建設業における「方法を考えること」は果たして重要なのか?

おはようございます。

少し間が空いてしまいましたが今回は、今まで何も思わず仕事をしていたのですが、最近になって疑問に思うことを記しておこうと思います。

建築設備の施工管理の仕事で、まず行うことといえば、設計図と工期から工事の計画を立てること(総合施工計画書の作成)から始まります(実行予算についてはまた別でお話します)。全体のスケジュールを見て「何を」「いつまでに」やらなければならないかを明確にします。

「何を」...という部分の中に施工要領書というものがあります。
工種に分けてどういった材料を使うのか?配管やダクトはどういった繋ぎ方をするのか?天井の中をどのようにして吊るのか?結露防止をするために、どのように保温をするのか?機器はボルトで吊るのか?鋼材で支持するのか?などなど、

つまり施工要領書とは施工の方法ですね。どのような方法で施工するのか、それを毎回考えているんです。
今までは思わなかったのですが、ここで疑問に思ってしまいました。

なぜ毎回考えないといけないの?


建物用途や建物の住所等現場としての「形」は毎回違います。ですが基本的な「施工方法」は一緒でなんです。それなのになぜなんでしょう。

今私が使っているパソコンに置き換えて考えてみます。「パソコン」が「現場」で、パソコンの「タイピング」が「施工方法」となります。

するとどういうことが言えるのかというと、、、

私たちはパソコンのタイピングの方法について毎回毎回パソコンを触る前に考えていることになります。毎回タイピングの指の置き方について議論し、エンターキーを押すのは小指でいいですよね?と確認の打ち合わせに時間を費やしていることになるのではないかと思うわけです。
毎回パソコンのキーボードの配置が変われば、議論する意味はあるかもしれませんがそんなパソコンはごくまれだと思います。

施工管理の仕事も一緒。建物の大きさや用途(パソコンの形やメーカー)は違うかもしれませんが、細かい施工方法(キーボードのタイピング方法)はどれも一緒なんじゃないかなと思います。
現場では毎回壁の貫通処理の仕方について議論します。毎回ALCの貫通の仕舞について議論します。前回の現場と全く同じことを今回の現場でも考えています。

「今までの現場と同じなので、施工方法も同じで良いのでは?」
「何が前回と違うのか?検討する意味が果たしてあるのだろうか?」

インターネットが普及し、色々な「知識」が簡単に手に入る世の中でこういった議論をする時間は、そこまで重要ではないのでないかと思うようになりました。「施工方法について考えることに意味がある」と教わりましたが、もう既に誰かが考えてくれていますし、その考えたことをインターネットを通じてすぐにアクセスすることができます。今まで建築設備業界を支えて、苦労して考えて下さった方々の知識が、今の私たちにはあるということです。

つまり、考えることを次のステージへ移すことが要求されています。
今私たちは実は「無知の無知」の領域にいるのだと思います。
仕事そのもののやり方や現場の体制等、もっと考えるべき事柄があるのではないか。知らないことを知らないのではないか?

建築設備に限らず、この建設業においては、、ということになるかもしれません。

今私が考えているのは、建築設備の施工管理の仕事について、全く違うやり方です。考えた人もいるかもしれませんしうまくいかないかもしれません。 逆に非効率になるかもしれません。

でも、、やってみないとわからないですよね?

5文字で表すと、、

「完全分業制」

です。詳しくはまた考えをまとめた上で、お話したいと思います。

仕事の仕方を根本的に変えなければ、何も変わらないですし、2025年でも残業100時間を平気で行っている業界になってしまう。今従事されているすべての建築設備の施工管理者の方々と本気で考えていきたい。本気でそう考えています。

最後に、自問自答してみました。
なぜここまで考えているのか、なぜここまで考えようとする自分がいるのか、

それは「私は建築設備は本当に面白い仕事だと感じている」と思うからです。



最後まで読んでいただきありがとうございます。
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