところも憎めなかったな。何よりも、その当時、バーバのような大人はわたしの周囲では他にいなかった。

誰よりもわたしのことを否定せず、ニコッとして遠くからでも見守っていてくれた。
そんなバーバはちょっと口下手なところがあって、その姿はなんだか遠慮しているようにも見えた。きっと、子どものわたしには想像できない悩みが、バーバにだってあったと今振り返ると思う。

ある日、年賀状の宛名にバーバの名前を書く時、片仮名の名前であることに気づいた。
「カチエ」(正式には、「ゑ」という漢字だった気もする)
最初は漢字でも平仮名でもなく、なぜ外国人のように片仮名なのか不思議だった。その時、バーバに理由を聞いとけばよかったなと思うけど、何だか失礼な気がして結局聞けないまま、バーバは亡くなった。それもわたしが日本にいない時に急に逝ってしまった。

その日、バーバは普段と変わらない日常を送り、翌日の朝食用のお米を研いでセットして、自分の布団に入って一生眠ることになった。
いなくなってしまったのは悲しかったけど、眠ったまま起きてこなかったという最期がバーバらしくて素敵だと思った。わたしもバーバのように自分のペースで生き、笑い、泣き、歌い、食べ、眠ることを自然に繰り返していきたい。
うん、バーバのように、ほっこり味方でありたい。

だからいつもバーバが隣でニコッとしてくれていると想像して、わたしはバーバの名前「カチエ」と一緒に歩んでいくんだ。そして、バーバが胸に秘めていたことがわかるようになったら、書いてみたい。バーバ、見ててね‼

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