見出し画像

大阪湾一回転(2日目:鳴門・淡路島編)

やけに不穏なサムネですが、一応これの続きです。

 
 目覚ましが鳴る前に目が覚めた。奇跡だ。最近新しいスマホに換えたら、アラームの音源が優しげなものしかないので、もはや目覚ましをかけても起きれるか怪しいのである。前のスマホにはもっと無遠慮なけたたましい音が入ってたぞ、目覚めの気分は最悪だったけども。というわけで二日目です。(どういうわけだ)

鳴門へ

 ホテルをチェックアウトして、徳島駅まで行く。朝っぱらから駅前でチャリンコを分解する。まずは鳴門駅まで輪行する。実は徳島駅から鳴門駅は15kmくらいしかないのだが、鳴門線はJR四国で唯一乗れていない区間でありせっかくなので乗る。運賃360円也、安っす~、鉄道最高~

キハ47。友人によるとこの色は四国にはこの2両しかいないそうな。

 徳島県は日本で唯一、鉄道の電化区間が無い県である。徳島駅は駅ビルも大きくて立派だが、ここには電車は来ない。やーい、滋賀県の勝ち~。でも古い気動車だらけというのも鉄道好きとしては羨ましい所がある。重厚感のあるエンジンの音を響かせて列車は徳島駅を発車した。

霧の池谷駅

 池谷駅で乗り換え。周囲は霧がかかっていた。静かな雰囲気と思いきや、乗換駅で通学時間帯なので学生が大量に乗降する。

鳴門に到着したなぜか3両目のドアが開かない列車

 鳴門駅に着いた。しかし、なぜかドアが開かない。この車両だけなぜかドアが開いていないようだ慌てて2両目に移ろうとするがバカでかい荷物を持っている上に通路が狭く、どんどん人が乗ってくるので降りられないのではないかと思った。実際列車はすぐ折り返しなのでかなり危なかった。どうやら鳴門線内はホームが短いので3両目のドアは開かないらしい。なら池谷駅でも開けるなよ。

味噌汁のうめえこと

 自転車を組み立てて、まず朝ご飯を食べられる所へ。調べるとうずしお食堂という所が開いていた。焼き鯖と味噌汁、ご飯で優勝していく。とても美味しかったので骨まで食べたらのどに引っかかってつらかった(アホなの?)

鳴門市営渡船RTA

 この後は食堂のほぼ正面にあるバス停からバスに乗って淡路島に渡るつもりだが、まだ一時間ほどあるので周辺を回ることにした。とはいえ、鳴門海峡の渦潮は距離的に遠く、友達と見たこともある。だからといってただ市街を回るのもつまらない。

位置関係

 上図を見てほしい。実は、渦潮で有名な鳴門海峡の手前にはもう一本、小鳴門海峡という海峡があり、そこには鳴門市営の無料渡船があるらしいのだ。これは最近小さい船に乗るのがマイブームである私としてはまさに渡りに船、当然行かざるを得ない。市営渡船は岡崎~土佐泊、黒崎~高島、堂浦~島田の3航路があるが、時間的に行けるとすれば南側の2本の航路。私はその両方に乗るべく、上図のような行程をひらめいた。急げばバスの時刻までに戻ってこれるはずだ。いざ、鳴門市営渡船RTAスタート!!

鳴門市街地を一望

 まずはバス停から岡崎の渡船乗り場まで向かう。自転車なら10分もかからないが、途中に運河を渡るかなり高い橋があった。坂はきついが眺めは良い。写真をのんびり撮っていたら渡船の出港時間が近づいていたので慌てて再出発。

あちゃ

 渡船乗り場に着くと船が出港したところだった。いきなりRTA大失敗じゃねえか。船は20分毎に運航していて渡船としては十分な運行頻度だが、私はこれからもう一本の市営渡船にも乗ってバス停まで残り一時間以内に戻らないといけないのでかなりカツカツである。慌てて調べるとまだギリギリ間に合いそうだったのでこのまま続行することにした。

