なぜnoteを始めたか
始める歳を考えると、
今時とか今更感とか思ったりもした。
興味を持った時代はあったし、
書くという行為は好きだったけれど。
私は残る、残すという現実が苦手。
例えば、
写真を撮られることが嫌いだったりする。
写真に写る自分が嫌。
好きじゃ無い。
良い写真なんて撮れた事が無いし。
そんな自分が誰かの袂で
永遠に残るなんて耐え難い。
文章という写りはどうか。
その時の自分を文字にする。
気持ちを、感情を、言葉に落とす。
その時の自分が永遠に残るなんて忍びない。
撮った写真はほぼ見返さないし、
一定期間過ぎれば消去したりする。
書いた手紙やコメントもほぼ消去する。
私という存在の足跡は出来る限り残さず、
消し去って来た。
過去は自分の中で残っていけば良くて、
誰かの記憶の中に残り続けなくていいと考えてた。
上手にうまく処理して来たつもりだったけど、
逆に蓄積し続ける想いが重く、
消えない様になった。
消化不足で心が疲弊してる。
吐き出そう。
身体から脳から心から。
残ってもいい。
残した瞬間に消えると考えれば。
残せばきっと忘れられると信じて。
書いていこう。
心の中にあるものを浄化させていこう。
全部捨てていこう。
そう考えた。
カラーの出来事も
モノクロの記憶も
セピアの想い出も
全部いらない
過去を心から追放するの
自分がどんな人間なのか
どんな自分が人生にいたのか
文字に変えて清算する為に
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