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28年前の幻の長野駅を見つけ出す。

1997年の北陸新幹線開業に合わせて計画された内、実現せず幻となってしまった長野駅の姿を探したのでそのまとめ。


長野駅について

長野駅は、長野県長野市にある駅です。
長野市と北信地域の中心駅で、北陸新幹線、JR在来線、しなの鉄道、長野電鉄が乗り入れる、長野県最大のターミナル駅です。

1997年の北陸新幹線(高崎~長野)開業に合わせ、駅と駅周辺市街地を含めた大規模な整備計画が策定されました。

善光寺口

長野駅には大きく分けて二つの出口があります。
一つは、北西にある善光寺口。
1996年と2015年に全面的な改築が行われており、一部のペデストリアンデッキを除き、おおむね北陸新幹線開業時の計画通りの姿となりました。

夜の長野駅善光寺口。大庇が反則的な美しさ。

東口

もう一つは、南東側にある東口。
1996年に橋上駅化する以前は、東西連絡地下道への入口のみの出入口で、駅周辺の古い住宅街に隣接していました。
現在は、白馬や地獄谷方面へ向かう特急バスや高速バスの発着口となっています。

長野駅東口。ペデストリアンデッキで出てくる。

この長野駅東口は、1996年の長野駅整備計画で計画された構造物の多くが建設されず、2017年に「現状で充分な機能を果たしている」として、未整備のまま整備終了となりました

結果として、1996年に計画された長野駅東口の真の姿は幻となってしまったのでした。

本来の姿を探す

そうなると、気になるのはどのような姿になる予定だったのかです。

長野駅東口の整備事業は、完了までに複数回の計画見直しがあった上に、リニューアルされた長野市webサイトにはアーカイブが残されていません。
さらに、都市計画決定はインターネットが普及していない1993年のため、当初予定されていた整備計画を知ることは相当ハードルが高くなっています。

そこで今回は、国立国会図書館のインターネット資料収集保存事業のサービスを利用しました。
これは、過去のwebサイトのアーカイブを保存する事業で、公的機関や団体のwebサイトが検索可能な状態で保存されています。

国立国会図書館のwebアーカイブページのキャプチャ。
一部しか保存されていない年度もあるので注意。

ここで資料を漁っていくと、2004年の長野駅周辺整備局のページに、長野駅東口周辺の整備イメージイラストの掲載されたPDFファイルを見つけることができました。
行政の広報誌であってもイラスト等には著作権があるため、参考となるファイルのURLを記載します。

これらのファイルに記載されたイメージ図から、当時の長野駅東口とその周辺が、どのような整備を想定していたかをまとめました。

現在の姿

現在の長野駅東口

現在の長野駅東口のペデストリアンデッキは、東口の出口周辺と、向かいのビルへ接続する部分、そして交差点を渡った先の歩道橋部分だけとなっています。
また東口の西側には、JR東日本長野支社の社屋ビルをはじめとした建物などが整備されています。

GoogleMapsに加筆。
緑が現在存在するペデストリアンデッキ。水色が建設されたビル。

このうち、長野駅と接続されていない東側のペデストリアンデッキについては、当初から「横断歩道橋」として整備されました。(1998.08.11 街づくりだより ひがしぐち[地元説明会について・駅南幹線開通]

飛地となっているペデストリアンデッキ。
豪華なエレベータ付きな点からも、駅直結の計画であったことが伺える。

このペデストリアンデッキは、エレベータ以外にも当時の計画を伺い知れる広場が存在しています(後述)。

建物に関しては、1994年にJR東日本長野支社の社屋ビルが整備されました。
その後、2014年に北陸新幹線延伸に関連して、JR東日本長野支社の総合事務所ビルと、ユメリアバスパーク、ユメリアバスパーク前公園が整備されています。

GoogleMapsに加筆。

このうち2014年に整備された箇所は、1997年以降から駐輪場として半ば放置されている状態でした。
1996年時点では、この部分にも別の建物が計画されていました。(後述)

本来の姿

計画された長野駅東口

1996年時点では、現在の倍近い広さのペデストリアンデッキを整備する計画でした。
また、現在のユメリアバスパーク付近にも規模は不明ながら、JR東日本の支社社屋とは別にビルが建設され、ペデストリアンデッキと接続される計画でした。

