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デビルマンを呼ぶ者を信じるな

 それをするだけでその相手を信用できなくなる、評価が著しく低くなる地雷的言動って誰しもが持っていると思う。
 私の中でのその一つが「映画等の作品を語る時に実写版『デビルマン』を引き合いに出す」である。

 実写版『デビルマン』が駄作なのは間違いない。
 演技経験のない演者への指導のなさ、シーンの詰め込みすぎ、意味不明なシーンやキャスティング、予告編のCGが最大値、高予算、原作へのリスペクトのなさ...
 今更言う必要がない。

 なんで引き合いに出されるかというのは原作ありきでキャッチーだし公開時期がインターネットが発達しようとする過渡期で、これを辛辣に批評するのがセンセーショナルに感じられたのも多分あると思う。
 この作品をリアルタイムでホームページにて酷評したサイトは今でも検索上位に上がってくる。その批評家はそれで名を上げたが、正直な所、その批評家のことは批評家として評価できない。他の批評を見る限り大したリテラシーが見受けられない。
 あの映画を観て駄作と評するだけなら大半の人ができる。だから実写版『デビルマン』は駄作として別格なのだ。

 何か批判的な意見が出た作品、特に原作や前作がある映画において「デビルマンクラス」「デビルマン以下」の言葉が飛び出すが、ちゃんと観る目のある人は思うだろう。

「お前、デビルマンも比較した作品もちゃんと観ていないだろう」

 2年前『トイ・ストーリー4』とか『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』なんかでこの言説が出ているのを見た。

『トイ・ストーリー』シリーズは一貫して主人公のウッディが己の居場所や役目を考える物語だ。
 初代で自分の居場所がなくなるのではないかと思い、葛藤しつつ他者や自分を見つめ直しながら奮闘。
 2でもっといい環境があることを知るも、それを蹴って今の自分の信じる道を進もうと奮闘。
 3で2の作中に危惧されていた離別、居場所がなくなる時が来てしまいどうにかしようと奮闘。なんやかんやで新しい居場所に着いて大団円となる。
 3部作で作品として綺麗に収まった。しかしメタ的に言えばいずれまた居場所がなくなる危機は堂々巡りで来てしまうのである。
 さらに商業的なことを言えば続編は作るべきであるし、ついでに今の社会の風潮に忖度して強い女性像とかそういうのも描かなければならない。
 だから4がそれまでに対するある種のアンチテーゼの様な形として作られ、許せない人がいるものわかる。作品的な不満点は確かにある。しかし製作のことを考えれば妥当な仕上がりの作品なのである。

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』が叩かれるのはひとえに監督に依るもの。
 技術畑出身で日本の映画界でもトップクラスのCG技術チームを扱える人だ。でもそれ以外の俳優の演技や原作へのリスペクトやファンが求めるものに対してかなり無頓着だし表面的なことしか汲み取らない。それ故に原作のある実写、CGアニメの監督を任されはするが、大衆受けはするけど一定層から酷評される。多くが原作がなければまあ並みの出来と評される。
 ユアストも借り物のコンテンツであるドラクエでやる必要のないことをやってしまったから駄作の烙印を押されている。安易に『レディ・プレイヤー1』に影響受けちゃったんだろうというのが見て取れる。

 実写版『デビルマン』を引き合いに出す人は「このキャッチーな評し方をすれば勝ち確」という観念があると思う。浅はかさを感じる。何かを比較するというのは比較する対象をちゃんと理解しようとする姿勢がないといけない。私からすれば言ったら最後、作品をちゃんと観ていないのに軽口を叩いてレッテル貼りに走っているので負け確なのだ。

 実写版『デビルマン』では作中で疑心暗鬼になり判断能力がない人々が煽動されて身勝手に他者を攻撃する。皮肉な描写だと感じる。
 まあそれにしたって原作と湯浅政明『DEVILMAN crybaby』観ればいいんだけどさ。


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