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両親の老後について

両親の老後についてふと考えた。

誰が面倒を見るのだろう、と。

今、僕と両親は別々で暮らしている。弟はすでに結婚してもうすぐ子どもが生まれる。となると必然的に僕となるだろう。

しかし、僕にはその気は無い。

だからといって弟に押し付けることもしたくない。

そうすると今の実家とかは生前贈与で整理して、有料老人ホームに入れるのが考えられる最善策だろう。両親の意志を無視すれば。

弟には同居はもちろん、金銭的な支援もさせたくない。弟には弟の人生を歩んでほしい。

僕は、幼少期のころから統合失調症が発症してからとか、いろいろなことを考えると、両親に対しては恨みしかない。だから一番いいのは勝手に暮らして勝手に死んでくれればそれでいい。僕にも弟にも迷惑をかけず、自力で老後をまっとうしてほしい。それで子育ての答え合わせをしてほしい。僕たちにどれだけ辛い思いをさせてきたか、どれだけ苦しい思いをさせてきたか、どれだけ惨めな思いをさせてきたか。他にも復讐の方法はいろいろ考えているがここでは書かない。

しかし、とまた考える。

復讐をしても過去の傷は癒えない。ただむなしさが残るだけだ。それは過去に言葉で復讐をしたことがあるからわかる。心がスッとするかと思ったら、なぜか後悔がつきまとう。それは今でも僕の心に巣食っている。あのとき、「死ね」よりももっと残酷な言葉で両親を責め苛んだこと。

両親は今、償おうとしている。それはわかる。責め苛んだそのことによって、それは僕のクライシスコールとイコールだったのが伝わったのだろう。

でも、だからといって許せるかと問われれば、もう今さらなにをされても許すことはできない。だって人生はやり直せないから。絶対に許すことはできない。たとえ僕自身が望んだとしても、それは呪いのように心につきまとって離れない。

それでも何度か試みたことはある。許そうと。もう忘れようと。前を向くために。僕が僕の人生を歩むために。でもできなかった。

復讐の話に戻すと、僕は5歳のころから老後に復讐をしようと心に誓っていた。もしかしたらもっと前だったかもしれない。とにかく、それくらい幼いときから考えていた。布団に入っている間、お風呂に入っている間、ずっと考えていた。それを実行できる日が近い将来来る。

そんな今、僕は迷っている。それは復讐のむなしさを知ったから。でもだからといって許したわけでもない。

あのとき僕は寂しかった。悲しかった。辛かった。惨めだった。あのとき助けてほしかった。抱きしめてほしかった。頭を撫でてほしかった。褒めてほしかった。認めてほしかった。愛してほしかった。

それはもう一生叶わない願いだってことはわかっている。それは自分自身で、自力でどうにかするしかないと、自分で自分を愛してあげるほかないとわかっている。

だからそうすることにした。そして今は両親とは一定の距離を保ちつつ良好な関係を築けている。

僕は長男だし、独身だし、仕事もしていないのでヒマだから、面倒を見ようと思えば見られる。世間から見れば「いや、見ろよ」って話だろう。それなりに家事もできるし、母親が先に逝ってもメシを作ることくらいはできる。介護職をやっていたので介護もできる。自治体の高齢福祉制度もわかっている。(こういうときに皮肉なもので地獄だった生活相談員の経験が役に立つ)問題は僕がやるかどうか、だ。

やりたくないわけじゃない。でもやりたいわけでもない。せっかくの復讐のチャンス、幼いときから考えていた復讐を実行するチャンスなのに、と考える。と同時に復讐をしたところで……。と思う自分もいる。

正直、どうすればいいのかわからない。決められない。僕が助けを求めたときに手を差し伸べてくれなかったのに助ける義理はない。たとえ今、それを償おうとしていても、過去の傷は一生癒えない。この孤独感は拭えない。

もう一度、許すことを試してみようか。許す、けれど忘れない。いや、忘れられない。

償おうとしているその姿を見ていると、名状しがたい感情に襲われる。もう遅いよ、と思うし、無駄なことだとも思う。でもたまらなく愛おしい気持ちにもなる。

その感情に嘘はつけない。だから僕は僕を愛さなかった両親を愛そうと思う。できるかどうかはわからないけれど。

思ったよりも長くなってしまった。これで終わろうと思う。

底辺の豚野郎から愛を込めて。

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