GoogleMapsに加筆。
緑が現在整備されている部分。赤が整備されなかった部分。青が資料により存在が異なる部分。

一部が整備されなかった理由については、限られた予算と工期で、1998年の長野オリンピックに間に合わせるためであったと推測されます。

これは善光寺口も同様で、北陸新幹線の金沢延伸に合わせ、2013年に現在の駅ビルの建設が決定しました。

現在の風景からはどう見えるのか

現在のペデストリアンデッキからは、どのように見えたのでしょうか。
今回の調査では、詳細な図面が発見できなかったため、完成予想イラストから大体の見え方を加筆してみました。

GoogleMapsに加筆。
撮影場所は①〜③

まずは①の未整備デッキの接続部分より。
この部分は、現在の階段の横から東口タクシー/バス乗り場上空を通過し、ロータリーの奥まで向かう計画でした。

デッキには、一部に屋根も設けられ、途中2箇所に階段、1箇所にエレベータが設置される予定となっていました。

①より北東方向を撮影した写真に加筆。
整備済み区間との接続箇所に、予備工事の痕跡は見られなかった。

次に、道路を渡った先の②より。
東口ロータリーの外周上空を大きく回る構造がよく見える構造になったと考えられます。

②より北東方向を撮影した写真に加筆。
絵が下手すぎるが、一応コの字方になっている(ように見てください)

この写真の右手方向には、計画資料によって存在したりしなかったりする階段がある場所となりますが、現在はエレベータが設置されています。
これについては、ペデストリアンデッキの接続先となっている、長野駅東口商店街が整備されたために計画が変更されたものと考えられます。

最後に、③の飛地のペデストリアンデッキより。
この場所は、未整備のペデストリアンデッキが接続可能な広場が存在する構造となっています。

③から北西方向を撮影した写真に加筆。
この先の角は、単純な通路ではなく広場となる計画。

この後方にも、計画資料によって存在したりしなかったりする階段が設置される予定でした。

整備計画の痕跡

当初は、暫定型として整備された長野駅東口のペデストリアンデッキですが、予備工事などの痕跡がかなり少ないのが実情です。

ですが、一部にはこの整備計画を知っているとそうとしか見えない構造物も残されています。

①ユメリアバスパーク前公園の敷地

ユメリアバスパーク前公園は、2014年のバス送迎場整備に関連し、長野オリンピックの記念公演として整備されました。
この公園に東口に建設される予定だったビルの用地の痕跡が見えてきます。

長野オリンピックの記念碑。2014年に公園とともに整備された。

公園の敷地を航空写真でよく見てみると、交差点に対して不自然な角がついた敷地であることがわかります。

GoogleMapsより。
交差点に対して角が落とされている。

これは、建物を角地に建てる際の「隅切り」を行なった用地であると考えられます。
多くの隅切りは、削った角が車道になるように行われるので、長野市が土地を最初からこの形で設定したものと考えられます。

東口の北東方向の建物の角をみると、同様に角を落としたような用地となっています。

GoogleMapsより。
同様に角が落とされた用地となっている。

これが一つ目の痕跡。
具体的にどのようなビルが建つ予定だったのかは、もはや知ることはできません。
イメージイラストでは、この隅切り地をいっぱいに使用した、現在のJR東日本長野支社社屋ビルと同様の高さで外枠が描かれています。

②地下駐車場への階段

長野駅東口には、ペデストリアンデッキの整備と合わせて建設された地下駐車場が存在します。
その地下駐車場への階段の一部は、このペデストリアンデッキの階段に合わせたと考えられる位置に独立して整備されています。

GoogleMapsに加筆。
赤枠で囲った階段が、ペデストリアンデッキの階段直下になる予定だった……?
北東側の階段。一見何の痕跡もないように見える。

ペデストリアンデッキの階段の直下になると考えられる理由としては以下の通りです。

  1. ペデストリアンデッキの完成予想イラストの階段位置が重なる。

  2. 整備された箇所の階段が同様の構造となっている。

2については、他の地下駐車場への階段が、いずれも整備済みのペデストリアンデッキからの階段直下に設けられている構造からの推測となります。

タクシー/バス乗り場前の階段直下にある地下への階段。

これら既設の階段は、ペデストリアンデッキの下り方向と、地下駐車場への下り方向が同一になるように設置されています。
独立して整備された地下駐車場の階段も、未整備となったペデストリアンデッキの階段の下り方向と同一になる下り方となっています。

