14. 入院準備 ~自家再建者のブラ事情~

 8月に入るとすぐ、市役所に限度額申請の手続きに行った。
 入院は下旬と分かったことだし、それまでに市の特定健診に行っておこう。手術前の自分の状態を知るのにも丁度いい。
 数年前から何度か利用している内科中心の総合病院は、院長と副院長以外全て他の病院からの助っ人で構成されている。それなりの構えの割に待合にいる患者は朝のピークを過ぎるとまばらになり、待ち時間が少なく、かかりつけ医のない私にとって簡単な検査を受けるにはうってつけだと思う。少しがさつな副院長は苦手だが、その前に一度診てもらった院長の印象は、穏やかで悪くなかった。もちろん副院長の居ない日を選んで受診する。

 「手術するの、あそこでしょ?あそこでしょ?」
 乳癌手術を控えていることを告げると、当然のように、この地域のがん診療連携拠点病院をあげた。違うと言うと
 「なんでー!!紹介したのにぃー!」
 手術予定日が下旬と知ると
 「え!?検査したの4月でしょ?手術が8月なんて遅いよー。あそこなら、非浸潤だったらどんどん手術してどんどん退院してるよ。紹介したのにぃー。」
 はぁ私が術前に質問の時間もらったから…、とか、病院のご都合がおありなのかなー、などと生返事を繰り返していると、やっと我に返ったようで
 「そうだね。いろいろ事情があるよね。」
 と、話を終わらせた。

 専門医でない医師の態度はこんなものかもしれない。でも今の私には結構キツイ。
 そしてこの院長と副院長の内診では、服を大きく開かなければならなかった。以前院長の息子が手伝いに入っていた時は、患者に触れるのは最小限で聴診器は服の上から、首のリンパも触らず、診察台で行う腹部の触診もなかった。毎回そうだと思い込んでいたら、翌年の副院長の内診で背後に回った看護師から問答無用一気に服を首元までたくし上げられ、おっぱいブリリン状態で固定されたのには吃驚した(当然ながら診察台ではショーツを陰毛付近までずり下ろされた)。
 来年の特定健診をここで受けたらどうなるだろう。再建後の胸を見られた上で、悪気なく不用意で興味本位な言葉を掛けられるだろうか。
 もうこの病院には来ない。


 翌3日、取引先のCさんと打ち合わせ。来年スタートの企画の話だ。制作は10月過ぎ頃からになりそうで、色々なタイミング的にも丁度良い。
 先日の形成外科での術式の話をすると、「乳頭組み立て」のあたりで、工作好きのCさんは俄然興味が湧いたようだった。うん、面白いよね。私もちょっと楽しくなったもの。
 人間の体が工作のように組み立てられながらも生着し、それが成長や変化していくなんてね。

 一週間ほどして特定健診の結果を聞きに行く。診察は他院から来たバイトの先生。検査結果は全て異常なし。
 「しいて言うなら血圧が低いことかなぁ…。」
 あまりに話すことがなさ過ぎて、申し訳程度に添えてくれた。カルテにある乳癌手術予定の記述も目にしたようだったが何も触れられず。1分とかからず診察室を後にした。

 そうこうしている間に、生理がやってきた。先月より10日も早い。ストレスなのかな。でもこれで入院中の生理問題は解決!素晴らしい。あの馬鹿げたアタフタも杞憂に終わった。


 13日、Z病院より入院日決定の電話が入った。やっぱり手術は22日。
 いよいよ入院準備に向けて気もそぞろだ。親の付き添いは経験したものの自分が入院するのは初めてだった。今まで大きな病気や怪我をしたことがない。

 入院中の生活が知りたくて、乳癌患者のブログを覗いてみる。
 乳癌に罹患した人のブログは検索すれば山のように出てくる。匿名性を活かしてみんな屈託なく状況を語っているが、癌だけではない。他の病気のこと、生活のこと、家族のこと。複雑に絡み合っていて乳癌の話だけを切り離すことはできず、その分とても生々しい。
 クリニックでの検査で何度もグレー判定を受け続け、数年後に骨転移までいってしまった人の体験談が出てきた。検査の精度、医師の判断、患者の知識や決断、医師と患者のコミュニケーション。診断までには様々な要素の積み重ねがある。幾度かの選択を経て誤った道に辿り着く…明日は我が身とも思えた。
 また、術後の結果はステージⅠだったのがひと月も経たないうちに遠隔転移が見つかり一気にステージⅣになってしまった20代の女の子。すぐさまセカンドオピニオン、丸山ワクチン、食事療法…と走り出していく。
 そういったブログが、ネット上に浮かんでは消えていた。体験談には気持ちが引きずられて、震えるほど怖かった。なるべく必要な情報だけを探して見るようにした。

