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夢は叶う

叶わない夢は自分がやりたくないこと。
やりたいと思って行動していくと夢は叶う。

今日は「既にある」徹底解説の動画を観た。
この1週間くらい、潜在意識に興味があって純さんの動画を何度も観てる。

で、改めて気づいた。
心も身体も元気じゃないと行動することが億劫になる。
最近ご飯は適当に済ましたり、仕事の日はコンビニで買ったりしてた。
自分のことを大切にすることから逃げ、自分で自分の人生に向き合わないようにしていた。
夕方まで料理するかどうか悩んでいたけれど、コンソメスープを作った。
野菜のやさしい味とウインナーの旨みが合わさって、食べてて落ち着ける味だった。

今までは自分のために料理をすることに前向きになれず、作ってもおいしいとは感じられなかった。
だから、どうせ作っても、食べるときには無味無臭なんだから、しっかりと味がついているお惣菜とかの方がいいや、って思ってた。
自分が自分に送る、身体にやさしいプレゼントだって意識したら、作ることができた。

絶賛癇癪起こし中の怒りの感情。
おいしいご飯を食べているときだけは笑顔になり怒りが静まる。
お山の大将のような存在で、感情をぶつられる、壁打ちをしてくれる人を求めている。
その壁は私の役割。
料理をしているときは、"怒り"は出てこなかった。
それだけ食べるのが楽しみだったのだろう。
スープとかあんまし作らないからどうだろうと思ってたけど、
パクパク食べれちゃうくらい、味付けが丁度よかった。
あ、ウインナー本体は味濃かった(笑)

それでもおいしいものを食べられるって幸せだな、って思った。
農家さんが作ってくれる野菜があるからこそおいしいスープ。
ひとつの出来事に対しても、いろんな人が関わっていて、
一人では生きていけない現実を味わっていた。

そうだ、私は恵まれてるんじゃん。
なんとか働ける身体があって、誰かとコミュニケーションを取れて、
ご飯を食べれて、お風呂でリフレッシュできて。

どれも昔に比べたら恵まれている。
医療技術の発展により長生きできるようになり、薬だって開発されている。
水道も電気も整備されて、今では生活にかかせないものだ。
それらを管理してくれる人がいるから成り立っている。

当たり前になるって怖い。
人間関係でも相手がいてくれることが当たり前になってしまうと、コミュニケーションの数が減り、"ありがとう"も言わなくなる。
そんな世界になっちゃう気がする。

それは嫌。だから私から感謝するように意識する。

昨日、今日となんだか寂しい。
心の寂しささんに問いかけると、
「熱中できるものをつくってほしいから寂しくさせてるんだよ」
と答えが返ってきた。
そういえば最近、何もやってないな。

それから、誰かと一緒にご飯食べに行きたいな。遊びたいな。
オンラインじゃなくて直接会いたいな。
そんな風に思う。

なんだか感謝を意識すると、メンタルが安定する。
ポジティブでもなければネガティブでもない、フラットな感じがする。

これが自分の"普通"なのかも、って初めて思った。

私はもともとネガティブな人間だ。
無口でリアクションが小さい。
人間関係は狭く深くがいい。
なのに、過去の経験から来る価値観が居心地を悪くさせてくる。

「明るく笑顔でいること」が正義で、「暗くて無表情」が悪。
知らないうちに埋め込まれた世間の常識。

本当はどっちでもいい。
けれど、悪でいいんだと思うと、本当に孤独になり、誰も相手にしてくれないんじゃないか、という恐怖が押し寄せる。
と同時に、それは自分を受け入れられていないと言える。
他人が言った「しっかりしてるね」が呪いとなり現在の苦しみに繋がっている。

もうそろそろ重い鎧は脱ぐと決めた。
思い込みを手放した軽い自分にもうなっている。

あとは勇気を出すだけ。
私ならできる。

本日もありがとうございました!

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