すぐ折り返してきた。おかえり。

 スロープに突っ込むような形で船が止まり船員がフックをかけて固定する。船の底が擦っている気がするが、乗客は気にする様子もなく降りてきたのでこれが普通なんだろう。
 船員はめっちゃ私服の二人で、下船するなり一人は原付にまたがってどこかへ行き、もう一人は船着き場に止めてある軽自動車に乗り込んでタバコを吸い始めた。音がするので船のエンジンはかけっぱなしのようだ。このいい加減さ、後世に残したい。

人よりツバメが多く出入りする渡船待合所

 テレビが付きっぱなしの待合室にはツバメが巣を作っていた。のどかな時間が流れている。やがて出港時刻になると船員がけだるげに船に戻って準備をはじめた。いい職場だ。

岡崎渡船場を出港

 出港。私の他に乗客は一人。乗客はみんなだいたい自転車を積むようだった。橋の代わりだということが伝わってきてとても良い。船からは新旧の小鳴門橋が良く見えた。ああ旅してるなあ、などと感慨にふける間もなくあっという間に対岸の土佐泊に着いた。

土佐泊に到着。着岸のとき船底からゴリゴリ音がするけどそれがデフォルトなのか。

 去っていく船を見送るとすぐに走り始める。もう一本の渡船場まで15分以内に着かないとバスに確実に間に合わないのでこの後の旅程が完全に崩壊する。この旅最高の速度で海峡沿いを渡船場へと急ぐ。

かわいい小鳴門橋。手前は高速の撫養橋。

 小鳴門橋の下をくぐる。小島の上から橋脚が立っていて何だかおもちゃのような形をしている。さっきの二の舞いになりそうなので数枚撮ったらすぐダッシュ。

ながーい桟橋。向こう岸から渡船がやってくる。

 なんとか無事時間前に高島渡船場に到着。海峡の1/3くらいもある長い桟橋の先から船が出るようだ。桟橋のある所はかなり浅いようで、海藻のしげる水底にフグが泳いでいるのが見えた。

再び渡船で出港

 船からは斜張橋が見える。小鳴門大橋というそうで、小さいのか大きいのか分からないが綺麗な橋だ。ただ歩行者や自転車が渡るにはやはり渡船が便利だろう。先ほどの渡船より乗客はかなり多い。

何だこの素晴らしい空間

 渡船を降りると横に神社があった。神社、待合所、乗船口が並んで海辺の街の良さが渋滞している。ぼくのかんがえたさいきょうのみなとまち、って感じ。鳴門市営渡船最高。

四国脱出

 バスの出発5分前にバス停の所まで戻ってこれた。RTAは何とか成功である。淡路島までバスで渡るって言っても自転車どうするの、とお思いのことだろう。何を隠そう、淡路交通のバスはなんと前日までに予約すれば小鳴門橋バス停~南淡路島ICまでの区間で自転車を積むことができるのだ。(ちなみにバスは一日3便で午前中は1本なのでさっき船に乗り遅れたら本当に詰んでいた)

収納〜

 なんと前輪を外せるタイプなら輪行袋に入れる必要もない。鳴門と淡路島をつなぐ大鳴門橋はしまなみ海道の橋のように自転車が通れる構造ではないので大変ありがたいサービスである。運転手さんは優しい人で手間のかかる自転車客に丁寧に対応してくれた。

バスの最前席に座れた

 鳴門海峡をバスで渡る。渦潮は真下なので見えないが、景色は良い。徳島、また来るぜ。

ありがとう淡路交通

 淡路島南ICに到着。自転車を下ろしてもらって前輪を取り付るとすぐに出発した。ここからは北端の岩屋港を目指して淡路島をひた走る。恐るべきことに直線距離でも約50kmある。

渦潮も…見える…?

 大鳴門橋が見えた。出だしから坂が多くてつらいが、ICバス停の標高がかなり高い分まだ下り坂の方が長いので助かった。逆回りだったら確実にバスに間に合わず野たれ死んでいただろう。それでも数キロ先の福良港に着く前に息が上がっている。先が思いやられる。

淡路島の殴るのに適してそうな部分へ

 福良港を通り過ぎる。あまり三次元的な街ではない。海岸から一本入った昭和な雰囲気の商店街を抜けていく(写真撮ってねえや)

 今回は淡路島の南側の海岸線を走ってみることにした。淡路島の形は意外に何かに例えるのが難しいが、例えば北側の細い部分を持ち手とするこん棒的な武器だと考えると、殴るのに適した部分を走ることになる。ただ、ここは諭鶴羽山地という淡路島随一の山地の裏側になるので最初と最後に山を越える必要がある。

美脚、ヨシ!!

