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暗い要素はたくさんあるが、日本人としてのアイデンティティを見失わずに世界に料理で革命を起こす人が出ている、ことを願う

アマゾンの料理人として有名な太田哲雄さんは現在、軽井沢において1日1組のレストランで、長野の魅力をふんだんに盛り込んだ料理を提供しています。年間でわずかな席しか用意していないこともあり、2026年まではもう満席で、レストラン予約は次回は2027年になるそうです。でもレストラン以外でも活躍の場を広げることが太田さんの魅力。カカオを輸入することでペルーの生産者を結び、信州の魅力を伝えるプロジェクトも数多く手掛けています。イタリア、スペイン、ペルー、そしてアマゾンでの食体験を経て信州に根をおろした今、彼が描く未来とは。

1980年長野県白馬生まれ。19歳で伝手もないままイタリアへ渡り、料理修業を始める。イタリアでは名だたるレストランで働くほかセレブたちのプライベートシェフを務め、スペイン、ペルーにも渡り、スペインでは「エル・ブリ」、ペルーでは「アストリッド・イ・ガストン」などに勤務してのべ10年以上の海外での料理経験を積む。2019年に軽井沢で「ラ・カーサ・ディ・オオタ・テツオ」をオープンし、1日1組の客に対して地の魅力をふんだんに盛り込んだメッセージ性の高い料理を提供する。また、アマゾンカカオの普及のために幅広く活動している。著書に『アマゾンの料理人 世界一の“美味しい”を探して僕が行き着いた場所(講談社)』。
LA CASA DI Tetsuo Ota(ラ・カーサ・ディ・テツオ オオタ)
住所/長野県北佐久郡軽井沢町発地ニュータウン342-100
TEL/0267-41-0059

悲観する未来はあるが、人間の味覚は広がり、それなりに順応して食を楽しめる


――太田さんというと、ご著書のタイトルにあるように「美食」を求めて世界中を旅した方という印象があります。この「美食」という概念は突き詰めるととてもむずかしいように思いますが、太田さんが思う「美食」の捉え方でいうと、30年後はどうなっていると思いますか?

太田 まず30年前と比べてみると、美食イコール食を楽しむという点では広がってきているとは思います。たとえば私が料理を始めた頃は、エスプーマ(液体とガスを合わせて泡を発生させる装置)や液体窒素を料理に使うなど考えたことなかったですからね。科学の実験で先生がバラの花びらを入れて凍らせてパリパリになるでしょ、みたいなことをやっていたのが液体窒素ですから(笑)。

――私は液体窒素に金魚を入れて凍らせて、それを水に入れたら金魚が解けて泳ぎ始めて「ほら、死んでないでしょう?」みたいな番組をテレビで見てました(笑)。

太田 そうしたイメージがあるものを、何年後かにレストランで食材に使うなんて思いもよらないでしょう。エスプーマにいたっては今やかき氷屋さんでも日本料理店でも使うようになりました。こうした道具を使って新しい味覚を発見したという点では、この30年間で進化をしているわけです。デンマークの「NOMA」によって火がついた発酵を楽しむという発想も、30年前はレストランで登場するなんて思いもよらなかったですから。なんらかの食材を発酵させたものでソース・ベアルネーズ(澄ましバターとエストラゴン、エシャロット、卵黄、セルフィーユとヴィネガーを煮詰めた伝統的なフランス料理のソース)を作ってひと皿にまとめたものが喜ばれる。これは現代人の味覚の受け皿が広くなっているからこそ、受け入れられるようになったとも言えます。そう考えると、今から考えて30年後は、食の楽しみは進化するでしょうし、味覚も広がっていくと思っています。でも反面、進化を語る前に、どうしようもない暗い現実も待っているかも知れません。

―――それは、温暖化とか、食糧危機とか、人口爆発とかそういったことですか?

