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3年間振り返ってみた

引っ越しまであと2日。この3年間、新卒で初めて働いた学校や地域のこと、忘れたくないので記録に残したい。

今書いていて、ちょっと泣きそう。いや泣いてる。それほど思い出が詰まっている。幸せなことだと思う。

かなり小規模な学校に採用になった。聞いたことのない地名、自分で手配して動いた初めての引っ越し業務、コロナ禍で目まぐるしい日々。期待よりも不安が圧倒的に勝っていた。歌わないでください、リコーダーもダメです、じゃあコロナ禍の音楽って、何ができるの?と、苦しかった。

そんな悩みより実際に現場へ行くと、授業より授業以外の仕事量の多さに現実を見た。「無理かも」と素直に思った。自分がイメージしていた「学校の先生」とは違っていた。始業式が始まり、子どもたちと顔を合わせる。授業なんかより生徒との信頼関係を作る方がもっと大事で、かなり大変だった。

無視されることもあったし、音楽なんて嫌いだと言われたこともあった。積極的に話しかけても「気持ち悪い」「うるさい」「前の先生の方が良かった」「なんで俺らの学年なの」と言われたこともあった。

ただでさえ1人で投げ出された環境なのに、子どもたちの言葉は重く刺さった。それが素直な感情ってことも知っていたから。トイレで泣いたこともあったし、1ヶ月は毎日帰宅して泣いていたこともあった。

それでも自分を出すことを恐れず、大好きな音楽の素晴らしさを伝え、嫌味を言われても「負けてたまるか」の精神で平日はやり過ごした。休日はライブハウスで爆音を浴び、自分を清めていた。

音楽の授業には悩むのに、やっぱり救ってくれるのは音楽だった。音楽教師なので音楽を聞いても誰にも何も言われない環境が唯一の救いだった。

そしてちょっとずつ子どもたちと距離が近づいたと思ったのは2ヶ月経ったくらい。

その当時所属していた学年の担任に「君たちとほとんど変わらない年齢の先生が、知り合いもいなくて新しい土地に足を踏み入れ、頑張っている。これからの君たちの手本になる人だよ」と帰りの会で言ってもらえたときに、変わった気がした。言われた時は泣きそうになった、ああ、私のこと見てる人もちゃんといたんだって。

私に対して反発していた子どもたちも、卒業時にはくれた色紙に「アイラブユー」なんて書いちゃって、初めと全然違うじゃん!って笑ってられた。私のことを無視していた女の子も「お姉ちゃんみたいでした、おせわになりました」と書いてくれた。笑った。ちゃんと笑えた。

笑えた私、強くなったなって思えたよ。

そこから2年が経ち、初めての担任も終え、この地域を離れようとしている。ありがたいことにここ1週間は毎日夜は送別会で予定がいっぱいで、地域と離れるのもすごく寂しい。「うちの息子と結婚してほしいと思ってたのに、彼氏いたのね!夢消えたわ(笑)!」と言われたのも嬉しかった。

初めて担任を受け持ったクラスの子達と卒業したかったなあと本気で思った。それくらい向き合った自信があるから。

「最初は先生が担任で不安でした」と始まった作文の最後には、「先生と修学旅行に行きたかったです」と書いてくれたのを読んだ時も言葉にならなかった。嬉しかったから。私が大好きなおぱんちゅうさぎもみんなが覚えてくれていて、送別会の景品に仕込まれていたり、プレゼントでもらったりしたのも愛おしかった。バレンタインにはおぱんちゅうさぎのクッキーを手作りしてくれた子もいた。

最後の学活では、学級のみんなから歌のプレゼントをしてもらった。きっと私が音楽教師だから、音楽を届けようと思ってくれたのかなと思うこの思考回路も愛おしい。歌詞は全然覚えていなかった様子の子もいたけど、頑張って歌ってくれていた。

唯一私の学級で歌った大切な曲だった。一生忘れないと思う。

3年目、やっと今の学校で地に足つけて、この学校の力になれるかなあって思っていたところだったから転勤は心が痛い。もっとこの学校にいたかった。

こんなことが思えるなんて、来た時は思っていなかったんだよ。人生何があるか本当にわからないね。

新しいところでも、この経験を自信にして頑張りたい。本当にこの仕事に対して色々思うことはあるけれど(笑)、私を先生にしてくれた周りには感謝しかないし、先生でいる時間が大好き。


最後まで読んでくれた方へ

お互い新年度がんばりましょう!



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