 これはその坂の途中で見かけたドラえもんというよりは現場ねこ感がある飛び出しボーイの亜種。何でこんなもんいちいち撮ってるかというと坂が嫌すぎて何かに付けて止まっては休憩しているのである。平坦な場所だと景色が良くてもスピードを落としたくないというものぐさっぷりなので、この先上り坂の途中に撮った写真しかない気がする。ひいひい言いながらなだらかな坂をだらだらと90mほど登ると海が見えた。思ってたよりは峠が低くて助かった~(フラグ)

オノコロ島

 霞んで溶けた水平線にぽっかりと浮かぶ島、オノコロ島こと沼島である。国生み神話によると、イザナギノミコトとイザナミノミコトが海を矛でぐるぐるかきまぜてたらなんかできたらしい。こう書くと平野レミの料理っぽいな。その後、島に降りた二神は淡路島を生み、順に四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、最後に本州を生んだとのこと。イカれた順序だ。この沼島に比べたら本州なんてカスみたいな存在である(暴言)。

左上に出港した船が見える

 オノコロ島、行ってみたかったけど船が出港した直後(写真に写ってる)で次の便が二時間後だったので残念ながら断念した。飛び出しドラえもんなんて撮ってるからだよ。

 交通量も少ない海辺の道なので快適そのもの。しかも今日はベタ凪で向かい風もない。歌いながら上機嫌で走っていたが…

北海道で見たことあるぞこんな風景

 景色いいな、と思いながらしばらく見ていてふとゾッとした。思ったより、淡路島でかくね?霞んで見える先っぽが紀淡海峡がある岬らしいが、あそこまで行っても今日の全行程の半分未満という事実。イザナギさんもイザナミさんもはりきって一個目からでかい島作りすぎですよ。

ありがてえ

 もともと断崖であまり人が住んでいないので全然飲食店が無く、これは昼飯抜きかと思っていたが、良い感じの定食屋があった。海産物大好き人間なのでシラス丼で優勝。

あやしいつづら折りが迫る

 店を出てしばらくは平坦な海岸線をのんびり走っていたが、平和な道は突如終わりを迎える。海と別れて坂がはじまった。

ん?

 思ったより坂急だな。まあでもさっきとそんな変わらんだろ、しばらく行けば峠に着くさ。ん?

アッ

 電信柱…?あ…あそこまで登るの?死ねと?
 すぐに地図を確認するもこのあたりに他に道は無く、つづら折りに続くこの県道があるだけだ。つまりあの電柱は間違いなくこの道の先にある電柱であった。逃げ場が無いことを悟った私は考えるのをやめて無心で登ることにした。しかし、5月のくせに30℃を超すこの真夏日に、心頭滅却して自転車を押して坂を登るなどへなちょこ大学院生には不可能である。結局、カーブのたびにこの先で上り坂が終わることを願っては、まだ続いていることに悲鳴を上げ、悪態をつきつつちんたら登っていった。

パライソさ行くだ

 とうとう坂を登り切った!と思ったら謎のパラダイスがあった。探偵ナイトスクープで一躍有名になった系あやしいスポットらしいが、個人的には看板の「面白さ3倍」がツボった。一応理系なので妙にはっきりした数値を出されると興味を惹かれてしまう。何の3倍なんだよ。

ナイトスクープへの信頼が異様に厚いここは関西

 謎のパラダイスはゲートからかなり下った先にあるようだったので、とてもじゃないがわざわざまた登る気にもなれず行かなかった。このゲートから少し行くとようやく下りにさしかかった。

