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梅雨生まれの雨の日と月曜日(1)

僕は梅雨生まれだ。6月の生まれだ。生まれた時の記憶はないので、どのような気持ちで梅雨の最中に生まれてきたのか、その瞬間に自分が何を思ったのかは知らないが、雨が降っていたのか、降っていなかったのかは気になる。いずれ両親に聞いてみよう。

仕事の忙しさにかまけて、文章を書いていなかった。文章を書くという素晴らしい習慣を、20代後半で再度復活させるべく、今後はサボらずに毎日駄文を書いていきたい。よく混乱する僕の頭は、文章を書くと少しばかり整理されてクリアになるのだ。

毎回何かしらの漠然としたテーマを基に文章を書いているのだが、今回思いついたテーマは一層漠然としていて、着地がどうなるか、現在キーボードを叩いている今も全く分からない。春を楽しむまもなく、初夏を少し楽しんだらすぐにやってきたと思われる梅雨(今日も雨で明日も雨だ)について、何かしら思いつくことを駄文にしていきたい。

タイトルはもちろん、かの有名なカーペンターズの"Rainy days and Mondays"から拝借している。特に学生時代、雨の日と月曜日、憂鬱なときに聴いてきた曲だ。「雨の日と月曜日はいつも沈む」といった歌詞で、ど真ん中ストレートに僕たちの気持ちを代弁してくれる曲だ。

何となく「雨の日と月曜日」で連想される話を、3つほど書いていきたい。3つという数字は昔から変わらず好きだ。2つだと少し足りないし、何かしら相互に関わり合った意味がありそうだ。4つだと少し冗長だし、「4=死」なので不吉だ。そのため、3つにしたい。3つがちょうど良い。

寒くて孤独で憂鬱だった、大学時代前半の雨

何故か初めにこの時期が思い浮かんだ。大学時代前半、19歳、20歳あたり。とにかく多くのことを経験したい、自分が何者で何をしたいか、社会や人にどのように貢献できるかを全く非効率に思い悩んでいた時期。

ちょうど高校を卒業して大学に入学したタイミングで、僕は実家の隣の祖父母の家、木造建築のそこそこ広い平家の一室に引っ越した。かつて自分の父親が使用していた部屋を、少しばかり自分好みにリフォームした。

実家にちゃんとした部屋が僕と兄妹分無かったこともあり、両親と切り離された部屋を得られた僕は嬉しかった。すぐ隣なので、食事やシャワーは全て実家で済ますが、生活の拠点は新しい部屋になった。大きめの本棚を買い、たくさん本を読んでは並べた。新旧の国内外の小説や、大学生にありがちな自己啓発本や、全然勉強しないのに積み上げられていく経済や英語の本。

その部屋が得られた時、とても嬉しかった。自分の大人への第一歩、無限の可能性の象徴のようだった。今思えば、外国や地方から単身ひとり暮らしをしている友人もたくさんいた中で、たかだか実家の隣の建物の一部屋を得られただけだ。ただ、当時の心境としては、その部屋は1つの象徴だった。

一方で、確かに象徴ではあったが、大学時代前半という時期にその部屋で過ごした時間は、決して明るく希望に満ち溢れてばかりでもなかった。

特段、大きく心を削られる事件があったわけではないが、覇気のようなものを無理やりこしらえて、常に満ち足りなさを感じながら生活をしていた。

累計10個以上アルバイトをしたり、打ち込めると思っていた劇や映像をつくるサークルとその他意識の高いいくつかのサークルで活動をしたり、学生起業に加担してWEBサービスをみんなでつくって失敗したり。個々を切り取ると楽しかったし、有意義だったし、良い仲間もたくさんできた。

ただ、それは後から点と点をつなげた時に、振り返った時に、思うことだ。当時の僕が生に感じていたことは、高校時代の友人や恋人を切り離してまで、ただ自分がスペシャルであるということを信じたくて、色々とつまみ食いをしては、自分の覇気のなさや、才能の無さや、人望の無さや、奥手な恋愛感などを、憂鬱に受け止めていた。当時は全然そう思っていると認めたくは無かったが、時を重ねるごとに、本当にそうだったのだと実感する。

雨の日は特に憂鬱だった。

その部屋は、木造建築なので、とても足下が冷える。今ではだいぶ良くなったが当時はかなりの冷え性だったので、手先から足先まで冷え切る。

大学の勉強にはあまり身が入らない。先ほど語った色々な課外活動も、自分が期待する水準には到達しない代物ばかり。だからといって、壁を超えるだけの努力をするほどの覇気もない。

何かに救いを求めるように適当に本を読み進めるが、ふとした瞬間に、どうしようもない孤独を感じて憂鬱になる。自分は誰にも強く承認はされていないし、女の子に愛されているわけでもないと、沈む。そんな半径10cmの事象に悩み、もやもやする自分にもっと失望して、沈む。振り返ると、全く悲観すべき事柄ではなかったし、これで悲観していたらバチがあたるよ、といった状況だったが、とにかく当時は沈んだのだ。

雨の日の深夜の情景はよく覚えている。

ベッドに横たわる。ベッドの横には、現代の住宅からすると少し大きめの窓がある。掃除はほとんどしないから少し窓ガラスは曇っている。そこから外を見ると、雨が降り注いでいる。建物にはたくさん部屋があるが、住んでいるのは自分と祖母だけなので、とても静かだ。耳をすまさずとも、雨の音がよく聞こえる。都会ど真ん中ではない場所で、外の明かりは少ないので、雨は光に照らされない。その姿は見えずに、ただただ雨の音だけが聞こえる。

手足は冷え切る。暖房は大して効かない。考えはまとまらず、もやもやは消えない。その気持ちを伝える相手すら多くはいない。そもそも誰にも伝えたくはない。結局、自分が何者で何がしたいのかも分からない。そんなことどうでもいいから、誰かに認められたい、愛されたい、ぬくもりが欲しい、と思う。全てを投げ捨てたくなる。とても孤独で、憂鬱な気持ちになる。

「雨の日と月曜日」で、僕がまず1つ目に連想したことは、取り留めもなく寒さと孤独と憂鬱を感じていた、大学時代前半のごく一般的な雨の日の情景だった。

おそらく次回へ続く。

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