太田 そうです。30年後の食の世界は、正直に申し上げると現状よりも大変な社会になっていると思っています。今年はかなりの猛暑ですよね。避暑地の軽井沢でもかなり暑くて、やはり温暖化が進んでいることを感じています。なので、気候変動によってとれる食材ととれない食材が出てくるし、その結果、食べたくても食べられないものが出てくると思っています。海外では野菜なら宗教や思想に関係ないから、という理由でヴィーガンが注目されていますが、そもそも論として、家畜を育てる資源的な余裕はなくなって、ヴィーガンを選択するのではなく、ヴィーガンしか食べられなくなるんじゃないか、という現実もあり得ると思っています。

――食材が選択できないということですね。

太田 でも、どんな場合でもその状況に対応して食を楽しもうという人間ならではの姿は残るだろうし、味覚の広がりも進化するのではないでしょうか。30年後、もしかしたら人間は地下に潜っているかも知れないし、食べるものがないってことになっているかも知れないけれど、それなりに対応して、宇宙食みたいなものやカプセルみたいなもの、あるいは流動食みたいなものを楽しんでいるかも知れません。味覚の受け皿自体は広がっていく可能性を秘めているわけですから。

日本人とは何か? 日本人のアイデンティティに基づいた世界への発信とは

――太田さんは海外生活が長いですが、海外からみて日本の食について思うところはありますか?

太田 資源の問題についてはさておき、これから30年間は、日本人のアイデンティティが問われる時代になってくると思っています。それはつまり、日本というものを深掘りせざるを得ない状況になるということです。外国にいるとよく聞かれるんですよね。「あなたは何人か?」って。それでよく考えていました。そもそも日本人って何だろうか? と。主食は米だからと当たり前のように米を食べていますが、これは弥生時代に大陸から入ってきたものだといわれています。それ以前の縄文時代の日本は米ではなく麦を食べていたという説があります。となると、外から入ってきた米文化を中心とした食を考えるよりは、内のものだけで成立していた縄文時代にアイデンティティを求め、食に関しては縄文時代的要素を強く出していくことが、より日本人らしいことにつながるのかな、って考えているんです。

――縄文、ですか?

太田 日本という国の始まりとしての縄文で、ひとつの例えです。コロナやウクライナ問題があって、外からの輸入がシャットダウンされて、日本のものだけで生きていかなくてはいけない時が来るかも知れないことに気づいたじゃないですか。そうなると、鎖国時代ではないですが自分たちで生み出していくしかないわけです。ならば、もっと日本のことを知らなきゃいけないな、と改めて思ったんですよね。料理人としては、日本の気候風土、成り立ち、歴史、そして日本人の根源的なことを勉強して、自分たちの料理に反映させていくこと。それが今後、世界に誇る何かにつながるんじゃないかと思っています。

――「あなたは何人(ナニジン)か?」という外国人からの問いに対して、明確に言える何かを持つということですね。

太田 海外の人たちから聞かれて日本人が弱いと思うのは、こうした問いに明確に答えられないことと、宗教に関してです。食と宗教は密接に関係しているじゃないですか。私が働いていた外国のレストランでは教会がついているレストランがたくさんありましたよ。教会と一緒になって盛り上げていこうという考え方があるんですね。ミサをして、そのあとにダイニングへ移動してごはんを食べるということはよくされていました。日本人はクリスマスやハロウィン、バレンタインデーで大騒ぎをしているのに、それが何たるかを説明できない。日本人は食と宗教とを結びつけていないからです。でも海外の人たちは宗教について、信仰について、自分の言葉を持っています。宗教という考え方を日本で持つことはむずかしいと思うので、ならば、なぜこれを食べるのか? について、日本の自然や歴史から紐解ける言葉を持てばいいと思っています。

――日本の場合は神道や民族信仰としての神に寄り添っていると思うのですが。

太田 確かに和食の方は神棚を置いていますよね。その神棚を置く意味についてきちんと説明できますか? ということです。ペルーの「セントラル」のヴィルヒリオ・マルティネスがやっている「ミル」に(「フロリレージュ」の)川手寛康さんと行ったとき、ソラマメの種まきを一緒にやりませんか? と誘われたんですよ。アンデスの人たちと、ロバや馬をひきながら植えたんですが、そういう時に彼らは大地にお酒をまいて神に感謝をするんです。神から与えられた生命の息吹があって、その恩恵を加工させてもらっているという感謝の気持ちを海外ではかなり強く感じますね。日本人の料理人と海外の料理人との大きな違いではないでしょうか。持って生まれた性格や技術、能力といったものの差はそんなに感じたことはないです。

