最高の恋人（11）Love学認定

　祖母宅から手紙が転送されてきたのは、それから十日ほど経った頃だった。
「菜々子宛にエアメイルが来ていたからそっちに送ります」
　祖母の添え書きと共に送られてきた封書の差出人の名前は、高良淳だった。
　菜々子は、不審な気持ちで手紙を開いた。

高樹優子様

　いや、菜々子ちゃんと書いたほうがいいよね。
　今、僕は、韓国にいます。日韓共同制作の映画に出演するために。
　君は、なぜ、僕が君にこうやって手紙を送っているかわかる？
　あの日、あのカフェで君に出会ったのは全くの偶然だった。まさか、君があの場所にいるとは思いもしなかった。
　でも、君を見たとき、「ああ、これは神様が、もう本当のことを伝えなさい」と言っているんだと思った。
　
　君は、なぜ、僕が御影の家の住所に手紙を送ったか不思議に思っただろう。それは君の住所がわからなかったから。
　そして、それが僕がなにものであるかの全ての答でもあります。
　君は、僕に手紙をこの一年、書き続けてくれた。
　その手紙の一部は思いもかけず僕のところに届いた。
　それが始まりだった。
　君は、天国にいる久世達也に手紙を書き続けた。
　書きながら、そのうち、彼が生きていて、高良淳という別人になっていると妄想した、でもそれが妄想でなかったら……

　四年前、僕は君に手紙を書きました。
　手紙を書いて投函してから樹海の入口をくぐった。もう二度と戻ってくる気持ちはなかった。
　疲れていた。もう早く楽になりたかった。樹海へ行けば死ねる。それだけしか考えてなかった。
　樹海に入り、幾夜も過ごしました。君のことだけ考えていた。君との楽しかった思い出ばかりが蘇る。御影の家で初めて会った日のこと。東京で再会したときのこと。
　若さというのは残酷ですね。
　途中で何人かの死体を見ました。肉体が朽ち果て無残な姿を露呈していた。それを見るたびに、もっと奥へ、奥深く誰にも見つからない場所へ行こうと歩き続けた。自分の若い肉体に残る体力も気力も使い果たすかのように歩き続けた。疲れて眠り、また朝が来て自分がまだ生きているということを知る。そのうち、昼なのか夜なのか、それすらもわからなくなり、ただこうやっていればいつか死ねるだろうと、死だけを考えていた。

　どこをどうやって歩いているのか見当さえもつかない。
　あるとき、広く開けた場所に出た。
　人の声がして、僕は避けるように別の道へと行こうとした。
　すると、強い力で引っ張られた。
　それがこの世界へ戻ってくるきっかけです。
　今の事務所の社長に拾われ、人生をやり直せと説得された。今までの人生の顔も名前も捨てて、別人になればいい。
　別人になる。
　自分の顔を作り替え、名前も捨て、新しい自分に生まれ変わる。辛いことばかりだった久世達也という人間の人生に別れを告げる。
　一度転がり落ちた日本という社会へ、もう一度、別人になって戻っていく。
　新しい場所、新しい人生を手に入れる。
　そのとき、僕は、自分が生きたいと思っていることに気がついた。
　生への執着が無意識に中にあったから、薬も使わず、首を吊ることも選ばず、飛び降りることもせず、ただ樹海の中で朽ち果てようとしたのだと気がついた。樹海で生まれ変わりたかったのかもしれない。

