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雑感~「ブラック企業」の功罪に対する個人的解釈

「ブラック企業」について、下のようなツイートをコメント付きでリツイートしました。

発端は、朝日新聞のこの記事。

記事を読んだ瞬間の感想としては、「え、そうなの?」というもの。だってこれまで「ブラック企業」と呼んできたし、それは社会の特定の「誰か」がそう呼んだのではなく(少なくそれだけではなく)、むしろこの言葉があったればこそ、さまざまなニュースが瞬時に世間をかけめぐる「加速度器」みたいな言葉だったのにな、みたいなモヤモヤしたものでした。

※ 鍵カッコ多くてすみません。

この件について、かなり詳しく書かれているのがこちら。

社会学者・ケイン樹里安さんの書いたこの記事は、追加も含めて様々な価値観が紹介されていて勉強になります。

個人的には、「ブラック企業」という言葉を見直してもいい時期に来たのではないかと感じています。

たしかに

・言葉狩り

・これまでそう呼んできた、そこには人権侵害の意図は微塵もない

・日本では様々な「色に関する慣用句」がある(だからことさら「黒=悪」とするのは間違い)

・「ブラック企業」という言葉が果たしてきた役割、成果に配意すべき

などなど。わかります。

分かりますが、日本はかつてのような鎖国をしていた国ではありません。ケイン樹里安さんが書くように、日本にはすでに「外国に(も)ルーツをもつ人」が数多くいます。

外国人技能実習生や特定技能の新在留資格は、その問題点も含めて昨今の話題になっていますが、同じ地域に様々な価値観を持った人が格段に増えたし、これからも増えていくのでしょう。

世界史的な潮流の中で歩調を合わしていかねばなならないことは明白ですし、その中において平和で自由な社会を目指さなくてはならないと考えています。

映画『舟を編む』の中で、加藤剛さんが語っていた印象的なセリフがあります。


『言葉は生まれ、なかには死んでいくものもある
そして、生きている間に変わっていくものもあるのです』
『「言葉の意味を知りたい」とは、誰かの考えや気持ちを正確に知りたいということです。それは人と繋がりたいという願望ではないでしょうか』

言葉は生き物であること、そして言葉は誰かと繋がるための願望が具現化したもの…そう考えることができるのではないでしょうか。

そうだとすれば、言葉を見直していくことは、別段悪いことではないし、その都度、社会全体が言葉について考える機会にもなるのではないか。そしてそのことが、(やや誇張していえば)より良い社会にしていくための手段になりうるのではないか…と考えています。





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