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「懐かしさ」はどこからくるのか

昨年、はじめて台南に行った。

もともと台湾は好きで何度か行ったことがあったけれど、台北以外のエリアを訪れるのは初めての経験だった。振り返ってみると、ロシアでもモスクワには行かずにサンクトペテルブルクに一週間滞在し続けていたし、イギリスでもロンドンには目もくれずエディンバラを10日間も満喫していたし、私はどの国でも首都より地方都市にばかり惹かれる性分なのかもしれない。

それはさておき。

はじめての台南は、一度も足を踏み入れたことがない異国の土地なのに、なんのルーツもないはずなのに、どこを歩いてもなぜか懐かしさでいっぱいになるまちだった。

「夏休み」の概念がぎゅっと閉じ込められたようなまち・台南

台湾自体がどこか懐かしさのある、ノスタルジックな心をくすぐる土地なのだけど、台南は台北ほど都会すぎず、昔ながらの暮らしを感じさせる街並みも多いからか、人の息遣いが濃くて、道端に咲く草花の色も鮮明で、異国情緒と懐かしさのバランスが絶妙で、すっかり虜になってしまった。

私はもともと観光地にあまり興味がなくて、むしろ生活に近い路地裏を歩き回るのが好きなので特にここに行きたい!という目的もなく訪れたのだけど、台南はこれまで行った中でもトップクラスの「ただ歩くだけで楽しいまち」だった。歩くのが楽しすぎて、気づけば歩数計が毎日2万歩を超えていた。暑い中歩き回ってばかりいたので、21時には泥のように寝て、そのまま12時間くらい爆睡してしまって、お目当ての朝ごはんにはだいたい間に合わなかった。旅に必要なのは筋力と体力(と、ある程度の財力)!

台南のまちあるきの楽しさは、なんといっても画になる小道の数々。日常生活の中でもいい小道を求めて遠回りしたり迷子になったりする私にとって、通りを一本入るごとに表情がくるくると変わる台南は歩いても歩いても飽きのこないまちだった。

台北の場合はエリアを移動するのに地下鉄を使うことが多いが、台南にはメトロがないのとそこまで大きいまちではないので、目的地まで歩いて30分くらいであればてくてく歩いて向かっていた。東京でも徒歩30分以内の場所までなら歩くことが多いし、知らないまちであるほど歩いた方がそのまちをしっかりと感じられる気がする。過ぎていく風景としてではなく、たしかにそこにあり、ここにいる実感としてまちを体験する。それが私にとっての「旅」の醍醐味だ。

それにしても台南のまちは小道ハンターの心をくすぐる風景が多すぎて、いちいち立ち止まって写真を撮るだけでなく「こっちの道も行ってみよう!」と本来のルートからズレにズレて遠回りした結果、30分の予定が2時間(!)もかかってしまったことも。それでも、歩いても歩いても同じ道に出会うことはなく、歩けば歩くだけ新しい小道を発見できる沼のようなまちだった。

前世の記憶みたいな風景

そうやって小道につられて一般的な観光ルートからズレにズレがちなので、どう見ても観光客向けではない、地元の人向けのおしゃれなお店に急に出会うことも多い。寄り道も歩いて移動する醍醐味のひとつだと思う。(こうやって寄り道ばっかりしているから30分の予定が2時間になっていくのだけど…)

地元向けっぽいお店に入っては「見たことない顔だな!?」みたいな顔をされがち

街中の散策も楽しかったのだけど、個人的にツボだったのが海側の安平区。緑が濃くて昔ながらの家屋が立ち並んでいて、半屋外の開放的なお店が多くて、このエリアだけで何日か遊んでいられそうだった。実際、台湾ならではの謎の健康器具がある公園でしばらく遊んだりした。自然と童心に帰ることができる空気が漂っているまち。

そういえば、「おっ爆竹が鳴ってるぞ!」と音のする方に向かってみたらド派手なお祭りに遭遇して驚かされたりもした。神輿?山車?がビカビカで、地面の上でそのまま紙の束をぼうぼう燃やしていて、知らないことばかりでとても興味深かった。爆竹大好きなので、思いがけず爆竹欲(?)も満たされた。

この日はこういうビカビカのお神輿いろんな道で引かれていた

台湾の味付けはぜんぶ好きなのだけど、台南は全体的に少し甘めで優しい味が多かった気がする。九州のごはんも他地域の人からすると甘いらしいので、南のエリアは甘くなるのかなあ、なんて思いながら。

牛肉湯!牛肉湯!!

台南名物の甘いタレでたべるトマトも初体験。生姜醤油で…?トマトを…??と半信半疑だったのだけど、トマト自体がすっきりした味なのでこれはたしかに食後のフルーツって感じだ!!と納得した。しかし私はそれよりもこのとき隣にいた家族が3人ですごい量のフルーツ盛りを食べていることに目を奪われてしまっていた。富豪の気持ちになれそうな特大フルーツ盛り、次は私も食べてみたい。

「番茄切盤」というそうです

私の中で「外ねこが人懐っこいのはいいまちだ」という基準がある。人が近づいても逃げないということは人間から嫌な目にあったことがない、「人間は我々ねこをかわいがる生き物だ」と安心しきって生きている証拠だから。その点でいえば、台南はあちこちにねこが落ちていて(!)、近づいても撫でても動じることなく人間の好きにさせてくれる子ばかりだった。この情報だけでも、台南ののんびりした空気感が伝わるのではないかと思う。

道端によくねこが落ちているまち、台南

台南に行ってから、私は「懐かしさ」について考えるようになった。はじめて訪れた場所のはずなのに、不思議と湧いてくる懐かしい感覚。同じアジアといえど、言葉も気候も街並みも食べ物も、生まれ育ったまちとも今暮らしているまちとも違う。たしかに異国情緒を感じているのに、同時に自分が忘れていたものを思い出すような、胸がきゅっとなる感覚もある。

日本とは文化的に遠いアメリカに対しても、私はアメリカンメイドのベイクの香りを嗅ぐと同じような懐かしさを感じる。そんな経験はまったくないのに、家に帰ったら母がクッキーやケーキを焼いてくれていた、ないはずの記憶が蘇る。日本にいるときはあまり嗅ぐことのない、アメリカに来たことを実感する独特の香りと、そこに付随する懐かしい感覚。

きっと文化や経験に関わらず、人間に共通する原体験のようなものがあって、それが幼少期や青春時代の記憶を呼び起こすことで懐かしい感覚につながるのだろう。手作りの味とか、生活の音とか、草花の青い香りとか、そういうどんな文化圏にも通ずる愛情と幸福の記憶が。

そしてこの「懐かしさ」はどこにでもあるものではなく、その土地で人がリアルに生きてきた時間が堆積することで作られていくものなのだろうと思う。台南のまちは、人が生きる営みが濃く感じられるほど嘘のない、暮らし「そのまま」が残っていて、あちこちに懐かしさのトリガーが漂っていた。

人が生きて、暮らし、積み重ねてきた時間によって作られた独特の風景は、そこに少しでも作為性が入ると台無しになってしまう。「本物」にショートカットはなく、本当に時間を重ねることでしか作り上げられないものがある。

時代の変化とともに風景もきっと変わっていってしまうだろうけど、このまちらしい懐かしさはずっとずっとそこにあり続けてほしい。台南の街並みは。そう願わずにはいられないほどに独自の魅力に溢れていた。

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