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リファラル採用の罠

最近マイケル・サンデル教授の「それをお金で買いますか」を読んでいて、ふとリファラル採用について考えたことがありました。

この本の中では何でもお金で取引される市場主義は本当に正しいのか?
「お金で買うべきでないもの」はないのか?
という疑問に対して様々な実験結果をもとに考察されています。

・保育園のお迎え時間に遅刻した場合罰金をとるようにしたら遅刻者が増加した
・核廃棄物処理場を建設することに過半数(51%)が賛成していたにもかかわらず、毎年補償金を払うという条件を追加した途端賛成派の住民は25%まで半減した

上記の例のように、金銭的インセンティブの弊害と人々の道徳観について様々な角度から書かれているのですが、どの実験結果も意外な印象があるのではないかと思います。

しかしこの実験結果から導き出されるのは「値段がつけられ、市場にでた瞬間それは"取引"になる」ということ。

例えば保育園の例でいえば、遅刻する保護者からすると罰金ではなく"延長料金"と捉えられてしまい、結果として遅刻者が増えたのだと考察しています。

これまでは「遅くなってしまって申し訳ない」という道徳観によって抑制されていたものが、「お金を払ってるんだからいいじゃない」というお客様思考になってしまったということです。

また核廃棄物処理場の例も、国内で原発が稼働しているかぎりはどこかが廃棄物を処理場としての責務を負わなければならないという市民としての義務感で賛成していた人たちが、補償金を提示されたことで「その金額では受け入れられない」と反対派に回ってしまったと書かれています。

この場合は現金の配布ではなく、同じ金額を使うにしても代わりに図書館などの公共施設を作るというインセンティブであれば市民としての義務感を締め出すことなく、賛成票を増やせる可能性が高いとも考察されています。

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この話を読んで思い出したのは、最近はやりのリファラル採用のためのインセンティブです。

その会社で働いている社員が友人や知り合いで優秀な人を紹介し、そのまま入社すれば双方に祝い金を支払う、という仕組みは「リファラル採用」という言葉が流行りだしたあたりから一気に広まり、多くの企業が導入しているのではないかと思います。

しかしこの仕組みは前述の金銭的インセンティブの実験に照らし合わせると、友人の能力を金銭と取引しているということになります。

それによって本来促進するために導入している仕組みが、逆に弊害になっている可能性もあるのではないかと感じました。

例えば紹介した友人が入社すれば当たり前にそのインセンティブシステムを知ることになります。

それを知った時、なんとなく「売られた」感じがしてしまうものではないでしょうか。

もちろん友人を自分の会社に誘う以上、お金欲しさよりも自社が魅力的であり、またそこに見合う能力があるからこそ紹介するということは大前提です。

でもそこに金銭的インセンティブがあるというだけで、純粋な動機に見えなくなってしまうことを恐れる気持ちも、意識的にせよ無意識的にせよあるような気がします。

であれば、核廃棄物処理場のインセンティブとしてお金ではなく公共施設の建設が有用だったように、紹介者と入社者にお祝いの食事の席を用意してあげたり、双方にいい椅子をプレゼントするといった「モノ」の支給の方が効果が高いのかもしれません。

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金銭的インセンティブは、人の行動を大きく変える力があります。

しかしそれはあくまで小手先のテクニックでしかなく、本質的な解決ではないということも同時に認識しなければなりません。

例えば核廃棄物処理場の例では、地域住民が自らリスクを評価できるようにすることや立地の決定に市民の参加を認めるといった方法こそ確実な方法であると書かれています。

リファラル採用の例でいえば、そもそも友人に紹介したくなるような魅力的な体制・環境づくりができているのか、という点を疎かにしてインセンティブ制度だけ作っても無用の長物になってしまいがちです。

必要なものはお金で買うのが手っ取り早いけれど、簡単に手に入れたものは失くすのも一瞬。

本当に大切なものは、遠回りに見えてもコツコツ積み上げていくしかないのかもしれません。

(Photo by tomoko morishige)
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私のnoteの表紙画像について書いた記事はこちら:人のフィルターを通して見る世界

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