【実録】小3児童の不登校#2

9月中旬のある夕。

登校しぶり発生から2週間が経過した頃、担任と学年主任がわが家にやってきた。

「仕事あがったらすぐ帰宅するから、待っててもらって」

との妻のLINEを見ていたので、早めに帰宅した私が一次対応を行った。

担任Oは、短髪・厳つい雰囲気の、いかにもテレビドラマなんかに出てきそうな体育教師。体格は立派だが、顔はどこか酒焼のように赤みを帯びている。一方の学年主任Mはちょっとキツそうなショートカット女性教師だ。ちなみに、この学年主任の先生は昨年(2年次)の担任だった。

M先生は、今回は学年主任の立場でやってきたのだろうが、学校の中ではもっとも息子を知り尽くしている存在でもあった(1年の時の担任は昨春別の学校へと異動になっていた)。

思えば──。

担任が男性教諭になったのは、初めてのことなのだった。幼稚園〜小学校2年まで担任はすべて女性だった。お父さん(私のことだが)以外の大人の男と学校での大半の時間を共にするというのは初経験だったわけだ。

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担任&学年主任の話は、基本的に、家での様子と、学校へ通えない理由について思い当たることなどありますか?という内容だった。この時点で学校側の提案はほとんどなくて、唯一、

「登校班で通いにくいようだったら、私が迎えにきます!」というものだった。

そんなことが通用するのかどうかは、疑わしい。そう思わざるを得なかった。だって息子は…。

私はその時、ふたりの先生と話をしていて確信を得たことが一つあった。

「息子は、この担任を『信用』してない──。」

そこで話の流れを曲げないように気をつけつつ、こんな話をした。

「息子は、見た感じがさつに見えるかもしれないが、非常に繊細なところがあって、自分への(先生の)対応とお友達への(先生の)対応とを比べていると思います。」

「厳しくされるのは、それはそれで学年なりという程度は構わないのですが、生徒によって違う対応をされることがあると、もう信用をしなくなってしまうと思うので、そこはご配慮ください」

一語一語、確かめるようにそう話してみたが、そのときの担任からは「…はあ?」という不得要領な反応があっただけだった。

後から帰宅した妻も会話に加わったが、同じようなやりとりと世間話が主なところだった。帰り際。隠れていた息子が先生から請われて顔を出した。

「○○さん、先生が朝迎えにきたら、登校できるかな?」

「…あー、ハイ。たぶんいけます」

息子ははにかんだような顔で、でも心のこもってない目つきでそう答えた。

次の日からしばらく、朝になると担任が迎えにくる、ということがはじまった。ぜんぶで何回あったろうか。数えてはいないが、2週間とは続いていないはずだ。

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夏休みに自由課題として取り組んだ新聞のスクラップブック。担任の反応は薄くて、特にコメントはなかった。几帳面に取り組んだとは言えないが…。

結論から言うと、これがまた大のつく失敗だった。羽交い締めにされるように家から引きずり出され、先生に「連行」される登校がよほど嫌だったらしく、いっそう明確に『登校しぶり』の決意を固くしたようだった。

ある時には、学年主任から

「そろそろ、甘えるのはやめにしよう!」と喝を入れられた。息子はそう言う《チカラワザ》が大嫌いだから、それがある種の決定打になってしまったフシもある。

当初は金曜日とか、数日に一日くらいは登校できていたのだが、この時期を境にぷっつり『学校へ行くこと』を投げ出してしまったかのようだった。

ちなみに担任のお迎えをどれだけ嫌がったかというと、

包丁を持ち出し

「あいつらなんかいなければいいんだよ、迎えにくるならきてみろよ!俺がぶっ殺してやる」

と叫んだことがあった。

またある日には

「そんなに学校へ行けと思うのなら、殺してくれ!」

と懇願する日もあった。

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親もお手上げ…というのが、この時期の実際だったように思う。また、この時期、学校としては特になんの対策も示してはくれなかった。単に「登校できるようだったら、教室ではなく保健室でもいい」というお決まりのパターンが提示されただけだったのである。

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