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混沌深層心理プラクティス

深層心理の明確な定義は分からないが、誰しも混沌とした自分では掴みようのない心理を抱えているのだと思う。自覚しているかどうか、取り扱えるかどうかの違いはあれど。そしてそれは、おそらく感受性が豊かな人ほど重層的で多義的で、つまり混沌としている。

僕は今までの生活の中で、混沌を取り扱うことに精を出してきた。割と昔から、良くも悪くも感受性は鋭敏だった。特に小学生から中高時代まで、混沌の中からなるべくシンプルでストレートで、混じり気のないものだけを取り出して、指針にしていこう、大切にしていこうと思ってきた。ただ、混沌を理解することは容易くなく、今でも自分の新しい感情、不安、不条理に気づき、その度に驚き戸惑う。

混沌を制するために重要なことは、期待値コントロールだと僕は思っている。自分の実力と強さと弱さを把握した上で自分に対する期待値を設定する。コントロールが出来ない他者に対しては、あえて不確実性を織り込んで振れ幅の大きい期待値を予め持っておく。このように期待値を適切に設定しておくことで、仕事やプライベートで起きる各イベントにも動じずに感情的にならずに対処していくことが出来る。

僕自身も、過去の経験での感情の揺れ動きから、期待値設定のコツを少しずつ覚えていった。まだ未熟ではあるが、学生時代と比べると、日々一喜一憂せずに今その時に集中して、自分の感情をシンプルにストレートに行動と言葉に乗せられるようになってきた。

それでは、上記の様に期待値コントロールを全ての事柄において適切に行うと、混沌は自分の心の中から消えて、思い悩む事なく頭はクリアになり、素敵な人になれるのだろうか?

残念ながらそれは違うと思っている。辛いけど仕方ない。混沌はいつまでも僕たちを不意に襲う。圧力の強い感情は、積み上げてきた期待値設定の論理をいとも簡単に破壊する。

混沌の1つの種類としては、頭では理解して制御できていると思っている期待値と、生身の感情である深層心理が必ずしも一致しない時に発生する「期待値バグ」だ。

期待値バグが起きるケースは多々ある。

例えば仕事だと、過去のプロジェクトが上手くいって得た知見と自信が新しいことへの挑戦で一度リセットされる時。リセットされる事と新たな期待値設定を頭では理解しているものの、いざあまり上手くいかなかった時に初めて気づく。思ったより、結果が出ないことも周囲から評価されないこともキツいなと。深層心理として、自分の実力を過大に見積もっていたことにその時気づく。一時的に感情は混沌とする。

ただ、この混沌がスタートラインであることも多い。自分を見つめ直して、「期待値バグ」を修正して、等身大からまた始めて成長して結果を出していく。良い仕事につながる。

例えば恋愛だと、消化済みの過去辛かったイベントとそれを経て身に付けた期待値設定のコツが、新しい真剣な恋愛において無効化される時。

恋愛は特に感情の振れ幅が大きく、当然相手もコントロールできないので期待値設定が難しくなる。そもそも好意を持っているパートナーへの期待値を低く設定すること自体が悲しい。一方で、20代後半にもなってくると、それなりに辛い経験も消化して、自然とゆるやかに相手に期待しすぎない期待値設定が出来るようになる。人によってはこれが出来るゆとりを、大人の余裕と呼ぶのかもしれない。

ただ、何歳になっても、感情を揺さぶり心に刺さる相手と巡り会う時がある。その時に、相手に期待して自分に好意を持って欲しいと思うのは自然なことだ。振れ幅の大きい期待値設定を過去の経験からしているつもりでも、深層心理としては相手を100%信じた上で深く長い素敵な関係を築きたいと願ってしまう。その際に、期待値バグが発生する。混沌とした不安に苛まれる事もある。期せずして、過去の辛い経験は当時、自分が思っていた以上に自分を傷つけていたのだと気付く。

この種類の混沌は、仕事の例とは違い、なるべく遭遇したくないと思う人と、遭遇することは仕方なくその度に新しい自分に気付き強くなれば良いと思う人に分かれると思う。僕は後者だ。混沌を制せる様にはなりたいが、他者を信じるという最も期待値バグが起こりやすい行為も止めたくはない。このような不確実性そのものを愛せる器の大きさを備えたい。

1.5ヶ月ぶりのnoteは直近思っていたことを勢いで書き綴った。

「混沌深層心理プラクティス」というタイトルの"プラクティス"成分が足りない気がするが、それは今後の自分の成長に、引き続き期待していきたいと思う。

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