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私が会社の不味いコーヒーを飲み続ける理由

ある日、会社の休憩室にコーヒードリッパーが導入されました。コーヒー好きの自分としては以前から仕事中に淹れたての美味しいコーヒーが飲みたいと思っていました。ついに導入されたと歓喜していたのですが、実は落とし穴がありました。かなり不味いのです。

業務用の安い「粉」であるのと同時に、安いロブスタ種の癖のある味がとても邪魔です。店でドリップコーヒーとして出されたら二度と行かないレベルです。しかし、私はこれを飲み続けています。

コーヒードリッパーが導入されたのは、従業員同士の接点を作るのが目的でした。コーヒーを注ぎに行く時に普段は接点のない人との交流もできるだろうという計らいです。

「とりあえずやってみる」で始まったので、おそらく予算は最低限でした。家庭用のドリッパーと、激安のコーヒー粉だったのは想像に値します。味に限界があるのは当然です。

不味いと声を上げて飲まなかったらどうなるでしょうか。一人の行動の影響など些細かもしれません。しかし、それが積み重なると「コーヒードリッパーは置いても誰も使わない」と評価され、半永久的に設置されなくなるでしょう。そうなると「仕事中に淹れたての美味しいコーヒーが飲みたい」という欲求はこの会社のオフィスでは満たされなくなります。

意見はグラデーションする

話は変わりますが、ツイッターなどで様々な意見を拝見していると、私の考え方と致命的に相容れない意見がいくつかあります。そのひとつが「0か100かでしか考えられない」意見です。

例が飛びすぎますが、具体的な方が分かりやすいかと思うので、具体的に書きます。自民党の国会議員の行動に対する意見で特に強く違和感を感じます。

とある法案Aに強く反対をしている議員が居たとします。その議員はSNSやメディアを通じて強く反対を表明して意見を集めていました。しかし、いざ投票の場面となると法案Aに賛成の票を投じていました。私はこれを非難する声をどうも理解できません。

A案に反対する上でB案を出し、B案が5%盛り込まれた改正A案が採用されたとします。残念ながらB案は通りませんでしたが、5%は取り入れてもらえました。B案とは程遠い改正A案に反対するのは簡単でしょう。しかし、5%はB案の要素を入れてもらっています。最終的にB案を通すには、部分的にでも採用された改正A案を通すのが先決です。

B案を推してた人が改正A案に賛成しても全く問題だとは思いません。逆に最終的に改正A案に賛成した人が全部賛成だと思うのは早計です。

(ちなみにB案を提示せずに反対してたA案に賛成するのは愚かだと思います。)

意見というのは常にグラデーションです。最終的に白黒を付けなければならないのでかを表明しなければなりません。そこで考えなければならないのが白に近い灰色なのか、黒に近い灰色なのかです。

自民党に限っては白に近い灰色の意見であっても黒と決まったら黒を表明しなければならないようです。その点に限っては違和感がありますが、組織内の決め事であり、意見の統率が出来ている自民党の強みでもあると思います。組織外の人間では知れぬ事情もあるかと思うので、どちらとも言えません。これもまたグラデーションです。

満足でなくとも賛成票を投じ続ける

コーヒーの話に戻ります。

私は「仕事中に淹れたての美味しいコーヒーが飲みたい」という願いがある意味叶いました。しかし肝心の「美味しい」の部分が負の方向に振り切っているので、満足とは言えません。

それでもたまに「何でも良いから淹れたてのコーヒーを飲みたい」という時があります。その時はこのコーヒーでも満足できます。その時のためだけに私は会社のコーヒードリッパーを使い続け、味に満足せずとも飲み続けているのです。

私が次に取るべき行動は「不味い」を「美味しい」に変えることです。おそらく美味しい挽きたての豆を個人的に提供し続ければ、従業員がその味に慣れてくるのでグレードが上がるかもしれません。

従業員の舌が肥えたからといって予算が下りるとは限りません。大量に消費されるコーヒーを個人で持つのはコストパフォーマンスが悪すぎます。予算を補うための課外活動をするほど私も余裕はありません。何より一時的に良質な豆を提供できたとしても、急にそれを止めて飲まれなくなってしまったら本末転倒です。

私としてはそれよりも、自由に家で仕事をできるようにして自宅の台所で自分好みのコーヒーを淹れれる生活に振り切りたいです。私のコーヒー欲に関して努力するとしたら、こちらですね。

私は仕事中に淹れたての美味しいコーヒーが飲みたい。だから私は会社の不味いコーヒーを飲み続けます。

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