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芹沢 レムちゃんⅣ


「誰かを救えるかもしれない文章ができたよ」
と通知がきた。

何度もnoteで言及しているけども
わたしはれむちゃんが綴る文章が本当にだいすき。ずっとずっと救われ続けている。
だから、すぐに「れむちゃんが綴る文章がだいすきだから読みたい」とそのままリプをした。

きっと、載せてくれるなら深夜になるかなあと思っていたので次の朝を楽しみに昨日は寝た。

朝起きてインスタの通知がきていた。
すぐにれむちゃんのアカウントに飛んで読んだ。

読み終わったあと、まーた泣いてしまった。
わたしはれむちゃんの文章を読むと泣いてしまう。こんなにも人の感情に触れてくる文章は他にない。わたしが辛いなあ、しんどいなあと感じている日々を言語化してくれて、れむちゃんの気持ちも知ることが出来る。
生きている自分が救われる瞬間がだいすきでたまらない。

自分の話だが、6月末に教育実習を終えた。
たった3週間の実習なのに中学生の頃に思い描いていた教師像に自分は程遠いと何度も感じた。
授業をする度に生徒たちに申し訳なくて。
直しても直しても何度も繰り返して間違えてしまう自分の不甲斐なさ、悔しさに1年分は泣いた。
生徒は「先生の授業がだいすき!」「先生の授業が分かりやすい!」先生とたくさんアイドルとかポケモンとかプリキュア話せて嬉しかった!」「またこの学校に戻ってきてね!」なんて嬉しい言葉ばっかりくれたけれど、実習を終えた今どんな大人になろうかまた悩みだしてしまっている。

人に言われたことに対して簡単に傷ついてしまったり、満員電車でどさくさに紛れて触れてくる人がきもくて吐きそうになったり、人と話したくないと泣く夜もある。辛い辛いと思っているところにれむちゃんはいつも言葉をくれる。

れむちゃん自身の内面の複雑さ。
その複雑な中での強さと弱さが交わってぐちゃぐちゃになっているのが鮮明に伝わってきて読む度に苦しい。がんばっていてえらいね、生きていてくれてありがとうと思う。
毎日の苦しみや不安に向き合いながらも、誰かを支えたり守りたいっていう気持ちが、れむちゃんが「芹沢レム」である存在の核になっているように感じた。

ステージ上、キラキラしている「芹沢レム」の裏に隠された苦しみや孤独も、れむちゃんは教えてくれる。だからわたしはもちろん、れむちゃんのファンのみんなは、れむちゃんをただ支えるだけでなく、受け入れることもできるんだと思う。

れむちゃんが「普通でありたかった」と願う気持ちも、分かるよ。それでも、れむちゃんがわたしの中でとっても大切な存在であることに変わりはないからね。

「神様なんて居ないけど、私が君の救済になるよ。」
れむちゃんの存在が、わたしにとってどれだけの意味を持つか。
どんな時も、れむちゃんが自分自身であり続けることができますように。
そのために、わたしは今れむちゃんが感じている全てを受け入れるよ。
どんなときもそばにいるよ。
わたしが綴るnoteがすべて。

今日もだいすきだよ。
いつか、会えた時はたくさんお話しようね。