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閾値
あらゆることに「閾値」があると思う。
もちろん対人関係も然り。
堪忍袋の緒が切れる、とか。
仏の顔も三度まで、とか。
閾値を超えた怒り、呆れを感じるってある意味で良い事だよな。
心理的にも完全に「おさらば」できるから。
「あ、もうダメだ、この人。」
って本心から思えれば解放されるよ。
閾値を超えられたら、その瞬間から本当にどうでも良くなった。
「あ、もうこいつら無理なんだわ」って理解した。
逆に閾値を超えないといつまでもダラダラと嫌な思いをすることになる。
精神医学の世界でも「人間にとって一番のストレスは人間を変えようとする事。」だという。
「人は変わらないし、妄想の訂正はできない。」と精神医学でもそう教えている。
でも人情としては「きっと話せばわかる、説明すればわかる。」って思ってしまうもんだよね。
自分で言うのもなんだけど、俺の閾値は高い方だと思う、相当なことがないと「この人は無理だな。」ってならない。
説得や説明を諦めたくない、諦めたら負けのような気がしてた。
でもそれって甘いだけだった、自分にも相手にも。
事実、わからない人はわからない。
何万時間と説明したところで。
妄想があったら医者、薬、神にも治せない、正せない。
それは紛れもない「脳の病気」なんだから。
「損切りできてない人ってだけやで、それ。」と以前に友人に言われたことを思い出す。
これからは今まで通り心の閾値は高く設定しておくにしても、「この人は何を言ってもダメだな」って判断を早く出来るようにしておきたいな。
早く判断して、早く見切りをつける。
自分本位な期待はしない。
無駄なストレスを溜めないためにも。
無理な人は早めに見切って「おさらば」しましょ
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