自分を大切にする、ということについての私なりの解釈

自分を大切にする、という言葉

「自分を大切にする」「自文を好きになる」「自分に優しくする」
このような言葉、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか…そしてこれらをどう実践すればいいのか悩み、その方法を検索したことがある人も少なくないのでは、と思います。
私もその中の1人です。
自分を大切にする、ということを難しいと感じていた私が、自分なりに考えたことを書こうと思います。もちろん私が今から書くことが正解とは限りませんし私の解釈を押し付けるつもりもありません。たった18年しか生きていない人の考えですので、聞き流す程度に読んでいただけたら嬉しいです。「自分を大切にする」ということに関する解釈は人それぞれです。自分自身の解釈を大切にしてください。

私なりの解釈


自分を大切にできない私

私は昔から自分を大切にすることが苦手でした。自分を常に追い込んでいないと不安になってしまうんですよね、、酷い時は7時間授業を受けた後2つの習い事に行きそのまま塾に直行…というように一分一秒を争うような生活をしていました。もちろんそんな生活で体が保つ訳がなく、あっという間に体調を崩しました。そんな時に出会ったのが「自分を大切にする」という言葉です。確か中学3年生の頃でした。ただこの時は言葉の意味を深く考えることもなく、「自分を大切にするってどういうことだろう」という疑問を頭の片隅に置いておく程度でした。

高校生になって(摂食障害、自傷行為)

体調は戻ったものの、高校に進級してからは様々な問題に悩まされました。
高校1年生の夏、家のストレスに耐えきれなくなり私は自傷行為を始めました。周りの人にバレるのは絶対に嫌だったので、よくある自傷行為のように幾つも傷があるわけではありませんでしたが、自分の体に傷をつけていたということは事実です。幸いにも癖になることはなく、数回切っただけで辞めることができたのですが、秋には摂食障害(拒食症)のような症状が出始めました。元々ぽっちゃりしていたわけではなく、BMI17〜18程度でどちらかというと痩せ型に分類されるタイプでした。ただ父親に「肥えた」と言われることが嫌になり、軽い気持ちでダイエットを始めてしまいました。ダイエットに関する知識がなく、ただ闇雲に食べる量を減らすという不健康極まりないダイエットでした。あっという間に体重が減り1ヶ月もしないうちにBMIは15に。この頃は体重が増えるのが怖く毎日カロリーのことで頭がいっぱいでした。幸いにも私は摂食障害という病気を知っていたので割と早い段階で気づくことができたのですが、「早く治さないと治りが遅くなる」という気持ちと「体重を増やしたくない」という気持ちで葛藤しながら、結局何も進展がないまま3ヶ月ほど過ごしてしまいます。体重を増やそう、と決意できたのは食べられなくなってから約半年後のことでした。病院には行けなかったのですが、摂食障害は薬での治療ではなく認知の歪みを治すことが治療となるので、ネットで認知の歪みを治す方法を調べて実践していました。一度は過食へ移行してしまいましたが、1年後には以前とほぼ変わらない食事をすることができるようになりました。そしてこの出来事をきっかけに「自分のことを大切にできる人になりたい」と強く思うようになりました。

自分を大切にする=周りの人を大切にする

自分に価値を見出せなかった私にとって「自分を大切にする」ということは簡単なことではありませんでした。受験生になると自傷行為が再発してしまい、色々な不調も出てきました。(詳しいことは1つ前の記事に書いてあります。)
色々な壁にぶつかり、それらを乗り越えた今だから思うこと。それは自分を大切にするということは周りの人が自分にしてくれたことに対して感謝することなのかもしれない、ということです。
正しい解釈かどうかは分かりません。
ただ自分を大切にすることが苦手な私は、こう考えると「自分を大切にしよう」と素直に思えるのです。拒食も自傷行為も、周囲の人に打ち明けたことはありません。しかし受験期に多くの人に支えて貰った、その経験を通して「周りの人が自分に費やしてくれた時間と感情を無駄にしないようにしたい」と思うようになりました。人生を終わらせることを考えたこともありますが、今は周りの人に教えて貰ったことや受け取った愛情を大切にし、他の人に分け与えることができる人になりたいと考えています。周りの人から貰ったものを素直に受け取り、そしてそのことに感謝する。それがいつか「自分を大切にする」ということにつながるのかな、と考える今日この頃です。

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