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音楽と記憶の関係

人間の嗅覚と記憶は結びついている、という。プルースト効果という。

試験勉強らしきことをしてたんですけども。有給休暇を消化しまくりながら。とにかく今は勉強しないと!って、ダイソーで買ってきたキッチンタイマー30分でセットして、部屋の中を右往左往しながらテキストを早口で音読してたんですよね。全然頭に入らないのですよね。法律とか漢字ばっかで何書いてあるかわからん。それでもブツブツ言葉と歩調を合わせて勉強してるフリしてたんですよね。

したらね。

youtubeから流れてくる、ジブリのピアノBGM、

あれ、あれ、そういえばこの曲なんだっけ……

そもそもわたしジブリ詳しくなくて、全く何の曲か検討もつかないんだけども、どこかで聴いたことあるんです。聞いたっていっても、ジブリ映画で、じゃなくて他のどこかで。

そしたらテキストどころじゃなくなった。まず、この曲はなんだろうか…と、グーグルアシスタントさんに尋ねてみたが、わかりませんって言われた。5回くらい聞かせても「わかりません!!」ってキレられた。おいおい無能かよ。

そして、人間を代表してわたしがなんとかぐぐったら、曲名を特定できました。「あの夏へ」……うわ、初めてきいたわ、その曲名……

でも、この曲をわたしはどこで聴いたのか、どうしても思い出せなかった。思い出せないのに、胸が苦しくなるのです。陳腐な言葉で言えば、切ない、ということ。

ただ、どこか懐かしくて、何か大事なものを失くしたような。そういう過去。どこへ行ったのかなぁ。その思いが、聴覚を通して蘇るのだ。プルースト効果によく似ている。

思い出さないほうが良いかもしれなかったのに、なんだか自分の片割れのように感じ、その記憶にアクセスしたくなった。アルコールの入った脳みそを抱えながら、わたしは夜道を歩いた。イヤホンから流れるその旋律に、ぼうっと身を委ねて。車にひかれそうになりながら。

すると、ぱっと視界が開けるようであった。車にひかれたんではないよ。

突如、わたしはどこでその音を聴いたのか、その時わたしは何を感じたのか、息が詰まるほど思い出してしまった。一種の喪失体験に近かった。あるいは裏切り。強い情動に支配され、自分で自分がコントロールできなくなる恐怖を、生まれて初めて味わったんだった。後にも先にも、そんな自我状態は経験していない。

音楽とともにね、こんな風に思い出すなんてね。ただ、当時の情動がよみがえってきたんではない。そんなふうになっていた自分を、記憶として、想起しただけのことだった。悲しみは忘れる。とてつもなく悲しいと思っていた、という記憶だけが保持されるのだ。というのはショウペンハウアーの話らしい。わたしは勉強したことないので知らない。

今、その記憶を想起したところで、わたしは車になんてひかれないし、そのまま道を歩き続けられた。ただやはり、過去は過去として、個人を苦しめる材料にはなり得るんだと確かに思う。

とりあえず、試験勉強の内容を音楽に結びつけると良いんではないかっていう結論。アウトプットする際には音楽必須になりますが。使えないですね。

おすすめは、やはりプルースト効果のほうですね、何かアロマを嗅ぎながら暗記して、試験当日は襟もとに重いっきしアロマ沁み込ませて受験してみてください。試験がさくさく進むどころか、具合悪くなってしねると思います。気を付けて!

※本記事は、2018年3月29日に自サイトにて投稿した文章に加筆修正したものです。


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