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【雑記4】思い込みの怖さ(自分の勘違いを振り返って)~「乳腺外科医師冤罪事件」に思うこと2

先だって【雑記3】に書いたnoteで、自分が思い込んでいた間違い「被害女性が乳癌患者と思っていたこと」について、何故そうなったのかを考えていました。
被告医師の無罪を求める署名活動に賛同する内容なのに、(少なからずも)活動に水を差すことになってしまったのでは…と申し訳なく感じたり。
もっと冷静に、確認しながら書かなければならないと反省しています。

前回のnoteのままスルーしていくのは気持ちの整理がつかないので、自分なりにその後思ったことを記しておこうと思います。

なぜ勘違いしたのか

それは、私が事件と近い時期に乳癌手術を受けていたから。
そして、今も癌について考え続けているから。

に他なりません。逆に自分の間違いに気付いて、まだ自分はこんなにも癌に心を囚われていたのか…とショックでもありました。

記憶はいつでも自分の思い込みにすり替わる

改めて過去の報道記事を検索してみたのですが、一審の時に目にしていた内容を忘れていたり、少し疑問に感じたことを自分で納得したいように解釈しているところもありました。確信を持っていたはずなのに、都合のいいように記憶の上塗り。
二審の判決によってハラハラした上に署名活動を知ったことで、焦りの感情の方が勝っていったようです。

一審の公判内容や、原告・被告の両主張を報道で見た時の感想を思い出しました。

被害女性の主張は分かるところはあるけど、おかしいと思うところもある。
報道の原告側、被告側、どちらの主張を見ても、そうかな?と思える。
医師がどんな人かは知らない。
直接見ていない以上、本当にそういうことがあったかは分からない。
だから、ありえないことだと思うけど、この事件は冤罪で医師は絶対無罪!、とも思い切れない。
傍観していよう。

昨日から少し落ち着いて考えると、この事件について、今もって当初の感想からは大きく変わることはありませんでした。
ただ二審の、せん妄についての採択、DNA鑑定の在り方については疑問を感じずにはいられません。今後の公正な裁判を願うし、医師に対する不当な処遇はあってはならないと思っています。
そして被告の医師に信頼に足る仲間たちがついていることも、署名協力への動機になりました。社会的責任のある立場の人達が闇雲に協力することはあり得ないし、きっと仲間の方々は報道されている以外のことも知った上で活動されているのだろうと思ったから。
何より、二審の内容を改善するためには、傍観のままではいけない。

彼女の場合は?

翻って思うに、彼女の当時の記憶はどうだったのだろう。
彼女は何故そういう感情を抱いたのか。
そこに至るまでの、彼女と医師の関係ってどうだったのだろう。

外科医師を守る会事件概要パンフレットによると、医師は彼女の「5年以上主治医」だったとあるので、少なくとも幾度か交流があり、彼女も医師の人となりは少しでも分かっていただろうと思います。

医者と患者って、特に女性(自分)の場合で考えると、少なからずは担当医師に好意を抱くことが多いように思います。命を預けるからには好きな要素を見つけずにはやってられない、という気持ちもあり。
ましてや癌となると必死です。嫌なら病院を替えるし(替えました)、いいと思ったら信頼する。
現に私は、乳腺外科も形成外科も、今の主治医が大好き(恋愛感情ではなく)。
この感情は治療を続ける上でもプラスになるので、私は病院にかかる際には、あえてその先生のいいところや好きなところを考えるようにしています。

ここからは全くの私の想像ですが…
診察時の撮影の仕方に不信感を持ったことなどから、彼女には陰性転移の感情が芽生えてしまったのではないかな、と思いました。
潜在的にそういう思いがあり術後の記憶に繋がった…とは安易な考えかな。
その後の周囲の対応、圧倒的な被告側の支援の大きさによる孤独感なども、彼女の主張を揺るぎないものにしていったのではないか…とか。

彼女が乳癌でないと分かって、彼女がずっと怒りのモチベーションを持ち続けていられたことに、ある意味「だからか」と腑に落ちました。
良性腫瘍、つまりしこりの摘出と、乳癌手術では、緊迫度が大きく異なります。もし乳癌になっていたら、術後4年も一つの感情に囚われてはいられないはず(いろいろ進行しちゃうから)。
彼女がずっと主張を続けていることは元気な証拠でもあると、少しホッとするような気持ちになりました。

和解って出来ないかな?

小さなすれ違い、感情のもつれから、大きな出来事へ。
一度リセットすることは出来ないでしょうか。
その為の三審、だとも思うのですが、医師(病院)VS. 患者の構図って、あまりにも辛すぎる。この状態を4年も抱えてるなんて。

歩み寄れないかな。出来ることなら、今から。
平和的解決を望む―――なんて、傍観者の楽観的意見なのかもしれませんが、被害女性にも医師にも、安寧が訪れることを願わずにはいられません。


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