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Twitterは公園、あるいは巻末コメント

 今も昔も、タイトル通り、Twitterという場は公園かジャンプの巻末にあるコメントのようなもの、だと個人的には認識している。

 公園では色んな人がいる。散歩する人。お喋りをしている人。音楽聴いている人。絵を描いている人。写真を撮っている人。常識の範囲で出店やフリーマーケットで商売している人。演奏したり大道芸したりパフォーマンスしている人。何もせずボーっとしている人。そういう自由な空間。

 巻末コメントの限られた文字数の中で漫画家は近況報告で「観たかった映画をようやく観れて面白かった」だとか「差し入れのケーキが美味しかった」だとか「親交のある漫画家が連載を終えたのでお疲れ様です」だとか「来月新刊のコミックが発売するからよろしくお願いします」だとかそのくらいの温度でコメントする。

 あくまで自分はそんな認識だが、それでもその認識は大きくは間違ってはいないと思っているし、それ故にどうも違和を感じている。
 公園であからさまに阿漕な商売や勧誘をしていたり、過激なデモをしていたら迷惑、不愉快極まりない。
 巻末コメントで作家が作品とは関係ない思想を振りかざしたり、誰かを不当に悪く言うことを書こうとしたら、編集者から本編のネームと同じくボツを食らうし、そんなのが載っていたらその作家との人格を疑う。

 リアルタイム、しかもタダで情報が入ってくるとは言え、ネットの動向を見る時、現状Twitterに依存してしまっているのもよくないのだが、ここ4,5年くらい、非常に居心地が悪い。始めた頃の少し前ははネットの界隈の中でベタベタし過ぎてもキラキラし過ぎてもおらず、あんまり偏見や金儲けの匂いがせず、自由な場だと思っていたが、自分の見る目がなかったか、Twitterの環境が遷移してしまった。そんな気がする。知能レベルや社会的地位や知名度やネットリテラシーや思想が違うのに対話や議論を交わすのは困難だ。それなのに議論と称してレスバをしてくる連中が多々いるんだから。悪い意味で2ちゃんねるニコニコ動画的になってしまったと言うか。

 商材アカウント、炎上商法、トレンド工作、承認欲求モンスター、デマ、フェイクニュース、誹謗中傷、政治的主張、陰謀論… 多様性の時代とは言え見るに堪えなくなってトレンドやタイムラインを追うのも辛い。
 個人の思想は自由だし、主張に対して大なり小なり共感する部分もあるが、手段として最悪なのだ。反対意見なら聞く耳を持ちたくないし、賛成意見なら「お前は口を開くな」としか思わない。

 今年くらいに入って特にTwitterに対する違和感が強くなった。タイムラインに自分にとって全く有用ではないツイートが流れて来るようになった。どうもAIによって他人と関わろうとするアカウントがそうではないアカウントよりも価値があると評価されてタイムラインに優先されるらしい。
 言い訳だけど、自分がネット上でも人と関わろうとしないのは、人に何かを課したくないという思いがある。だから知らない人でも知っている人でもベタベタとしたくない。
 でもいいねを貰って承認欲求を満たそうとしたり、商材を売り込もうとしたり輩はそんなこと顧みず、トレンドに上がってくるワードに何でも口を挟んだり、バズっているツイートに対して毒にも薬にもならないクソリプ未満のリプライを投げまくったり、同じようなアカウント同士でマッチポンプのようなことをしてAIの評価を上げているらしい。

「ああAIにとって、そんな連中よりも自分は価値がないのか」

 たまに感じる。病床で死にかけていた時、ここで何か呟いて遺言だろうが辞世の句だろうが残そうとも、そんな言葉は誰にも振り返られるとなくネットの大海に消えるのかなと思った。

 確かにいいねにもフォロワーにも金儲けにも繋がらないことをしていても、価値がないなんてアルゴリズム如きに思われるのは辛いさ。例えその指標、判断基準が間違っていたとしても。
 そんなことひっくるめて、Twitterは漫画家の担当編集が目を通さない巻末コメント、管理者が働かない公園、なのかなと思うようになった。

 ぶっちゃけ、イーロン・マスクがTwitterの社員を大量解雇したことについて、それは仕方ないことじゃねえのかなあとも思った。ちゃんとしてなかったんだから。
 でもあんまり期待もしていない。イーロン自身がTwitterでクソコラ画像とか積極的に使うような悪いインターネッツ、ネットミームに毒されている奴だから。期待できない。

 どこかにいい公園はないか。

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