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「がんばって」を伝える、80円の贈りもの。

万年筆と便箋を取り出し、呼吸を整えて机に向かう。
手書きでしたためるファンレターは、この数年来の習慣となっている。

基本はシーズン終了直後とキャンプイン前の年二回。
記録達成や印象的な試合があれば、たまに臨時で書くこともある。
書きたいほどの想いが募ったときが『書きどき』だと思う。

もともと手紙好きなのでこれまで何通もファンレターを書いてきたけれど、一度も返事をもらったことはない。
むしろ返事をもらおうという気がさらさらないため、途中から自分の住所を書くことをやめてしまった。
差出人名はないと怪しいだろうから、名前だけは明記しているけれど、住所は書かない。
それは『返事は不要です』という私なりの意思表示でもある。

今やSNSをやっている選手も多い時代、応援のメッセージを送るだけであれば数秒で事足りる。
インスタのストーリーズであれば、文字通りワンクリックでリアクションを送ることもできてしまう。

それでも私がファンレターというかたちにこだわるのは、それが『贈りもの』に近いからなのかもしれない、と思う。

便箋を用意して、30分ほどかけてああでもないこうでもないと文章を作って、ときどき間違えて便箋をダメにしたりしながら、切手を貼ってポストに入れる。

その時間と行為すべてを通した贈りものの結晶が、『手紙』というメディアなのではないかと私は思っている。

だから手紙に書いた内容自体に大した意味はなくて、『手紙が来た』ということに喜んでもらえたらいいな、と思いながらいつもファンレターをしたためている。

さらに手紙というメディアが面白いのは、機密性が高い点にある。

たとえばインスタでのコメントやTwitterでのリプライは全世界に公開されたメッセージだ。
SNSにもDM機能はあるものの、有名人ともなると相互フォロー以外からのメッセージを受け付けないようにしている人も多い。

試合中のあの動きが印象的だったとか、こんな風に元気をもらったとか、自分の思いを手紙にしたためていると、なんだか秘密を共有しているような気分になってくる。
本来は別段秘密にするようなことでもないし、なんなら普段からnoteに書き散らかしているような内容だったりするのだけど、手紙になった瞬間に『あなたと私』の世界になる。
それがなんだか気恥ずかしくて、ファンレターではさらっとしたことしか描けなかったりするのだけど。

会ったこともない人に、こうやって『ひみつのはなし』ができるのは手紙というメディアならではなんじゃないか、と思う。

ほんの10年くらい前までは、有名人に応援メッセージを送ろうと思ったらファンレターを送るしかなかった。
だからみんなこぞって手紙を送り、相手からの返事を待ちわびていた。

しかし今や思い立った瞬間に片手でメッセージを送れる時代である。

ライトなファンはSNS上でのやりとりだけで満足してしまうだろうし、むしろ他のファンに見せつけるためにSNS上での反応を欲している人も多いだろう。

だからこそ、わざわざ時間と労力をかけて送られる手紙は、純粋な応援や愛情の発露の場になりつつあるのではないかと思う。

もちろんファンレターも返事がもらえたらより嬉しいのかもしれないけれど、私は好きな選手を想って1年を振り返ったり応援メッセージを言葉にする時間自体が自分への贈りものであり、書き終わった時点ですでに自分も何かを『受け取っている』気がしている。

だからどんなに忙しくてもシーズン終わりとキャンプイン前には好きな選手たちに向けて言葉を紡ぐ。

それは彼らに声援を送っているように見えて、その実私自身が支えられている儀式でもあるのだ。

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