――そうした神への感謝が、各国の人たちのアイデンティティの確立にもつながっているということでしょうか。

太田 そうですね。それと、神に感謝することは労働への感謝や家族を大切にする心につながっていると感じます。海外で働いてみて、彼らは仕事をするときは集中し、あとは家族との時間や自分の時間に費やそうとします。仕事と私生活の両立は、海外の人たちのほうがうまいですよ。たとえば「エル・ブジ」って長時間労働をよしとしないんです。だから、すごくシステマティックに仕事が進みます。仕込みは分単位で決められていて、遅れるということは決してありません。厨房でも、早めに前のりしてやるなんてことを許さないので、決められた与えられた時間でバシッと終わらせなければなりません。実労働時間としては長くないし、週休2日です。世界でナンバーワンになれるレストランは、労働者にムチを打ち続けるという考え方ではなく、機能的に物事を片付けようとするんだな、と感じました。これはレストランに限ってではなく、会社でも学校でも、全仕事に通じることではないですかね。日本は職人気質なところがあって、なかなかこういうスタイルができません。

――食事をする時間、家族といる時間を犠牲にしても、自分の仕事をまっとうするって考え方の人は多いですよね。

太田 それでいい成果が出るならいいのですが、やっている気になっているだけのように見えますね。きっちりと機能的に働いてもらうには、きっちり休ませること、そしてメリハリのついた仕事をさせることだと思います。

――30年前の料理人さんは、朝早くから夜中まで仕事をしているイメージがあります。

太田 彼らの働きによって今があるからもちろん感謝はしています。でも、そういう労働の結果、料理人を志す人が減っていませんか? これだけが原因だとは思わないですが、少子化といえど、というか少子化だから若い子たちは職業を選ぶことができるという面もあって。その選ぶ職業に残念ながらレストランの料理人は入っていません。このままだと30年後、料理人はいなくなってしまいますよ。30年前と比べると驚くほど雇用システム、労働時間など労働環境はもちろん改善されてはいます。それでも料理人を志す人が減っているのはなぜか。その原因を考えないと何も変わっていかないと思うんですよね。

――労働条件が厳しくても、実際に世界で活躍している人たちを見て、その姿に若い人たちが憧れて、ということはあるんじゃないですか? 太田さんもそのひとりだと思いますが。

太田 ありがとうございます。でも、僕はまだそんな存在ではないです。世界で活躍している日本人のシェフたちはいるのですが、なんというか、世界の料理業界が震撼するような、たとえば「エル・ブジ」のフェラン・アドリアや「ノマ」のレネ・レゼピのような、彼らの考えを世界中の料理人が取り入れたいと思うようなものを発信している人は残念ながらまだいないです。

――活〆といった日本料理の技術とか、包丁使いが注目されていると聞いていますけれど? 日本人は勤勉だというお褒めの言葉もいただきますし。

太田 それは昔から培われてきた技術の紹介であって、個人のものではないですよね。勤勉さだって、働かないと生きていけない貧しい国の人たちはみんな勤勉ですよ。僕が言っているのは、たとえば、マッシモ・ボットゥーラが賞味期限間近の食材を使い、ホームレスや恵まれない人たちのため料理を披露したことが世界中で賞賛されましたが、どうして、世界でももっともフードロスの多い日本がやれないのか? ということです。日本から世界に革命を起こそうとする人はなかなか出て来ない。それはたぶん、料理の業界だけではなくて、すべての業界に表れているのではないでしょうか。世界に出てみると、実は世界って日本を気にしていないんだな、と実感しました。日本人って日本はいい国だと言い続けたいし、思い続けたいのだけれど、世界にとって日本はそんなに重要ではないという現実を直視するべきじゃないですかね。世界にとって日本がいてくれないと困る。そう思われるような行動をとるにはどうするのか。その答えを見つけるために、日本人とは? 日本人のアイデンティティとは何か? を問いかけるべきだと思っているんです。世界の中の日本という認識をまず持つことですよ。そして世界で成功することです。

