Black Country, New Road 歌詞解釈 "The Place Where He Inserted the Blade"編
イントロダクション
Black Country, New Roadの"Ants From Up There"より、今回はTrack 8の"The Place Where He Inserted the Blade"について考えていきます。
以前の記事で解釈を述べたTrack 9 "Snow Globes"のアルバムの流れを踏まえた立ち位置についても最後に述べようと思います。
歌詞
歌詞解釈
この曲は「共依存関係にある二人の、関係を進展させようとする時の勇気と不安のジレンマ=葛藤と、抜け出せない依存関係のつらさ」を描いていると考える。
最初の節は2人がどのように現在の関係に至ったかと、現在の運命共同体ともいえるような「癒着」関係について描かれていると言えるだろう。この「癒着」を折れた骨が治って「くっつく」ことに喩えている。
ここでは単に「私」の骨が折れて治ったと表現せず、相手が「つる」のようなもので「私」をゆっくりと締め上げて(つまり抜け出せない関係にして)「私」の骨を折り、さらに"our bones"(=私達の骨)が治った、と表現されている。つまり、この時点で2人は一部「同化」した共同体といえるような関係になったと捉えられるだろう。そして、この節の最終文では「私」は「私の身体の残りの部分はあなたのものだ」と言っている。
「つる」が巻き付いたと喩えているように、初めこそ相手が半ば一方的に「私」に寄生するようにして始まったように見受けられる2人の関係だが、その後「私」は相手に骨を折られ治すプロセスを共に過ごすことを許したことで、一部同化して離れることが難しくなり、癒着していない残りの体も相手に預けざるを得ないような不可分な関係になった、ということだろう。
(この「骨が折れる」という表現は"Haldern"の"turned your perfect hands to me and you ruptured every bone"と地続きなメタファーだろう。「私=Isaac」にとって恋心は骨が折れるような苦しみが伴う感覚なのかもしれない。)
この曲のテーマが「抜け出せない依存関係の葛藤」だと考えるのは、以降のPre-ChorusおよびChorus部にある。
まずPre-Chorus部では互いの・互いへの「恐れ・不安」の感情が表現されている("I know you're scared, I'm scared too")。「私」はそのような不安な想いを抱きながらも、相手のことが頭から離れない、つまり相手が「私」の運命の人とまでは言わないまでも、戻るべき人だと思っていて関係を進めるしかない、と覚悟を決めているように感じられる。
そしてChorus部分では「"He"が"blade"をいれた場所を見せて」と相手に意を決したように伝えている。この部分の"He"および"blade"については様々な解釈がとれるように思うが、最も素直に捉えると「彼=元恋人に傷つけられたところを見せてよ」といったところだろう。これは、相手のトラウマ・秘密に踏み入り関係を深めようと勇気ある一歩を踏み出した、というように捉えられる。もちろん、1番の"Lunch"や2番の料理の描写とかけて「料理番組の中の男(="He")が包丁(="blade")を入れた場所を教えて」と相手に問いかけているとも捉えられる、ダブルミーニングになっていることは明らかだ。(さらに踏み込んだものとして、"Insert"という動詞からも容易に類推される「その場所」を見せて、というかなり直接的な意味も含んでいるとも考えられる。)
しかし、せっかく口に出したこの勇気あるセリフの直後に"Or〜"と続けることで「私」はその言葉の真意をはぐらかしてしまったのではないだろうか?そして相手もはぐらかされて関係が進展しなかったことに安心しているのではないだろうか?直後のセリフは以下のようなものである。
"Or praise the lord, burn my house, I get lost, I freak out"
"You come home and hold me tight"
"As if it never happened at all"
「それか主を讃えて、家を燃やす、私は迷子になり、取り乱す」
「あなたは家に来て私をきつく抱きしめる」
「まるでそれが全く起こらなかったかのように」
「それ」と言うのは"Show me the place〜"という言葉とその直後のはぐらかす態度および「私」の取り乱した様子の全てを指すと考えられる。「それが全く起こらなかったかのように抱きしめる」相手は、これ以上関係が進展することを望んでおらず、今の関係を続けるために「それ」を無かったことにしようとしているのだろう。この様子から、相手側には「私」の意を決した言葉に向き合ってトラウマを開示することへの不安があることが伺える。
相手のこの様子はこの曲の冒頭の一文と呼応するように思う。冒頭部では相手の様子が以下のように描写される。
"You're scared of a world where you're needed"
"So you never made nice with the locals"
「あなたはあなたが必要とされる世界を怖がる」
「だからあなたは地元の人に親切にしたことがないよね」
相手は自分が必要とされることへの恐怖があり、その態度は地元の人だけでなく、「私」に対しても同じだったのだろう。(「私」に撫でられながら眠ることができないのも「私」を受け入れきれていないからだと言えるだろう。)