 入院中に必要なものも買い揃える。
 前開きのパジャマはここぞとばかり、長年のお気に入りのショップのもの。普段用には高くて手が出せないのを、セール中をいいことに調子に乗って3枚。あともう1枚は安いところのでガマン。病室内の体感温度が分からないので4枚とも長袖にした。

 そして問題のブラジャー。退院時果たしてどうやって帰ればいいのか。背中と胸の脇と乳頭に傷があるのにブラジャーって。検索すると、乳癌専用の前開きのタンクトップ型ブラジャーというのが出てくるのだが、これがまぁダサい。生地が分厚くて、色が肌色か野暮ったいピンク。絶対要らない。せめて黒とか紺があったらいいのに。放射線治療でマーキングの色移りに困っている人もいるのに、なんで黒い下着作らないかね。
 乳癌患者用のブラジャーというと圧倒的に再建なしかインプラント向けに作られているものが多く、自家再建向けに薦められているものは特に無かった。術後安定すれば自家再建の人ならどんなブラジャーでも着けられる。そうなんだけど、私が欲しいのは、退院から傷が治るまでのなんだよぉぉ!
 検索しまくったものの、乳癌用と銘打つ中では好みのものが見つからなかった。ユニクロのブラトップやスロギーで代用している人もいるようだが、ユニクロはゴム部分が傷に当たるし、スロギーのピッタリ加減は暑い夏の肌には厳しそうで、どうにも使う気にならない。

 そんな中で唯一良かったのがFleep。柔らかいコットン素材で、縫い目もタグも全て表に出してある。元々肌に優しい製品作りにこだわったメーカーのようで、珍しく展開している前開きのブラジャーが術後や診察にもぴったりだと幾人ものレビューがあった。ブラジャーはカラーバリエも豊富(黒に近いセサミや紺もあった)、価格もお手頃。デザインがシンプルなのもよかったし、肩紐がキャミソール型に開いているものがあるのもよかった。ただ在庫が少なく、オフィシャルらしきサイトでは入院までに次の入荷が間に合いそうになかったので、またまた探しまくって、癌患者向け商品を扱う個人運営サイトで見つけた在庫のラスト1点を慌てて購入した。

 そこから届いて不思議に感じたものに、同梱された人参ジュースの宣伝チラシがあった。どうやら癌には人参のβカロテンがいいとかで、癌になると無農薬の人参ジュースを作って飲む人が多いらしい。
 βカロテンは油と一緒に摂取した方が吸収されるのに、何故ジュースじゃないといけないんだろう。食べるのじゃダメなの?毎日生野菜の汁飲むのって相当キツイよ。それに果物や蜂蜜を入れたりすれば、糖質もそれなりに上がってしまう。人参だって糖質高い野菜じゃん。
 だいたい、“健康を考えて毎朝スムージー”とかいうのも、私には全く理解が出来ない。朝に冷たいものを沢山飲むのは胃腸に厳しいし、少ない数の野菜をすりおろして一気に飲むより、色んな野菜を色んな調理法でゆっくり食べる方が栄養の吸収率も高いし、断然美味しくて楽しい。


 入院までの間、乳癌情報をもう一度インプットする。
 中でも分かりやすくためになったのは、朝日新聞の医療サイト「アピタル」が行った講義とトーク形式の「乳がん夜間学校」。手術、病理、検診、再建、放射線、薬物療法、医療費、再発後の治療、心のケアなど。講師陣の先生方は皆その道のスペシャリスト。配信は2011年と内容は少し古いところもあったが基本部分に変りはない。
 また、こと「がん」となると標準治療以外に様々な健康法が乱立するが、それらをエビデンスで一刀両断する腫瘍内科医の勝俣先生や補完代替医療の大野先生の講演動画も興味深かった。
 「野菜野菜と食べてる根野菜は糖質高いですから。それより肥満の場合は体重落とす方が、乳癌リスクが下がります。」とズバっと言い切られたのには溜飲が下がった。
 それらのYouTube動画を、作業中BGMのように流し続けていた。
 5年前の講演動画では乳癌患者は23人に1人と言っていた。それが今は11人に1人。驚異的に増えている。