――確かに、若い子たちの意識は世界に向かっていますもんね。

太田 料理人が日本で活躍することはすばらしいし、成功者もたくさんいますが、わかりやすいシンボルとして自家用ジェットを持っている人はいないですよね。日本人では「NOBU」の松久信幸さんがロバート・デニーロと一緒に自家用ジェットで飛び回っています。そして海外のシェフたちは松久さんを見ると写真を撮りたがるんですよ。やっぱり、そういう成功者の姿は憧れなんです。日本って、料理人がお金持ちになると、「料理人のくせに」とか「その分料理を安くしろよ」とか、もう悲しくなるようなことで叩くじゃないですか。それはどこかしょうがないにしても、振り切ってしまえば、かならず賞賛されるようになります。世界に出ることです。成功者としてのシンボルになることが、将来の日本の料理界を救うと僕は思いますね。

――太田さんもいずれは自家用ジェットで……。 

太田 (笑) いや、私は世界のすごい人たちを間近で見てきたので。自分の力量をわきまえるようになりました。

――えー、そうかな。

太田 ビジネスでいえば企業の社長としてペルーのカカオの輸入をさせてもらっていますが、輸入はしているけれど、あなたどのくらい量を扱っているのよ? って話ですよね。1トン、2トン、10トンの輸入量は、輸入とは言わないんですよ。世界に出ていく規模の話となると、1種類に2000トン単位の話なんですよ。2000トンってナッツひとつで20億の買い値となり、売れば40億になって20億の利益が出る。そういう話ですよ。それを5種類やるとなると、100億の話となって、200億で売って100億の利益を出す。要はそれだけの資金力をはれるか、って話ですよね、ビジネスは。私の場合は個人授業主ががんばっていますよ、ってことだけで、ビジネスという点では恥ずかしくて言えないですよ。でも、だからこそ込められるメッセージはあって、今はそれで満足なんですよ。世界に打って出るビジネスとは別の話です。

――でもそのメッセージが、なんらかの形で2000トンにつながるってことはないですか?

太田 まずは入口に立つことは大事ですからね。ただ、カカオにおける僕のミッションはビジネスよりも前に成長なんですよ。現地の生産者と僕がともに成長してさらにいいものを作っていこうとする。そのためのカカオです。僕の場合は生産者とダイレクトに取り引きができ、それを輸入したら自分で料理や菓子にして提供することができます。食べてくださった方が、これいいね、おいしいね。今度おろしてよ、となる。まずはそれでいいんです。生産物って、たいていいいものなんですよ。そのよさをどう伝えるかが大事であって、僕の場合は料理や菓子という形でダイレクトに伝えられますから。「アマゾンカカオは評判いいですよ。また今度入れてくださいね」という声を聞いて生産者にそれを伝えることに今は悦びを感じますね。

信州人としてのアイデンティティと地域貢献

――太田さんが暗いといわれた未来のことに触れますが、先ほどフードロスの話をされました。日本ではまだ過剰においしさを求める傾向があると思うのですが、世界から見てどうですか?

太田 確かに、世界からみるとちょっと異常に思える行動はあるかも知れませんね。すし屋でマグロの芯だけを使ってほかを捨てたり、熟成肉でまわりの硬い部分を捨ててしまったり。見直していかなければならないところは多々あると思います。でも、それはとてもむずかしいです。思想が入ってきますからね。作る側も食べる側も、今幸せなんだからそれでいいじゃん、って思いがあると、なかなか変わらないです。でも、そういう人たちも変わる方法があります。危機を伝えるんです。

――それはメディアでということですか?