とうとう坂を登りきった
淡路島で一番鬼畜な峠

 急な下り坂でここまでの涙ぐましい行軍で稼いだ位置エネルギーが一瞬で失われていく。踏めよォォ!段階をォォ!と叫びながら猛スピードで下った。疲労でテンションがおかしくなっている。
 やがて位置エネルギーがブレーキの摩擦熱へ変換されつくした頃、再び海が見えてきた。ここは紀淡海峡の北側まで来たのでまぎれもなく大阪湾である。しかし行程的には約半分といった所なので特に感慨はない。むしろまだ淡路島脱出口まで40km以上あるのか、とやや絶望気味である。しかし坂を下ったところにあった由良という町は道が細く入り組んだ風情のある港町だったので、走っていて少し気持ちが回復した。やはり路地、路地はすべてを解決する。残念ながらここも平坦なので写真を撮っていなかった。このあたりはカメラを出す気力も無くとにかく洲本の体力回復スポットを目指して一心不乱に走っていた気がする。

ニューアワジ城の強さの一端を垣間見る

 ホテルニューアワジの社宅。ここは上り坂の途中なので写真がある。17号棟ってすげえな、どんだけ従業員いるんだ。さらにまわりもほとんどがホテル関係の建物である。籠城して戦えそう。

ここが私のパラダイス

 へとへとで洲本に着いた。目指していたのはここ、東光湯である。素晴らしくレトロな建物に加え、シャンプー、ボディーソープ、サウナも無料と間違いなく淡路島最強の銭湯である。良いお湯だったし、水風呂がすごく冷たくて気持ちよかった。

これが優勝というものです。
ただし蚊がやばい

 銭湯から出たら牛乳を飲むのは国民の義務である。ということで近くのスーパーで淡路島牛乳とポテチを買って、砂浜の見える場所まで行って飲んだ。
 ちなみに砂浜は案外ゴミが多い上、「私有地、入るな!」というもののどこからを指しているかよくわからない看板があり、さらに国道や堤防から丸見えなので写真のポジションがベストである。写真というものは真実を写すものではなく、都合よく切り抜くものだ。

淡路島の握りやすそうな部分へ

 のんびりしてたらもう5時前である。ここからは淡路島をこん棒に見立てた時の掴みやすそうな部分をひたすら北上し、本州へ渡る船の出る岩屋港を目指す。距離にして約30kmちょっと。ここからが、なかなかの地獄だった。

本州どこいった

 しばらく海沿いを走っていると、タイヤに違和感を感じた。いつの間にか空気が減ってしまっていたようだ。手持ちの空気入れで空気を入れなおす。古い自転車なので、ずっと走っていると少しずつ空気が抜けるのはいつものことだった。ちょうど観覧車が見えて綺麗な場所なので記念撮影。霞んでいるため本州はまだ影も形も見えないが気を取り直して出発する。

パ ン ク ♡

 緊急自体発生。空気を入れなおした後輪の空気がどんどん抜けていく。もう一度、空気入れを試すが結果は同じ。
 パンクだ….やっべえ…..
 急遽近くの公園に立ち寄ってパンク修理を始める。自宅周辺でパンクしたことは何度かあったが、旅先では初めてである。幸い、多少の工具と百均のパンク修理キットを持ってきていたが、チューブの穴を探すときに水の張ったバケツなどが無いと難しい場合がある。それに早くしないと日が沈んでしまう。

穴があった!

 穴を発見。とりあえず塞ぐことができてほっとした。チューブをタイヤに戻して、荷物を片付ける。慌てて工具出したからカバンの中に入れてたポテチの袋とか散らかしてしまった.…..ん?

嫌な予感

 うっわっ!!!めちゃくちゃアリが群がっている!!死!!動物も昆虫も基本的には平気で触れるけど、群れてるアリだけはなんか昔からダメなんだって!!うおろろろろろ!!でも捨てて帰るわけにもいかんし…(恐る恐る手に取って中を覗くぁwせdrftgyふじこlp(☆自主規制☆))

しばらくお待ち下さい

 発狂した私は、「20分くらいの間にどんだけ集まってんだ!」「仕事早すぎるやろ蟻ンコ!」「もっとキリギリスを見習えこん畜生!」などと喚き散らしながらポテチの袋を振り回して働き者の蟻たちにを吹き飛ばす。正直パンクよりよっぽどパニクった。

 空気をパンパンに入れると見違えるように自転車がスイスイ進み出した。もしかしていつもより坂がきつい気がしたの、午前中から若干空気抜けてたからなんじゃないか?ととんでもないことに気づいた気がしたが、ともかく進めるうちに進まないともう本当に日が沈む。しかし、無情にも事件は起きてしまう。また後輪の空気が抜け始めたのだ。

