遠藤さくらにとって乃木坂46とはどんなグループなのか

以前、高山一実にとって乃木坂46はどういうグループだったのかについて言及していたことを記事にまとめた。

先日のTIFにて、遠藤さくらが乃木坂46はどういうグループなのかを語っていた。

秋元「乃木坂に入っていろんな出来事があったと思うけど、さくらちゃんにとって乃木坂はどんなグループ?」

遠藤「優しさの塊だなと、いつも思っています。優しさを実感したり、優しさを受け取ったりした時に、乃木坂にいれて良かったなって感じることができて、もっともっと乃木坂のために、頑張っていきたいなと思っています。二十歳になったので、これからも頑張ってきます。よろしくお願いします」

この優しさの具体的なエピソードを探していたところ、『ごめんねFingers crossed』の期間にセンターポジションの遠藤が賀喜から受け取った優しさを『君に叱られた』でセンターポジションの賀喜に返してあげたという素敵なエピソードが語られている。

君に叱られた』に次のような歌詞がある。

どこか足りないジグソーパズル
そっと互いに埋め合うのが
相手への思いやりとか優しさとか
それがごく自然な関係なんだって思う

ところで、この曲で厳しさ(≒叱られること)が優しさと同時に歌われていて興味深かった。

というのも、岩本蓮加がインタビューで「今は和やかな雰囲気だが、時には厳しさも必要」と先輩と後輩の関係性を語っていたのだ。

乃木坂46の歌詞には世相(あえての逆張りや問題提起?)が反映されているのかもしれない。

先日、春夏秋冬/フォーシーズンズ乃木坂46という展覧会に行ってきたのだが、秋元康のコメントがパネルになって出口に置いてあった。

そこに書いてあった言葉を正確に思い出せないのだけど、世相をうまく反映することがアイドルには求められている的なことが書いてあったような気がする。

で、イチローの教育論なるものがネットでバズったことがあって、優しさと厳しさの両立が難しい時代にあるというイチローさんの感想が胸に刺さったのを思い出した。

きっと秋元康は、他人に優しくすることも大切だけど、まさに厳しさが難しい時代であっても厳しさが求められる局面ってあるよね?的な問いかけがしたかったのかもしれない。この曲の僕は、君に叱られて嬉しさを感じる、愛のある厳しさの有り難さを知っている「僕」なのだ。

いずれにせよ、乃木坂46は(特にメンバー同士の)の優しさや思いやりある関係性がファンを癒している。仲間を単なる競争相手としか見なかったり、ドライな人間関係でしかなかったりすれば、ファンを魅了できずに失敗する。

過去にも、乃木坂46の温かさ、優しさに言及するブログを取り上げた(本文の下の方)。

何人かの言葉から乃木坂46がどういうグループであるかが見えてくるのではないか。

乃木坂46を長く好きでい続ける人であれば、外見だけではない乃木坂46の「良さ」に愛着があるものだと思う。

その「良さ」はファンに語らせることはできるけれども、メンバーの言葉こそ真実みがある。

【10/9追記】
賀喜がラジオで先輩って優しいな〜エピソードを語ってくれていた。