福祉が充実していればジョーカーは誕生しなかったのか?

ジョーカーの続編ができるじゃないですか。その影響でTLでも盛り上がっているので、久々に色々と話題が出たんですけれども、1つ「主人公のアーサーが悪いのか、社会が悪いのか」という所で色々と議論があったので備忘録を残しておきます。

色々考えた結論から言いますと、両方なんだと思うんですよね。私、この映画の良いところは、アーサー本人の問題もちゃんと描いている所だと思うんです。

アーサーの抱える問題

初めてジョーカーを見た時、「果たしてアーサーが悪いのか?」という問はずっと頭の中にありました。冒頭では、何も悪いことをしていないのに、道端でアーサーはボコボコにされますし(ゴッサムの治安はカスや!)虐待されたのも、障害を持っているのも、断じてアーサーのせいではありません

そういう意味では冒頭しばらくのアーサーは純粋な被害者と言ってもいいかもしれません。しかし、そこで終わらなかったのが、私はこの映画の凄い所だと思うんですよ。「ゆうてアーサー君にも問題ありますよね」というところをきっちり描いている。

アーサーの抱える問題はいくつもありますが、私が一番つらいと思ったのが、他人からの評価というコントロールできないものを追い求めてしまったことだと思うんです。

冒頭の妄想の中でアーサー君はテレビの有名コメディアンに認められて皆から称賛を受けるじゃないですか。誰だって心当たりのある都合のよい妄想なんですけれども、まずこれが辛い。

もしこれが、「自分の理想のお笑いを追い求めたい」とかだったら、良いんですよ。世間に認められなくても、俺はこれが一番面白いと思っている。って考えれば、まだ自己完結できるので。これは自分でコントロール可能です。

でもアーサー君は、そこで「他人からの称賛」を求めてしまうんですよね。ドッカンドッカン観客席を沸かせる!みたいな妄想でないのが、さらにつらい所です。これが「他人を笑顔にしたい」とかだったら、まだ予後は良かったかもしれませんが……。

本当ならば、自分の才能の無さを客観視して、じゃあどうすれば良いんだろう。と考えなければいけないわけですが、ここでもアーサーは努力を間違ってしまう。あの汚い字でお笑いのメモを取るシーンとか、意味があるのかとか考えると辛くなってくるんですけど、絶望的なぐらい才能がない

ある意味アーサーは「夢は叶う」という思想の犠牲者かもしれません。努力すれば夢は叶うと人は言いますが、アーサーくんの場合、その努力自体が絶望的に下手くそなんですよね。

途中で、アーサー君は自分は大金持ちの隠し子かもしれない。と言う事実に執着します。ウェイン家のどでかい玄関でブルースと対面するシーンがあるじゃないですか。あのシーンを見た時「もし、本当にアーサーが大金持ちの家に生まれていたら、この性格このセンスでも幸せになれたのか?」ってことが脳裏をよぎったんですよね。

残念ながら私にはそういう未来は見えませんでした。いくら金があっても、才能やセンスのなさが同じであれば、結局同じことになるだろうなと思ったんです。「ものすごいつまらないコントを上映する金持ち」として生きていくしかないし、他人の称賛も心からのものではないとある日気がついてしまえば、ジョーカーが生まれてしまうのではないかと思うんですね。

結局の所、アーサーの満たされなさは、穴の空いたバケツで水を組もうとするようなものだと思うんですよ。まずは自分と向き合って穴を塞ぐか、別の方法を探すしかない。自分と向き合って、やりたいことと現実の折り合いをつけるしかないんです。

「だれか僕を愛して!!!」と叫んでも、そんなのって周りの人次第で、コントロール不可能じゃないですか。誰かを愛することなら自分でコントロール可能ですけれども(いや、本当にそうか?自信無くなってきたな)まあ、何が言いたいかというと、アーサーは受け取るだけで、誰にも与えないんですよね。恋人ができたかと思わせて全部妄想でしたし。

小人症の同僚がでてくるじゃないですか。彼らを含めた元同僚、なんだかんだで訪ねてきてくれる。まあ、アーサー君は激昂して殺してしまうんですけど。それでも小人症の人だけは逃がすんですよね。

これはアーサーが見せた優しさなのか。それともただの気まぐれなのか。健常者の同僚には馬鹿にされている気がするけれども、小人症の同僚は自分でも見下せる相手だったから、馬鹿にされていると思わなかったのか。どういう意図があるのかは色々と想像できるシーンだと思うんですけれども、この同僚って障害があっても、ちゃんと働いているわけで、そういう意味ではアーサーの逃げ道を塞ぐ構図にもなっている。

「アーサー、お前は障害のせいでそうなったと思っているのかもしれない。だが同僚を見ろ。お前はああいう生き方ができるか? 同僚を誘って手を差し伸べることができるのか?」

正論ですけど、こういう考えってすっごく残酷ですよね。でも、言われてしまえば反論できない。私も実生活で色々と失敗して、何が悪いんだと考えていくと、結局自分が悪かったりして、結局、ああ俺はなんてダメな奴なんだと思ってポロリと涙がこぼれてしまう。