　僕は、高良淳として生まれ変わりました。そして社会に戻ってきた。
　それからの四年間は必死で生きてきた。
　久世達也という人生を忘れる為の四年間だった。
　自分が達也であることを思い出さない為に、死ぬほど働いてきた。
　少しでも振り返れば、達也の影が自分を追ってきそうで怖かった。
　達也が決してしないことをして回った。
　深酒を飲み、女遊びもした。
　自分が芸能人として手に入れた特権を使い、人の気持ちを試して生きてきた。
　あの頃、決して手に入れられなかったもの。ブランド品を買いあさり、高級車を乗り回し、高級ホテルを常用した。
　アイドルとして手に入れられるものは全て手に入れるような人生を送ってきた。
　それでも心は満たされなかった。
　人からチヤホヤされ、欲しい物を与えられるような生活を手に入れても、幸せにはなれなかった。
　そんなとき、君からの手紙が届いた。
　君の手紙は、死んでしまった達也に向けて思い出を語るように書いてあった。その一つ一つの場面が鮮やかに僕の記憶の中に立ち上がった。
　君の書いた十通余りの手紙を貪るように読んだ。決して振り返りたくなかった過去に自分の幸せがあったことを自覚した。
　高良淳として、君を欺き、生き続けても何の幸せも得ることは出来ないのだと知った。
　君をあれだけ傷つけたのに、君は達也をまだ愛している。自分の心をズタズタに傷つけた相手との思い出を大切に心にしまっている。
　手紙の中に書かれた君の気持ちが溢れて、僕は、初めて達也に戻りたいと思った。達也に戻って、あの頃の自分を取り戻したいと思った。

　君に会えるとは思わなかった。でも会ってしまった。
　君は、あの頃と何も変わらない笑顔を持っていた。君の屈託のない笑顔が大好きだった。思い出の中の君が目の前にいる。
　そう思うと、もう自分の気持ちを止めることはできなかった。
　あのカフェに行ったのは一つの賭けだった。
　もしかしたら、君があの日、カフェにくるかもしれない、そう思った。
　もし、あの日、会えなくても君には手紙を出すつもりだった。
　達也は生きていると伝えたかった。
　いざ君を目の前にしたら、何も言えなくなってしまった。
　勇気がなかった。
　自分が達也だと言ったときの君が、それを受け入れてくれるか自信がなかった。だから、僕は君にできる限りのヒントを渡した。「ホビットの冒険」と「レモンタルト」
　タルトの食べ方は、僕独特のものだと知っていた。君を始め、いろんな人から指摘されていたからね。昔、達也だったときから、いろんな人に不思議がられた食べ方だった。その食べ方を君に見せることで、君に僕が何者かを感じて欲しかった。それ以上、僕の口から君に告白する勇気はなかった。だからこうやって手紙に書いている。
　僕は弱い勇気のない人間なんだ、昔から。
　だから、現実から逃げ、君からも逃げ、別人になることを選んだ。
　別人になって少しは強い人間になれたかと思ったけど、本質は変わらない。やっぱり僕は久世達也なんだ。
　
　韓国から帰ったら、勇気を出して君に連絡するよ。
　御影のおばあちゃんに君の連絡先を聞いてね。
　今の仕事が終わるのは秋口です。それまで僕は日本に帰らない。
　君に今度は韓国から手紙を出し続ける。天国へ行き損なった達也として。

　何が本当の幸せなのか、自分が何を求め続けていたのか、君の手紙は僕に教えてくれた。
　本当にありがとう。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　久世達也

　

　菜々子は、手紙を抱きしめた。
　記憶にある懐かしい柑橘系の香りがした。
　昔、達也に会えば必ずこの香りがした。大好きだった。
　目を瞑れば、達也の顔が浮かんだ。

　達也の手紙と一緒に熊川から大きな封筒が届いていた。
　そこには、今まで提出した手紙と一緒にメッセージが書かれてあった。

菜々子君、
君が自分の気持ちを正直に手紙に書いたことで、「最高の恋人」を手に入れたんだ。
1年、よく頑張りました。
僕は、高良くんが羨ましいよ。

脇坂菜々子様

　「Love学　優を認定する」　

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　了

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　

※参考資料　
　北川悦吏子「天国への郵便配達人」
　韓国ＭＢＣドラマ「ドクターJIN」
　森川友義「恋ゴコロのすべてがわかる早稲田の恋愛学入門」
　早稲田オピニオン　森川友義「大学生の恋愛事情と恋愛学のすすめ」
　早稲田大学シラバス「恋愛学」
　ウェブサイトNAVERまとめ　森川友義「恋愛学の教授が指摘する非モテ女子のNGポイント」

引用文献
　東野圭吾「白夜行」