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イマジン

 おれは不思議でしかたがない。


 ケンイチのスマホを返すと、おれはビールをすすった。


 こいつはこれで幸せなのか? 大したことのない大学を出て、就職に失敗して、やっと見つけたのは給料の安い仕事だ。恋人もおらず、友達も少ない。これじゃ底辺じゃないか。しかしそんなことこいつに言えるわけもない。


「この時期は花が安いから、つい買っちゃうんだよねえ」


 ケンイチは笑いながら芋焼酎のロックを飲んだ。その表情は、本当に楽しそうで、充実感にみちみちていた。なぜだ、とおれは思った。底辺の生活をしていて、なぜこんなに幸せそうなんだ。


「楽しそうな生活だな」


 試しにおれはそう言ってみた。まあね、と奴はウィンストンを咥えて火をつけた。皮肉にも気づかないとは目出度い奴だ。


「そういや、トモヤは来年だっけ? 独立するんでしょ?」


 ああ、とおれはアイコスの電源を入れながら答えた。そう、おれはこいつとは違う。だから、こいつと会うと安心する。だからたまにこうして飲みに行くのかもしれない。


「よく受かったよな、司法書士なんて。ほんとすげえよ」


 その言葉に嫌味は感じられなかった。なぜだ、とおれはまた思った。だいたいが、すごいね、のあとに「自分なんて……」と自虐が続くものだった。それをフォローするのに疲れて、独立する話はあまりしなくなった。ケンイチは本当に嬉しそうだった。


 と、奴はグラスを持ち上げた。


「ちょっと早いけど、とにかくおめでとう」


 おれは苦笑いをしてグラスを合わせた。おれはますます奴のことがわからなくなってきた。高校からの付き合いだが、どうも掴みどころがない。


「最近、みんな結婚してるよなあ。まあ、30にもなりゃするか。トモヤは割と早かったよな。いまじゃパパだし」


「お前は恋人ほしいとか、結婚願望とかないの?」


「ないねえ……読書に忙しくてそれどころじゃないよ」


 ケンイチは笑いながらそう言った。寂しいとかないの? と訊くと、別に思わないと奴は言った。


「やっぱ結婚っていいもんなの?」


「そうでもねえよ。だいたい仕事で帰ってくりゃ疲れてんのに、ガキの世話だろ、嫁の愚痴も聞かなきゃだしよ。寝る前のNetflixが癒やしだよ」


 そういうもんなのか、とケンイチは呟くように言った。でも幸せなんでしょ? と奴は言った。おれは別に、と答えてアイコスを吸った。


「お前は?」


「なにが?」


「幸せなの?」


「まあ、そうだね、そう言えると思う。結局、幸せって自分で見つけるもんだからね」




 店を出て、おれたちは新宿駅まで歩いた。おれは京王線で奴は山手線だから、外で別れた。


 ケンイチのことは、わかったような、わからないような、なんとなくささくれのように引っかかるものがあった。おれは歌舞伎町へ戻って、花屋に寄った。確かに安い。店員に見繕ってもらって花束を買って帰った。


 ただいまと妻に言うと、ちょっと驚いたように早かったのねと彼女が言った。


「まあね。で……これ、お前に」


 おれは花束を妻に渡した。彼女は訝しげにそれを受け取った。なんかあったの?


「いや、別に。気まぐれだよ」


 綺麗……と呟いて、妻は優しく花束を抱きしめた。そんなに嬉しいもんなのか? 花になんて興味ないもんだと思っていたが。


「ありがとう」


 妻はうつむきがちに、はにかんで言った。おれはたまらなくなって、そっと抱擁した。彼女がそれに応える。


 おれはケンイチのことがやっとわかった気がした。

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