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アフターコロナを生き抜くための殴り書き

タイトルに「アフターコロナ」と書いたけど、オミクロン株が流行ってる中、んなこと言ってられないだろ、というのは百も承知で、僕が言いたいのは2022年以降を生き抜くための話をしたいということ。いや、これから話すことはもはや「常識」「コンセンサス」にすでになっている。

それを知らずにいると、SNSでミュートされたりブロ解されたり、もしかしたらリアルでも忌み嫌われる可能性すらある。

この記事は前半に「大衆に嫌われない方法」を書いて、そのあとに「(主にSNSで)個人で稼ぐ方法」を書いていこうと思う。

筋は大きく2つに分かれるけど、これらは密接に関係しているので分断することができない。そして稼ぐことに興味がない人でも、たとえばSNSのフォロワー数を増やしたいとか、そういうことにも使えるので、筋は2つあるけれど、全体で見れば「どうしたらこの時代で嫌われずに、むしろ好感を持たれるようになるのか」という話になるだろう。


前置きが長くなってしまった。まずもう、結論から言うと、キーワードは「清潔感」。

リアルだったら身だしなみだし、ネット上だったら発言の内容、アイコンということになってくる。

わかりやすい例でいうと、一昔前は「汚いけどおいしい店」というのがあった。いまもあるのかもしれないけど、かなり淘汰されていると思う。

でも現代はそれを良しとしない。なぜなら「写真に残せないから」。Instagramの普及でいまやLINEすらも時代遅れで、コミュニケーションはInstagramのダイレクトメッセージでやりとりしているという。それくらい普及しているInstagramでなにが投稿されているかというと「綺麗(=オシャレ)な写真」。だから汚いけどおいしい店は淘汰されて、いまは「綺麗(=オシャレ)『だから』おいしい店」が流行っている。そう、まずは見た目の清潔感から入るということ。

これはなにもSNSに限った話ではない。男性の脱毛は当たり前で、整形にしたって目の下のクマの除去や二重手術くらいは50代の男性芸能人も普通にやっている。なんならYouTuberは若い人が多いからか、当たり前にやっている。これも見た目の清潔感。

とにかく清潔感。世界が浄化されているんじゃないかってくらい清潔感が命になっている。

そしてこれは見た目だけでなく「発言」や「振る舞い」にも求められている。

誹謗中傷はいまや刑事罰になっている。昔の「2ちゃんねる」では誹謗中傷は当たり前、個人特定も普通に行われているカオスの状態だった。しかしSNSが普及して、ネット上で個人が個人として扱われるようになり(その中身は偽装できるけど)、「汚い言葉」は排除されるようになった。反対に「前向きな言葉」「正直(だけど綺麗な)言葉」を発信することがいまや当たり前になっている。ネガティブな発言をするとタイムラインを汚す人としてミュートなりブロックなりされてしまう。

これもネット上だけでなく、リアルでも同じことが言える。「キレイはキタナイ、キタナイはキレイ」はもう通用しなくなっている。「キレイはキレイ、キタナイはキタナイ」になっている。

これは実際に僕が試験的にいわゆる「病みツイート」を連発したことがある。その結果は、心配する声はなく、ただフォロワー数が減ったという事実。このnoteでも生活保護のことや精神疾患のことを書き続けていたが、Twitterと連携して、投稿するとTwitterにも反映されるようにしていたためかさらにフォロワー数は減った。

これは僕の憶測に過ぎないが、大衆は疲れているんだと思う。日々を生きることに精一杯で、自分、自分の家族を守るのに必死なのだと思う。だから映画はショートムービー、もしくは1.5倍速、You TubeもShortsが流行っているし、Tik Tokが現段階では一番勢いのあるSNSだろう。そう、疲れてるから長尺の映画なんて見たくないし、手っ取り早くて、そして楽しいものを求めているのだと思う。

ここで2つ目のキーワード「射幸心」。

そんな疲れた人々を癒やすのは何か。「推し」である。あるいは推しでなくてもひろゆきの生配信にスパチャを投げて自分の発言を取り上げてもらうとか、「いいね!」の数に一喜一憂してみたりなど、射幸心を煽られ、自己承認欲求を満たすことで癒やしている。推しだったら握手会、SNSのリプライなど。

SNSを使って個人で儲けようと思ったら、「清潔な見の振る舞い」をしてファンを増やして「射幸心」を煽ること。さらに言えばもっと大きく事業をやりたいのなら、「不安感」を煽ること。これは清潔感とリンクさせるとわかりやすい。つまりアパレルなどで「これだけ素材にこだわってこの値段!」と射幸心を煽り、「このくらいのクオリティのものを着てないと恥ずかしいですよ(清潔でないですよ)」と不安感を煽る。


僕はこの時代に対して否定もしなければ肯定もしない。否定するにはエネルギーが足りないし、肯定するには遅れを取りすぎている。だから「うまくやっていきたい」といったところ。

幸か不幸か、僕は傍観するにはちょうどいい環境にいるのでこれからも自分を実験台にしていろいろ考えていきたい所存。

長々とお付き合いくださりありがとうございました。

ほんとはもう少しちゃんと書いて有料で出そうかなーって考えたけど、酔ってるしめんどくさいのでこのまま無料で出します。なので推敲もしません。

一応考えて書いたのでなんとなくは伝わるかなーとは思うけど、わからなかったらもう一回読んでください。間違ってもDM送ったりしないでください。

それでは。

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