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「徴用工問題」を韓国人と話したときに考えたこと

 まだ酒を飲んでいたころ、行きつけの飲み屋に韓国人留学生がやってきた。ぼくは彼が来るころには酔っぱらっていて、ほかの常連さんと喋っていた。


 ひょんなことから彼と喋ることになって、話していくうちに話題が穏やかではなくなっていった。日韓関係についてだ。彼も酔っていたのか、やけに挑発的で、ついにぼくらは店主に追い出されてしまった。


 お互いにベロンベロンだった。なんとか次の店を見つけて、話の続きをした。


 彼は大学院で日本史を研究しているらしかった。「天照大御神は何代目の神様?」と訊かれ、「知らない」というと、「日本人なのにそんなことも知らないのか」と鼻で笑われた。そして、「徴用工はあったのか、無かったのか、どっちだと思う?」と訊かれた。ぼくは「これは、日本人と韓国人で認識の差がどうしてもあるから、一概には言えないけど、あえて日本人として言うなら『無かった』と答える」と言った。彼はありえない、どこまで無知なんだ、と言わんばかりの表情で、「本当に言ってる?」と言った。ぼくが頷くとそれ以上なにも言わなかった。


 ぼくは話を聞いてくれと言い、ぼくが「無かった」とする論拠を説明した。


 当時、大韓帝国は日本が統治していて、「皇民化政策」といって大韓帝国も日本なんだと、差別をせず、日本人と韓国人は同胞だったということ。それを踏まえて日本ではスローガンのひとつに「月月火水木金金」というのがあって、日本人も休みなく働いていたこと。それも子どもまでもが。なので、同胞である韓国人にも同じように働かせていたのだろうが、それは日本人も同じことで、つまるところ「徴用工」なんてものは無かった、と。


 そんなことを言っても通用しないのはわかっていた。無論、彼にも通じなかった。反論の代わりにため息が帰ってきた。



 ぼくが小学生、中学生だったころはいわゆる「自虐史観」がはびこっていて、授業でも当たり前のようにそう習ってきた。ぼくが自虐史観に染まらなかったのは、学校の図書室で近代史の本を読み漁っていたおかげだった。図書室は玉石混交で、自虐史観の本もあればそれを真っ向から否定する本もあった。


 そして現在、いわゆる「自虐史観」が薄らいでいっているように感じる。YouTubeでは大東亜戦争の意義について解説している動画なんて掃いて捨てるほどあるし、日本軍や自衛隊の美談の動画もある。それは一見、「自虐史観」に染められていたころと比べれば喜ばしいことに思える。しかし、そういった「日本を肯定する歴史の見かた」も、歴史の一面にすぎない。


 確かに清(中国)の属国だった大韓帝国を清から切り離して、一度は独立させたが、今度はロシアになびいて日露戦争が起こり、その後独立を守る力がないと日本、そして欧米列強に判断され、日韓併合を行い皇民化政策を取った。これは当時の国連にも認められた正当な行為だ。現在でも非難されるいわれはない。しかも、当時の韓国人にも受け入れられている。有名な「創氏改名」も、元はと言えば向こうから頼まれたことだ。


 しかし、ここでちょっと立ち止まりたい。確かに大勢の人には受け入れられた。が、日本の統治を快く思っていない人々もいたのではないか。「中国から離れられたと思ったら、今度は日本かよ。俺たちは駒じゃねえんだぞ」と、アイデンティティを踏みにじられた思いだった人もいたのではないか。


 ここで日本の立場からいえば、当時の大韓帝国は「強い者についていく」という、まるで自立心のない国で、放っておけばあらぬ国と同盟を結んでそれによって日本が戦争に巻き込まれるリスクがあった。なので一度統治して、インフラを整備して、貨幣を作り、戸籍を作り……と独立に向けて近代化に貢献した。


 が、それはそれで事実だが、韓国人の気持ちになってみれば、「日本が統治しなくても、自力で近代化できた!」(失敗したから統治したのだが)と思う人がいてもおかしくないだろう。そしてそれを現在の韓国のように日本統治時代を恥ずかしく思う気持ちもあるだろう。


 理屈では、日本が統治したことによって近代化ができた、と言えるが、感情的にはどうだろうか。


 そして、大東亜戦争が始まって総力戦になったときに、「日本人だから」という理由で多くの韓国人も犠牲になった。


 さらにいえば「同胞」として迎えたはずの韓国人を「チョン」という蔑称で呼んでいた事実もある。「バカチョンカメラ」は「バカでもチョン(朝鮮人)でも扱えるくらい簡単なカメラ」の意だ。(これは韓国人が本土に来たことによって治安が急激に悪くなった、ということもあるだろうが)


 無論、先の戦争で犠牲になった韓国人も靖国神社に英霊として祀られている。しかし、もともとは大韓帝国という国なのだ。日本にある靖国神社に祀られてもしょうがないというのが正直なところじゃないだろうか。


 ……などと考えていくと、韓国の立場からすれば徴用工問題は「あった」ということになる。政治的なことをいえば、あろうがなかろうが、日本は賠償をしたのだからもうこれ以上なにも言われる筋合いはないのだが、視座を落として国民目線で考えると「あった」ことは「あった」ことなのだ。


 なので、日本が日本の立場でなにを言っても、韓国の国民感情は動かないだろう。これは日韓の問題というよりは韓国自身の問題だと考える。韓国が、自力で折り合いをつけない限りは解決しないだろう。


 そして日本は「韓国にこれだけ貢献したのに」というのは控えたほうがいいと思う。史実として正解でも、感情的には「余計なお世話」だったのかもしれないから。

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