日は沈む。タイヤは凹む。

 パンクを修理した地点から約5kmほど進んだところでタイヤの空気は半分くらい減ってしまっていた。おそらく、さっき空気が抜けた状態で少し走ってしまったためなのか、チューブに穴の他にも見えない大きさの傷ができてしまっていたのだろう。しかも、あろうことか、霞んでいて本州が見えないうちに日が沈んでしまった。心のフィロストラトスが「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。」と叫んでいる。心のフィロストラトスってなんだ。正直、同意したいけど。
 まあ脳内メロスごっこは置いといて、正直なところ自転車に乗れないまま残り20kmを歩いたあげく船の最終便に間に合わず野宿!なんてことが最も困る。もう一度パンク修理をするにはあたりが暗いのもあって穴が見つけられるかは賭けに近い。淡路島宿泊やバス会社かタクシーに土下座して本州まで自転車積んでもらうことも本気で考えはじめた。

だましだましのラストスパート

 しかし、冷静になって思い返してみると、タイヤの空気が抜けるのはかなりゆっくりであった。抜けてきえいたとはいえ、空気を入れれた所から5km程度は走ることができていた。ということはと、追い込まれた私は希望的観測から一つの可能性を見出した。

 数キロおきに何度も空気入れを繰り返せば20kmくらい何とかなるんじゃないか?

 かくして私は、パンク気味のタイヤでだましだまし走ることを決意したのである。
 私はできるだけタイヤに振動を与えないように、凹凸の少ない道路の白線の上を走ったり前輪に体重をかけたりといった涙ぐましい努力をしながら一心不乱に真っ暗な国道を駆けた。途中で息切れしながら何回空気を入れたことだろうか。視線の先にライトアップされた明石海峡大橋のシルエットが見えたときはかなり感動した。とうとう岩屋に着いたのだ。

タイヤよ、あれが本州の灯だ

 岩屋港から見た美しい明石海峡大橋。生まれたての小鹿にような生き物が撮っているので写真はブレブレである。そのくらい膝が笑っていた。ここからジェノバラインで橋をくぐって明石港に渡ればとうとう淡路島を脱出できる。船が近づいてくるのを見たときは本当に助かったと思った。明石から六甲道まではさすがに電車で帰ろう。でないとせっかく本州に上陸しても帰宅前に死ぬ。

淡路島脱獄だァ

 ジェノバラインの船に乗り込む。高速船なのでもっと小さいかと思っていたが、自転車もたくさん積める結構大きな船だ。座席に座ると船はすぐに出港した。さらばだ淡路島!しばらくはもうこりごりだぜ!!

 夜景を見ようと思ったが、ちょっとうとうとしてたらあっけなく本州に着いてしまった。明石港に着いたときにはもうタイヤがぺちゃんこになっていたので手で押して、ラーメン屋によってから駅まで行って分解した。岩屋まで持ったのは運でしかない。

恥ずかしながら帰ってまいりました

 六甲道で最後の組み立て。この旅一番の功労者(被害者)である自転車を押して、とぼとぼ家まで帰った。2日目の総走行距離はちょうど100km。自分ではじめているのでただのアホの所業なんだが、酷暑の淡路島半周、特にトラブル続きの後半は本当に厳しく、我ながらよく耐えたと思う。セルフ拷問の巻き添えを食った自転車くんには今度新しいチューブをプレゼントしよう。

まとめ

「家に帰れるか分からない」という事象は人生でもかなり上位の大きさのスリルを与えてくるので、どうしても後半の印象が強くなってしまうが全体的には行ったことのない場所にたくさん行けて楽しい旅だった。ただ、自転車旅行を普通に満喫するなら、もっと十分な体力と計画性を備えて然るべきだろう。だがまあ、限界旅行という甘美な毒に侵されつつある私にとっては、旅と拷問の間くらいがちょうどいいのかもしれない、という最悪な考えに至ったところでこの旅行記は幕を閉じる。

(はじめて旅行記最後まで書いた。えらい!めでたし!)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?