結局のところ、詳細な計画図がない限りは確実に「予定地である」とは言えませんが、階段となる場所であった可能性は十分に高いです。

③飛地ペデストリアンデッキのエレベータと広場

先述したように、飛地のペデストリアンデッキにある、エレベータと謎の広場が、かつての計画の痕跡となります。

長野駅側から見た飛地のペデストリアンデッキ。
①はエレベータ、②が謎の広場。

この飛地のペデストリアンデッキについては、横断歩道として整備されたと記載しましたが、合わせて「人工地盤に関連した部分を整備する」と記載されています。

飛地ペデストリアンデッキ中央の広場。

この飛地ペデストリアンデッキの広場については、長野駅方向からの通路の接続点として、あらかじめ建設されたと考えられます。

また、この広場のみ断面形状が垂直となっており、明らかに他のペデストリアンデッキの接続を考慮した構造となっています。

広場の断面形状。
垂同様の構造は善光寺口でかつて未整備だったペデストリアンデッキでも見られた。

そしてこの広場に接続されたり、されなかったりする階段については、更なる計画ととある噂が存在していました。

更なる計画の噂(余談)

長野市の新交通システム?

宇都宮でLRT構想が発表され注目された際、同じく注目されたのが長野市でした。(現在はBRTや既存バス路線改良の方向にシフト)

長野市は川を挟んで南北に市街地が広がっていますが、南の松代地区方面からの公共交通はバスがメインとなっています。
この区間のバス路線は、便数、利用者数、そして道路の混雑度も高く、1997年以前から長野駅東口を起点に、LRTやモノレールなどの新交通システムを整備するという構想がありました。(個人サイトの資料、長野市の資料等に記載あり(いずれも現在閲覧不能))

国土地理院webサイトの地図に加筆。
青線が想定されていたルートの一つ。近年にはLRTによる旧屋代線活用案も存在した。

そして「新交通システム長野駅の予定地は既に確保されている」との噂がありました。

新交通システム長野駅の予定地?

注意:以下の項目は、現在明確な情報、資料が残されていないため筆者の推測が含まれます。

その場所こそが、先に挙げた飛地ぺデストアリンデッキのある、長野駅東口交差点の中央分離帯です。

赤で囲われた部分が駅予定地と言われた場所。
2024年現在は、親水公園となっている

この中央分離帯については、2020年に親水広場を含む栗田緑地帯として整備されていますが、それ以前はどこからも進入不可能な謎の空きスペースとなっていました。

国土地理院webサイトの2010年の航空写真より抜粋。
南に横断歩道が接続されているが、当時はフェンスに囲まれ、どこからも入れない状態だった。

飛地ペデストリアンデッキに接続されたり、されなかったりする階段は、現在のような親水公園へのアクセス路ではないかと考えられます。

飛地ペデストリアンデッキから親水公園方向を見た図。
公園へは奥の交差点の横断歩道でのみアクセス可能。

長野市の想定した新交通システムは、道路上を活用したものと言われていました。そうすると、この緑地に作られる新交通システムの長野駅も、高架構造であると考えられます。

計画案によって階段の有無が異なるのは、将来的にこの駅の設置を想定したものだったのではないでしょうか。

結局この場所はなんだったのか

結局のところ、この中央分離帯が新交通システム駅予定地であるという明確な情報は発見できませんでした。

飛地ペデストリアンデッキから降りる階段が存在する「」「2005年度版 長野駅周辺第二区画整理事業紹介」の1ページ目のイメージイラストでは、この中央分離帯は公園として描かれています。
同イラストは東口商店街が描かれておらず、1996年以前の案のイメージを使い回していると考えられます。
対して1996年のイメージイラストでは、東口商店街前のエレベータが描かれており、中央分離帯が公園であるような描かれ方もされていません。

このことから、以下の流れが考えられます。

  1. 当初は中央分離帯は公園として整備する予定であった。(1996年以前)

  2. 新交通システム整備計画が浮上し駅予定地となった。(1996年頃?)

  3. 東口ペデストリアンデッキ整備が暫定型のまま終了。(2017年)

  4. 調査の結果、軌道による新交通システム計画が断念される(2019年)

  5. 中央分離帯が、当初の計画通り公園として整備される。(2020年)

そうすると、階段の有無なども合わせて、何となく辻褄があっているのではないか……?と思えてきます。
とはいえ、新交通システムに関する資料が残っていない今となっては、全てが予想、妄想の類でしかありません。

ここに改札ができていたのだろうか?
もう実現することはない。

注意:以上の項目は、現在明確な情報、資料が残されていないため筆者の推測が含まれます。

まとめ

ボツになった都市計画などは、往々にして記録に残らず消えていきます。
長野に新幹線がやってきてから2024年で27年となり、わずかに残ったかつての夢の痕跡も徐々に消えつつあります。
幻となった長野駅の姿を、少しでも記録に残せれば幸いです。

参考サイト

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