太田 いえ、もっとシビアに。レストランで、シェフたちの力で伝えるんです。たとえば、ペルーにコンチャ・ネグラという貝がいて、非常においしいんですが、禁漁期間があります。それを、ガストン・アクリオはメニューに書くんですよ。「我々は、コンチャ・ネグラを守るために、絶対にこの時期は使わない」とね。裏ルートで仕入れて特別なお客さまだけに、なんていうやり方をガストンはしないです。あと、さらに強烈な手段としては、実際に食材を捨てている映像や資源が枯渇しているようなを映像を、マグロを出しているそばでガンガン流すことですかね。絶滅や枯渇に対する意識は差し迫らないと変わらないですから。

――一気に食欲はなくなりそうです。

太田 映像を流すことは極端であるにしても、リアルな危機感を持たないとそうそう変わらないものですからね。ただ、こうしたの環境保護やフードロスへの取り組みは影響力のある大きな会社がもっと積極的にやるべきだと思います。小さなレストランで上げる声はひとつのきっかけにはなりますが、大きなムーブメントにつなげられるのはやはり大手のスーパーマーケットやコンビニエンスストア、ファミリーレストランなどですよ。日本では大きな企業はなかなか腰を上げません。そういうことに意識がいかないのかも知れませんね。自治体もそうです。地元長野県で地域を活性化する仕事をしているのですが、当事者はどう思っているんだろう? と感じることがたくさんありますよ。たとえば、そばどころ長野で天ぷらそばを注文したら、エビ天がのってきます。海のない県なのに。そこに疑問を感じないのかな? とかね。また、生まれ育った白馬にラグジュアリーなグランピングができる場所があるんですが、バーベキューの網の上で焼かれているものを見たら淡竹(ハチク)なんですよ。信州でタケノコというと根曲がり竹だから、そっちを焼いて欲しいなぁ、とか。オーシャンビューでアルプス山脈を見ながら焼きたてのクロワッサンを食べましょう、もいいけれど、それって、長野県産の小麦粉なんですか? バターは? と思ってしまいます。白馬のためになることは何か。真の意味での地域活性化とは、地元が動くことです。別のエリアで作ったものを冷凍で取り寄せ、リフトで山の上に上げることではないです。

――そうした方々に足りないものってなんでしょうか。

太田 自分はその地で生かされているという意識じゃないでしょうかね。やはりそれもアイデンティティが確立されていないからだと思います。以前、和歌山にある「ヴィラ・アイーダ」の小林寛司さんに紹介されて炭焼き職人さんたちに会いに行ったんですが、彼らは炭を作り、売ることが目的ではなく、未来へ残す野山の再生のために炭を焼いているんだ、と言っていました。木を切らないと山は荒れる。山を荒らさないために炭を焼くという彼らの姿を見て、その土地に生かされているんだ、という感謝の心を感じました。地域の活性化というのも、まずはそうした心の上に建って未来を見据えるものであり、一過性のイベントではないです。

――信濃毎日新聞でも信州プロジェクトをやられていますよね?

太田 冒頭の話に戻るんですが、自分は何人(ナニジン)か? と考えると、日本人であり、信州人なんですよ。世界に出れば出るほど個性が重要になることを確信していますが、個性とはアイデンティティであり、アイデンティティは生まれ育った土地で培われていくものだと思います。その地の風景を見ながら、その地の土や水に触れ、風に吹かれ、その地でとれたものを食べ、家族や友人たちと会話をしながら培われていったもの。そう考えると、僕のアイデンティティは信州にあるんです。だからこそ、信州のメッセージを届けられると思っています。軽井沢という地で、信州の陽の光が当たらない食材にも目を向けて欲しいし買っていただきたいので、物販スペースを今のレストランの隣に作るし、食堂も作るんですよ。大きなムーブメントにすぐに結びつくとは思いませんが、世界をよりよい方向に向けていくお手伝いを信州で行うことが自然の流れだと思っているし、もしかしたらこうした活動が身を結んで信州から世界に革命を起こす料理人が出てくるかも知れません。そして、暗い未来の要素を変えてくれるといいですよね。

インタビュー:土田美登世


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