 私の母は、これまで私の乳癌について、一言も余計な口を挟まなかった。その時得た知識や悩みや不安事を浴びせても、冷静に、ひたすら聞くだけ。吐き出す先になってくれたのは有難かった。
 そんな母が一度だけ口出ししたのは、「ここまできた!がん治療最前線」というドキュメント番組を観た時。亀田総合病院で行われている早期乳癌に対する凍結療法に興味を示した。小さな腫瘍に針を刺し凍結させる切らない手術は、胸の変形がない。保険適用ではないため費用が60万ほどかかるそうだが、「そのお金私が出すからやってみれば」とまで言う。えー、今更?
 「いや、もう病院決めて手術待ってるところだし。それに私の癌は乳管の中で5㎝くらい広がってるそうだから対象外だよ。」

 胸の変形もなく日帰りする患者の姿を観て、娘にも受けさせたいと思ってくれた親心は嬉しいが、凍結療法には別のしこりが出来るという、私的に引っかかる要素があった。それに標準治療ではない。何より凍結療法には放射線治療がセットでついてくる。放射線治療で肌にダメージ受けるのが嫌だから全摘を選んでるのに、余計やりたい訳がない。
 TVはいつも外科手術だけをクローズアップして、いいところしか放送しない。本当の治療はそれ以外にもあるんだよ。


 何故だかこんな時重なるように、仕事の依頼が入る。
 一つは取引しているお店からで、手術後復帰まで時間が欲しいと相談すると、私の都合のいい時に納品を融通してくれた。担当者は親身に対応してくれ病名も知りたそうではあったが、あえて伏せた。退院してから直接話したい。
 もう一つは度々仕事をいただく雑誌からの制作依頼。スケジュールを聞くと、制作スタートはなんとか入院前だったがアップは正に入院ど真ん中。ダメだわ。以前は頻繁にあった依頼もこのところ年に一度になっていたのに…何故このタイミングで…!!入院と重なることを話すと、また依頼しますねという返答のまま、結局その後連絡がくることはなかった(そしてやっと入ったのは、一年半後の休刊の知らせだった…)。

 就職して働くことが難しい現状で、こうして制作の依頼をもらえるのは本当にありがたかった。制作があってまだよかった。求められているなら。
 健康で続けられなければ、その日から収入は絶たれてしまうけれど。


 19日、Hちゃんとお茶。入院前だから、とか、景気づけに、とか、説明らしきことは特に言わない。どこでも私の好きなところ行こうよ、と誘ってくれた。入院直前の気忙しさでちょっとタイトにも感じたが、出掛けてみればいい気分転換になった。
 ずっと前から行きたかったケーキ屋さん。喫茶室でケーキを食べ、ぶらぶら町を散策し、古い建物を見つけては写真を撮り、また喫茶店でたわいないお喋り。こちらから話すことはふ~んと聞いてくれて、興味本位で質問したり意見を押し付けたりはしない。
 要するに、ふつう。いつも通り。でも気にかけてくれている。こういう何気ない気遣いをさらりとするのは私には難しいような気がして、嬉しさと共に、彼女の聡明さがうらやましく思えた。


 さあ!明後日はもう入院。


(2018年8月1日~19日)


Fleepブラの乳癌用としての知名度は2018年8月当時よりも現在は圧倒的に上がり、サイトも充実し、直営店もカタログもある便利なショップになっていますね(ちょうど私が退院したすぐ後に伊勢丹にショップが新しく入り、カタログもそれから作られるようになったようでした。退院してすぐの診察後に洗い替え用を買いに行った際、店員さんに「乳癌用で」と言ったら、その方は初めての対応だったらしく驚いてました)。
今年は遂にユニクロからも前開きブラが発売になったし、他にも色んなところから手頃なものが発売されているようで(なんかデザインがFleep丸パクっぽいのとか…ムニャムニャ)、選択肢が広がったのは凄くいいなと思います。前開き、便利だしね。

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