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ちっちゃな花束、お前に贈るよ。

チバユウスケが死んだ。高校のころからずっとすきだった。
わたしの血にはこのひとの声とグレッチの音色が流れていると本気で思えるほどすきだった。人生の中でなくてはならない出会いだった。
しばらく会ってはいなかったけれど、それでも一生すきなひとだった。
この報せを知ったのは、喫煙所。これ以上ふさわしい場所はなかったんじゃないかな。
わたしがラッキーストライクを吸っているのは、チバが吸っているからっていう理由でむかし軽率に選んだからだよ。
あのころはパッケージかっこよかったよね。銀の細いストライプがはいってさ。今では警告文でださくなっちゃったし、わたしはチルベリーなんてちょっと腑抜けた甘いラッキーを吸っているんだけど。
あまりに現実味がなかった。かなしいとかさみしいとかそんな感情が一発目に脳内にカットインしてくるわけでもなく、涙が出てくるわけでもなく、胸のまんなかあたりが浮遊するような、そしてそのまま一ミリも動かないような、そんな気分。たぶん真空の中に身を置くとしたらこんなかんじなのかもしれない。
食道がんだって聞いた日から、いつかはこんな日が来るのかもしれないとぼんやり感じてはいたけれども、だけど一度は戻ってくるだろうと信じていたし信じていたかった。だけどだめだった。だめだった。
事実を知らせる文字列がゆっくりとからだに溶けてただただ空しくなって、だけど空は青くて、煙草の煙がまっすぐ立ちのぼっていくのを見ていた。冬のつめたい空気は、からだに煙がまとわりつかなくて良い、なんて思いながら。

11/27に死んだって、チバのいない世界をもう8日間も生きていたなんて、あの声を響かせる喉も、そのむかし並木のスーツがしぬほど似合っていたときのままずっと細いからだも、くしゃくしゃ笑うすてきな笑顔も、もう骨や灰になってしまっていただなんて、この世界はむちゃくちゃだと思った。そのむちゃくちゃさがとんでもなくやりきれなかった。
55歳って、この人生100年時代にまだ半分も生きてねえじゃん。わたしのまわり、それくらいの年齢でばちばちに働いているおじさん、たくさんいるというのに。早すぎだろふざけんな。なんなんだよまじでなんなんだよ。そんなことをぐるぐると考えながら、事故だけは起こさないように社用車を運転した。
これから店舗の応援に入る予定だったわたしは、きっとこのあとふつうにお客さんに対してもスタッフに対してもいつもどおり笑って、そんなこと微塵もなかったことのように楽しげに過ごすだろう、そう思うと、自分という存在が支離滅裂になったあげくどこにもいないような不気味さと心細さを感じた。それでも時間は流れて人生は前に進む。不思議さと心強さ。とりあえず生きなきゃと思った。なんでか。

チバのすきなところ、これとかどれとかじゃない。生きているそれそのものがすきだった。声とか詩とか曲とかも言葉とか、だいすきなところはもちろんたくさんあるけれどそれよりももはや存在がこの人生への落雷で愛だった。若さってきっと永遠なんだって思っている。だって若いときに喰らったその衝撃、ずっとずっと鳴りやまない。

昨日の夜、仕事のあと、駅からの帰り道にシャッフルでThe Birthdayの「なぜか今日は」が流れてきて泣いた。チバが死んだと聞いてからはじめて泣いた。ほんとうにもうこの世界からいなくなってしまったんだと実感して歩きながら泣いた。

シンデレラに羽が生えて 飛び立ってった
クツは忘れっぱなし でも幸せだって

The Birthday『なぜか今日は』


という詩は抜群だった。
かっこよかったけど、声もしゃがれてたけど、新聞の訃報欄には不良っぽいスタイルで、と書かれていたけど、たしかに若頭みたいな風貌のときもあったけど、ロックンロールだったけど、やさしくてかわいくて上品でロマンティックだった。とんがっているようでまるく刺さる愛と平和がそこにあった。そういうところが書く詩から垣間見えるひとだった。
やりきれない。失ったものが大きすぎる。ロック界の損失がどうだかなんてしらねえよ(いや、それも事実だとわかってはいるのだけれど)わたしの人生の損失が大きすぎる。大きすぎるんだよ。ひとはいつか死ぬってわかっている。でも今じゃなかったよ。いや、チバの人生は今だったんだね。チバユウスケというひとは駆け抜けたんだと今は言い聞かせるしかない。
だけどさみしい。12月なんてそんな冷たい冬にいなくなるなんてとんでもなくさみしい。
まじで80歳くらいになるまで歌うって思ってたよ。

SNSはあまり見たくなかったからずっと見ていなかったけれど、今日はじめていろいろとポストを眺めてみた。ミッシェルガンエレファント、ROSSO、The Birthdayの動画なんかがポストされていて、これを見て心掴まれて聴くひともいるんだろうし、誰か掴まれてほしいとさえ思う。むしろ掴まれるべきなのだ。それくらい、この世にある素晴らしい音楽のひとつだった。
そういえばさ、骨になってもハートは残るって言ってたね。
ありがとうチバ。嫌がるかもしんないけど、チバとの出会いはわたしの人生にとって花束みたいなもんだったよ。ここまで生きてこれたからたぶんあれは祝福だったよ。
まあ言っても遠いひとだから、生きている意味そのものではなかったかもしれないけれど、生きていける理由のひとつではあったから。

「世界の終わり」も「ミッドナイトクラクションベイビー」も「シャロン」も「愛でぬりつぶせ」も「LOVE ROCKETS」も、ほかのたくさんの名曲もSNSで鳴り続けるだろうから、わたしはここにわたしのだいすきなラブソングを置くことにする。この短編小説みたいな詩!
ほんとうに最高の男だよ。またね。










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