このように意を決して踏み込もうとしてもうまくいかず、なかなか関係を進展させることができないあまり、「私」は"I will try not to keep you too long"と、半ば諦めともとれる決意をしてしまっているのが切ない。
ただ、曲は「この鎖のもう片方を結ぶ場所を見せてよ」という一文で終わっている。相手が結ばれるべき人であるという「私」の想いは、諦めきれてはいないはずだ。
"Concorde, Bound 2 and my evening"
"Concorde"は言うまでもなく同アルバムのTrack 3のタイトルである。また近辺での"my evening"と"good hunter's guide"はそれぞれ、元は"For the Evening"とタイトルが付けられていた同アルバムTrack 6の"Haldern"およびTrack 5の"Good Will Hunting"のことを言及しているように見受けられる。
また、"Bound 2"はKanye Westの曲のタイトルである。この曲はKanyeが前妻のKim Kardashianに向けて"Bound to fall in love"=「恋に落ちる運命にある」ということを伝える内容となっている。
どれも異なる段階や関係性における思いをテーマにはしているものの、「1人の特別な相手への愛情・憧憬」というテーマがこれらの曲には共通していると言えるだろう。
"Ants From Up There"で「私=Isaac」が「相手=You」としてきたのがどれも同一な人であるかは不明であり、個人的にはそうではないと思っているが、アルバムという1つの流れのなかで様々な段階を経てきた「私」と「運命にある=Bound 2な」相手の、1つの終着点がこの曲で示されているのではないだろうか。これらの曲への言及からそう思えてしまう。
その終着点が「これ以上進展させることができない依存関係」というのが非常に切なくもあり、どこか現実的でもある…
まとめ
改めてこの曲は「共依存関係にある二人の、関係を進展させようとする際の勇気と不安のジレンマ=葛藤と抜け出せない依存関係のつらさ」を描いていると考えた。
直前のセクションでも述べたように、"Ants From Up There"で描かれてきた「私」と相手の関係は1つの終着点を迎えたように感じられる。
"Haldern"で受け入れられ、光を見た「私」はその先を求めようとするが、そこには深い沼が広がっていた。この泥沼ともいえる依存関係に、先はあるのだろうか。
Track 9の"Snow Globes"について以前の記事で自分なりの解釈を述べたので次回が最終回になります。
最終回は"Basketball Shoes"でお会いしましょう。
"Snow Globes"の立ち位置
ここまで"Ants From Up There"の歌詞・ストーリーの解釈をTrack 2からTrack 8まで順番に沿って行ってきたが、Track 9 "Snow Globes"については以前の記事で歌詞解釈を述べてしまったので、ここで改めてこの曲のアルバムの流れの中での立ち位置について考えてみたいと思う。
以前の記事ではこの曲のテーマを「Isaacが、キリスト教の教えとセクシュアリティの観点で自身のアイデンティティの矛盾に葛藤を抱えた末に失踪または自殺(未遂)をしてしまったHenryという親友への加護/慈悲を神に願っている」とまとめた。
"Ants From Up There"ではここまで「私=Isaac」と「相手=You」しか登場しておらず、この2人の恋愛関係についてしか語られていないと言っても過言ではない。そんな中で「私」との恋愛関係に絡まない"Henry"という第三者が登場するこの曲は、アルバムの流れの中で「違和感」があると言わざるを得ない。
しかし、抽象化してみれば、"Snow Globes"は悩む人物こそ「私=Isaac」ではなくHenryに、さらに悩みの根元が相手との関係そのものではなく、自身の信仰と肉体関係の面でのアイデンティティへと変わっているが、結局その悩みの内容は「親しい相手との関係の進展に関する葛藤」であるとまとめられることは確かだろう。
その意味で、パーソナルな内容に終始していたこれまでのアルバムの「私」のストーリーから、一歩引いて、つまり、ここまでの曲を聴いてきた我々リスナーの視点に合わせた視界からの眺めを与えてくれているのではないだろうか。
「私」が、言ってしまえば他人の、Henryの悩みを憂いて神に願いを捧げたように、我々は「私」の悩みに寄り添えていたのだろうか。
言ってしまえば第三者である「私」の悩みを聞いて(聴いて)きた我々は、確かに「私」に共感し、切なく思っただろう。個人的な体験と重ね合わせ、自分の中のストーリーとして落とし込んだと言える人もいるかもしれない。しかし、もしかしたら、私たちが本当にやるべき(やるべきだった)ことは、「私」の無事を思い、憂いて願いを捧げることだったのかもしれない。「私=Isaac Wood」が、このアルバムの発表直後にバンドから脱退していることも重く受け止める必要があるだろう。
アルバムの流れからこの曲のテーマについて改めて考えてみると、個人的にはそのことを気付かされた。その点で、この曲は我々の鑑賞態度の(といえば大袈裟かもしれないが)ひとつの参考になる、普遍化された視点を与えてくれているといえるかもしれない。
以上がアルバムの流れを踏まえて改めて考えてみたTrack 9 "Snow Globes"の役割についての個人的な考察でした。ここまで読んでくれた方がいらっしゃったら、ありがとうございました。
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