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驕傲の無

悪魔の囁きを聞いたことがありますか。

「また前みたいに曲を作ってよ」

大学生時代、同窓のボーカリストが僕にそう言いました。

僕はその人にとって確かに「作曲家」だったかもしれません。

また、僕自身そう在りたがったのを強く記憶しております。

この言葉は、時に僕の救いでした。

同時に劇薬でも在りました。

以後何年も、ほとんど毎日のように心身を蝕み続けました。

やがて僕は作曲家ではないと自覚しました。これがひとつ目の驕傲です。

では僕は「誰」でしょうか。

小学生の英語の授業で「Who is Mike?」という一文を習いました。

教科書はこう続けます。「Mike is student.」

その時僕は社会が植え付けた苗種の刺々しい香りを鼻腔に捉えました。

「マイクは、マイクじゃないか」

小さな脳みそで以下のような思想を宙に浮かべました。

なぜ誰も引っかからないの?マイクは学生?それなら「学生はマイクです」にもなるんじゃないの?

「マイクはトムの友達です」の方が例として相応しい気がしました。

けれどクラスメートはごく自然に、赤子が親を認識するように「誰」の意味を「職業・肩書き」と定義し、すくすく育っていきました。

僕は何かおかしかった…いつまで経っても他人より未熟だったのです。

あなたは「誰」ですか?

僕は、気づけば24になっていました。

周りは就職し、それぞれに仕事を覚え、金を稼ぎ、結婚を現実的に意識しだし、或いは既に結婚し、新しい生命に期待しだしておりました。

「Who is?」と問われた時、回答に足りうるカードを携帯し、健康な自我を育みながら推奨されたレールを直走っておりました。

僕は無職でした。鬱で辞めたのです。ほんの2ヶ月で。

ひとつ、無に近づきました。

幼い頃から僕は「正義」を信じて参りました。

平成はもう神も、神としての天皇もない世界でしたから、脆弱な僕らは経済に縋り、哲学に生きねばなりませんでした。

「自分の救える範囲の人々を救うこと」
それが僕にとっての正義であり、ふたつ目の驕傲でした。

死にそうな女の子がおりました。

美しい外面と共に、時折、内面に潜む死神を透かして見せるような子でした。

その子を救いたかった。

その子の生活は相対的に荒んでおりましたから、同居して炊事して抱擁して肯定することで救おうと思いました。

今思えば正義オナニーでした。その子が救いを求めたことなど無かったというのに。

芯の強い子でした。

ある時、その子の死神が僕の内面に移り住んだような感覚がありました。

僕はそれを拒絶しました。

「救いを乞わない人を勝手に救おうとした挙句、その人の苦しみを共有したがらない」

鏡を見ると、正義の味方とは程遠い、ただの窶れた髭面がそこには在りました。

神か超人にでもなったつもりでいました。

果たして僕は「正義教」を棄教しました。

またひとつ、無に近づきました。

そして以下のことは令和に入りようやく気づいた事実です。

僕は「この世に生を受けたからには、密度の濃い人生にしたい」と思っておりました。

いつ、なぜそう思ったか分かりません。無意識のうちに、ほとんど本能的にそう思っていたからです。

「密度の濃い人生」とは、後世にとって、多角的に研究しがいのある人生のことです。

辞書や歴史書、最低でもWikipediaに載るような「何か」になりたい。

肉体が腐っても、僕の発した言葉や音楽だけは人類の終末まで語り継がれ、歌い継がれたい。

こうした野心が強ければ強いほど「そこに達せていない状態」が酷く窮屈に感じられます。

自分が「何か」に成らなければならない、これも驕傲に過ぎません。

僕はみっつ目にこれを唾棄しました。

もう自分が「誰」である必要も無い。

誰かを「救う」必要も無い。

「何か」に成る必要も無い。

僕は、無。

僕は、無。

僕は、無。

初め、その事実をなかなか飲みこめず躊躇しました。

「また前みたいに曲を作ってよ」

「誰か」や「何か」に成るよう唆す悪魔の囁きが耳鳴りのようにリフレクションし、夢の中にさえ響いていたからです。

耳鳴りが止むまで耐え続けると、今度は街の喧騒があまりに煩く、また明方のレンブライト光線が目玉を焼きました。

耳にイヤホンを挿し、カーテンを閉め、外界を遮断。

そうして経を唱えます。

僕は、無。

僕は、無。

僕は、無。

夜、煙草を吸うために裏戸を出ます。

軒に燕が止まって雨を凌いでおります。

この時ばかり幸福でした。

ところであなたは「誰」ですか?

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