なぜ、偏差値47から早稲田を目指したのか?

こんにちは、やまこーです。

生徒から時々される質問で、僕自身の気が引けてしまうものがひとつあります。

それが

==============
「なぜ、早稲田大学を受験したのですか?」
==============

この質問です…

結論から言えば、大した意味などなく
「勘」
「自己満足」
ということになってしまうと思います。

つい、この前、同じくこの質問をもらい、
「僕の回答はまったく役には立たないだろうけれど、またこの質問に答えなければならないのか」
と思いながら、

一応、当時の気持ちや感情、テンションなどを思い出しながら丁寧にひとつひとつ言葉にしました。

すると、思ったよりも生徒の反応が良く、、、

「マンガみたいな展開ですね!」
「自分にはない視点だったので参考になります!」
と、

意外とポジティブな反応をもらえました。

なので、他にもこの話が役に立つ人がいるかもと思い、恥を忍んで書きます。

今回書く内容が、
・あなたの志望校選びの視点
・なんの迷いもなくただ志望校の事だけを考えて突き進むことができる。

などなど、

『あなたが納得できる自分自身や人生』に近づく手助けになれば幸いです。

僕が早稲田大学を目指した最大の理由は、

『これまでの中途半端な自分を変えたかった』
『どこの大学でも合格できるチケットをもらったとしても早稲田に行きたいと思った』

この2つです。

まず、僕は非常に中途半端な性格です。

小学生ぐらいの頃からたくさんの習い事をしました。

水泳、ピアノ、英会話、塾、野球、少林寺拳法など。
親が薦めてくれたものにはとにかく首を縦に振り、始めました。

「断ったら、親に嫌われるかもしれない」と思っていたからです。

ちなみに、親にめちゃくちゃ厳しくしつけられたとかもなく、家庭にトラブルとかは一切ありません。勧められた習い事を断ったくらいで叱られるようなことは100%ありません。

どちらかと言えば、ありがたいことに今どき珍しいくらい円満な家族だと思います。

両親の仲は良いですし、僕が困ったことがあれば相談にも乗ってくれます。

しかし、当時の僕は習い事を断れば嫌われると勝手に思い込んでいて、親の勧めでたくさんの習い事をやりました。

これが後々どえらいコンプレックスを生み出すことになります。

いろいろな習い事をしましたが、そのすべてに僕の意志はなく、「勧められたから始める」そんな感じでした。

自分の意志がないので、当然向上心もないです。

向上心がなければ当然、上達もしません。

上達しないので、何かしらの結果を出すこともできません。

「やってはいるが、結果は出ない。そもそも、やり切ったわけでもない。」

こんな状態がずっと続いていたので、中学生ぐらいの頃には、自分自身のことを

『自分は何をやっても結果を出すことはおろか、やり切ることすらできない中途半端な人間』

と考えていました。

これを読んでくれているあなたが、考えたり経験したことがあるかはわかりませんが、

「自分が自分を認めることができない」
「自分が自分を好きになれない」
「自分が自分の価値を分からない」

これは死ぬよりも苦しいです。

なぜ生きているのかもわからないし、
どうせ人生を生きていて何もできないなら
死んだ方がマシだとか考え始めます。

そんなわけで、

「中途半端な自分を嫌いなら、自分を変えればいいだけの話だ」
「自分が自分を認めてあげられるようになれればいいだけの話だ」

と思いました。

僕の場合、自分が自分を認められない最大の理由が、

『自分の意志でやると決めたことを、自分の意志で最後までやり切って達成する』

この経験がひとつもなかったことです。

『自分の意志でやると決めたことを、自分の意志で最後までやり切って達成する』

これをどうやって達成しようかと考えた時に、
たまたま目の前にあった"機会"が受験です。

もしかしたら、受験じゃなくても、
部活で「この大会でこの成績を修める」
とかでもよかったと思います。

勉強よりも好きなことや得意なこと、よくできることがあるなら、その分野で挑戦していたと思います。

たまたま受験(=機会)があったので、飛び込んだだけです。受験は手段です。

「やると決めて達成する」

これができれば中途半端な自分を変えることができたと言えると思いました。

やると決めて達成するための機会として、受験が目の前にある…

では、「受験で何をやると決めて、達成するか?」これが重要になってきますよね。

当時偏差値が47程度だったので、偏差値50くらいの大学を目指すのが妥当なところですが、

そんなやれそうなことをやったくらいで中途半端な自分を変えたとは言えない、

やるなら到底ムリで、合格までに逆境しかない志望校でなければやる意味が全くないと思い、

それで、志望校を「早稲田大学」に決定しました。

別に早稲田以外にも僕にとっては合格まで逆境しかない大学はたくさんあったのですが、

「どこの大学でも合格できるチケットを持っているとしたらどうするか?」と考えた時、

「俺はそれでも早稲田に行く」と自分の本音が聞こえて来たので早稲田にしました。

ーーーーーーーーー

以上が志望校を早稲田に決定したきっかけです。

志望校を決める時、
考えてしまうことはたくさんあると思います。

現状の成績とかお金のこととか、親や先生の意見。

たくさんあると思いますが、

それでも

「自分はどうありたいのか?」
「結局、自分はどうしたいのか?」

ここが明確でなければ、頑張るということそのものすらできません。

受験に限らず、これらの軸がなければ人生のどこかでエグイ限界にぶち当たることになると思います。

自分は早稲田に行きたいけれど、
親が偏差値50程度の大学に行けと言っているから、早稲田を受けずにそこを目指す。

そんな状況なら、自分自身がどんなに頑張っても100%早稲田に入ることができません。

自分を曲げるということは、どんなに頑張ったとしても100%自分の希望が実現しないということです。

そんな挑戦に一体何の価値がありますか?

「自分はどうありたいのか?」
「自分はどうしたいのか?」

志望校の決め方というのはいろいろあると思いますが、僕はこの2つが明確になっていれば大丈夫だと思いますし、

受験に限らず『人生』というスパンで見た時にまず考えてみてほしい要素です。

それでは今回はこんなところで!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?