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絹田さんと今田くん

 駅前の安居酒屋。絹田《きぬた》さんは、狭い店内の壁際二人席でポテトフライを食べて待っていた。
「絹田さん、すみません。ちょっと残業で」
「先食べちゃった。今田こんだくん、何食べる?とりあえず生?」
じゃあそれで、と言うと絹田さんは大きな声ですみませえん、とマスク姿の店員さんを呼んだ。間も無くして、生ビールと、棒アイスを突き刺したラムネハイと、牛串やたこ焼きが届いた。豪快なラムネハイは絹田さんの大好物で、ここで飲むたびにこの、乱暴なフォルムの水色ジョッキを見ることになる。

「かんぱーい」
「お疲れさまです、かんぱーい」
ガチ、とジョッキをぶつけてから二人でごくごくと飲んでいく。キンキンに冷えたビールが喉を通り過ぎる。普段はビールは飲まないけれど、仕事上がり、絹田さんと飲むビールは夏の川のように爽やかだ。絹田さんは、アイスだけ残ったらダメだから、と半分くらいまで飲んで、また店員さんを呼んだ。ついでにハムカツやとり皮も次々と注文していく。

「それで、今日はどうしたんです?」
「社会にやんなっちゃったの」
「ああ、まあ最近はねえ」
そんな他愛もない話をしながら食べ進めていく。絹田さんはハムカツをどうにか分けようとしているが、分厚いハムは手強く、箸が折れそうなくらい曲がっている。
「かじっちゃっていいですよ」
「そう?じゃ、遠慮なく」
ぱっ、と嬉しそうに絹田さんが笑う。衣がすこしはげたハムカツを大きな口で、ざくっ、と噛んで、んんー、と唸った。絹田さんは見ているだけでよだれが出てくるほど美味しそうに食べる。
「俺も食べようかな、すみませーん」
ごめんね、と慌てて謝る絹田さんに全然、と返しながら注文しポテトフライに手を伸ばした。ポテトは厚めの衣でかりかり、中はほくほくと甘い。コンソメの味がしっかり付けられていてジョッキがあっという間にからっぽになる。

「これも食べて食べて。食べ放題だから」
「放題なんですか」
山盛りのとり皮串の乗った皿をぐいぐいと押して、その帰り道に一本連れて帰る絹田さんは可愛い。そのくらい美味しいのだろう。では、と一本取り、かじりつく。甘酸っぱしょっぱいタレを焼き付けたとり皮はパリパリと香ばしい。時々香る白ゴマがぷちぷちと食感にアクセントを添える。美味しい。顔に出てたのだろうか、絹田さんがたまごサラダの乗ったたこ焼きを片手に、こちらを見て満足げに笑っていた。

 絹田さんが、好きだ。もう数百年の仲になる。幼い頃から食べるのが好きな絹田さんは、栗や柿を拾っては俺を呼んで、山の割と低いあたりの木に寄りかかって食べていた。絹田さんは必ず、美味しいものだけを差し出す。事前に味を確認しているらしい。椎の実から始まった関係は、土がコンクリート に覆われても続いている。

「今田くん、おいしそうに食べてくれるからさ、また食べに来ようね」
もがもがとたこ焼きを頬張りながら絹田さんが言った。はほ、あづ、と格闘している。
「絹田さんがおいしいものばっか食べさせるから、すっかり肉がついちゃって」
「いやいや、もう少しお肉つけてよね。今田くんと並ぶとどっちがたぬきだか、一目瞭然っていうか」
「絹田さんはかわいいですよ」
「可愛いけどさー」
のれんに腕押し。あくまでも、幼なじみの間柄。
「絹田さん、今度、うちに遊びに来ませんか。このご時世ですし、宅飲みしましょうよ」
もう少し、押してみる。
「じゃあゲーム持ってくね!」
ううん、まあ、いいか。俺は餃子を鉄板から剥がしながら頷いた。

「ごちそうさまです。いいんですか?お金ほとんど払ってもらっちゃって」
「じゃあ、鯛焼きでも奢ってもらうかね。クロワッサンのやつ」
ぽんぽん、とお腹を叩きながら絹田さんが言った。デザートは別腹、と得意げにしている。ちょうど焼きたての、ぱりぱりとした鯛焼きを一つ渡して店の前で並んだ。
「葉っぱのお金でごまかせた時代が懐かしいねえ」
さくさくと鯛焼きを頬張って絹田さんが言う。
「今は、それやったら店がなくなりますもんね。さすがに気が咎めます」
「店には残ってて欲しいから、もりもり食べるしかないね」
「ずっともりもり食べてますよ、俺たち」
違いない、と絹田さんが笑った。口の端にパイ生地のかけらが付いていた。百年後は何を食べているのだろう。その時も、楽しいといいな。そんな事を考えながら鯛焼きにかぶりついた。

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