環境を変えたって、何をしたって自分は常についてまわるわけです。それを変えろなんて言われたって、簡単に変えられたら苦労はしない。

冒頭でアーサーがメイクをしながら泣くじゃないですか。私はあれをジョカ泣きと呼んでるんですけど、アーサーも薄々自分自身の問題に気がついているんじゃないかなと思うんですよ。「社会が悪い!」となれば、怒りが湧いてきますが、「自分が悪い」ということを自覚したときは、涙がこぼれるので。

まあこれは私の勝手な解釈であって、「俺は何も悪いことをしていないのに、なぜ……」の涙かもしれませんけど。

本当の自分になる

ジョーカーを見終えたあと、私はいくつかの矛盾する感情を得ました。その一つが爽快感です。やっていること、起こっていることは最悪なのに。

でも考えてみると、それって意図的なものなんだと思うんですよ。この映画って「隠されていた真の才能に目覚めて本当の自分になる」という構図のお話を最悪な方面でパロディ化しているじゃないですか。

アーサーには笑いの才能はありませんでしたが、殺しの才能はあったわけですから。話が進むにつれて、どんどんとアーサーは罪を重ねてドツボにはまっていくわけですが、それと反比例してどんどん生き生きしてくる。

初めて人を殺したあと優雅に舞う。もう、動き方からしていつものオドオドしたアーサーとは違いますもんね。有名な階段のシーンなんて、本当に心底楽しそうじゃないですか。自分を縛り付けていた母親からも自由になった爽快感。このシーンでアーサーは完全に堕ちてジョーカーとして完成してしまったと私は思っているんですけれども、それが悲しいことにアーサーにとっての救いなわけですよね。

だから、私は、どの次元のピーター・パーカーにも悲劇の運命が待ち受けているように、どのルートに進んでも結局アーサーはジョーカーに覚醒してしまうのでは?なんてことも思ったわけですが、この部分に関しては「生まれつき、犯罪者になると決めつけるのは危険ではないか」という指摘をいただき、たしかにその通りだな……と思ったので、訂正させて下さい。

ジョーカーにならずに、ちゃんと折り合いをつけて社会の中で生きていくルートもどこかにはあるのかもしれません。

福祉があれば、ジョーカーは生まれなかったのか?

ということで、冒頭の疑問に戻るんですけれども、私の考えとしては、例え福祉が充実していても、やっぱりアーサーは満たされなかったんじゃないかなと思っています。

もちろん、環境が後押しをした面は大きいと思います。この映画はアーサーを色んな方向からとにかく追い詰めるので。福祉政策は打ち切られるし、ゴッサムの治安は最悪だし、格差社会のえげつなさも描かれていたりするとは思うんですけれども、いざアーサー君の内面にフォーカスすると、「アーサー君……まずこう自分とまず向き合って……」みたいな感想が出てきてしまう。

考えてみればアーサーの抱える問題点は人間誰しも多かれ少なかれ抱えていることだと思うんですよ。夢と現実の折り合いの付け方とか、どこで満足すればいいのかとか。才能がないということにどう向き合えばよいのか?とか。

ぶっちゃけた話、アーサー君の悪口を言うのは簡単です。私の場合は鏡を見れば良い。自分の中にも、アーサー君のような、都合の良い妄想や満たされない気持ちが渦巻いている。

だからこそ多くの人を惹きつけたのかなとも思うわけですが。

ジョーカーを主人公にするにあたって

以上、色々と書いてきたわけですけれども、ジョーカーを主人公にするにあたって製作サイドって色々と苦労したと思うんですよ。

「ジョーカーさんかっこいい!」ってなってしまっても困りますし、「ジョーカーさんはダークヒーローなんだ!」となってしまっても、悪者であるジョーカーのキャラがぶれてしまう。

だから、「ジョーカーさんは社会の被害者なんだ!何も悪くない!」みたいな描き方も意図的に避けていると思うんですよね。ジョーカーは腐った社会に喝をいれる我らの代弁者とかでは絶対にない。

「報いを受けろクソ野郎」のシーンだって、完全に私怨ですからね。しかも一方的な。一般大衆は乗せられて暴動しちゃうんですけど。

製作サイドはジョーカーをヒーローにしないように、かっこいい存在にしないように慎重に作っていると思うんですよ。

最後に、続編は本当に必要なのか?

ぶっちゃけた話、ジョーカー2の話を聞いた時、「無理だろ」って思いました。ぶっちゃけ1で描きたいことって全部描いているし、これ以上は絶対に蛇足になるじゃん……と思っています。

まあ、これは実際に映画を見てみないとわからないんですが、正直言って期待度はめちゃくちゃ低いです。もうハードルが地中に埋まっている感じ。

といいつつ、ここで奇跡の大逆転で神作になるかもしれず、まあ実際に劇場に言ってみないとな……と考えています。真相は私の目で確かめる!

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